「普通の男の子に戻りたい」と本気で思った。レジェンドたちの高校サッカー大座談会
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――平澤さん、山田さん、森崎さんは高校サッカー選手権で優勝を経験しています。優勝すると、やっぱり盛り上がりますか。
平澤「オレらの時は清水区役所前で盛大なパレードがあって、直後の新人戦は女の子がたくさんグラウンドまで来てしまい大変でした」
山田「選手権に初出場で、無失点での優勝ですもんね。2−0だった決勝の国見(長崎)戦以外は、全部3−0の完勝で、東一(東海大一)の優勝は本当にセンセーショナルだった」
平澤「ただ、その翌年は国見にリベンジされて、負けた時の印象のほうが強く残っています。『あしたのジョー』じゃないけど、頭が真っ白になって『あー、もうオレのサッカー人生は終わりか』って」
山田「僕が1年で優勝したのは、ちょうど昭和天皇が崩御された時で、決勝のみ国立競技場で、準決勝は駒沢競技場だったんです。楽器を使っての応援もできなかったので、静かな感じでした。昭和天皇が崩御されたことで準決勝以降の日程はそれぞれ2日延期されました。あの大会の清商は、まったく調子が上がらずに。準々決勝の盛岡商業(岩手)戦もPK戦でしたし、普通に行けば準決勝で前橋商業(群馬)に負けていたはず。ただ、延期された2日間、清水に帰って猛練習したことで持ち直せました。
高校サッカー史上最強とも言われた清水商で活躍した山田隆裕さん
不思議な縁といえば、あの年は夏のインターハイは市船が優勝しているんですが、オレはその試合をたまたま見に行っていたんです。なぜかはわからないんですが、清商の大滝(雅良)監督が、練習中に急にお金を渡してきて、「オマエ、インターハイの決勝見てこい」って。それで練習を休めるからラッキーだと思い、坊主頭でひとり新幹線に乗って会場だった神戸までいきました。
そしたら、市船が5−0で古河一(茨城)に大勝した。水内(俊博)さん、井尻(明)さんという大柄な選手がいて、デカいし早いし、とても同じ高校生とは思えず、とにかく圧倒されたのを覚えています。それで選手権の決勝でその市船と当たり、厳しいかなと思ったら、CKのボールが(後頭部付近を指さしながら)オレのこの辺に当たって入ったのが決勝ゴールになったわけです。だから、いろんな要素が重なっての優勝でした。大滝先生がどこまで予想していたのかはわからないですが、何か運命的なものを感じました」
スタンドに観客が入りきらずピッチに...森崎「僕らのときも本当にたまたま。本命と見られていた清商には絶対に勝てないと思っていたら、初戦で負けてくれた。決勝は帝京に5−0で勝ちましたが、練習試合でも負けていなかったので、負ける気はしなかったし、ラッキーでした。優勝後がすごくて、次の日に学校に行ったら、校門の前に500人くらい追っかけの女の子が集まっていて、電車に乗ってもついてくるわけです。地元の駅を降りても100人、自宅に着いても30人くらいはいて、思わず窓から一番可愛い子を探しちゃいました(笑)」
平澤「最初はうれしいよね。だって、女の子にモテたいから頑張っていたわけだから。でも、しばらくするとそれが面倒になっちゃう。だって、オレなんて普通に彼女と街を歩けなかったから、騒がれちゃって。プロになってある程度の対価と引き換えにプライバシーが制限されるならいいけど、高校サッカーは勝っても何もない。だから、キャンディーズじゃないけど、『普通の男の子に戻りたい』って本気で思っていました(笑)」
――平澤さんが3年時の準々決勝の帝京戦は、高校サッカーの名勝負のひとつとして知られています。0−0のスコアレスドローで終わり、PK戦で東海大一が勝ってベスト4進出を決めました。
平澤「チャンスの数は圧倒的だったのに、オレがシュートを外しまくって。しかも、シュートブロックされた時に、相手の体が飛んできて左ひざの靭帯を伸ばしちゃった」
山田「内容的には完全に東一が勝っていましたし、PK戦の最後、先攻だった帝京の5人目の礒貝(洋光、元ガンバ大阪など)さんのシュートをGK中原(幸司、元清水エスパルス)さんがキャッチして決着。礒貝さんは、その前の試合では豪快にPKを決めていたのに、あの場面では正面に蹴って」
平澤「オレは第5回全日本少年サッカー大会にFC浦和(埼玉)で出ているんだけど、その大会に熊本の河江小学校で出ていたのが礒貝で、ふたりとも優秀選手に選ばれたりした。一緒のチームでやったのは選手権後の高校選抜だけでしたが、(後攻5人目のキッカーだった)オレに決められて負けるのが嫌で、『その前に(PKを)失敗する』って。森山(泰行、元名古屋グランパスなど)なんか、試合中に頭を切って包帯まで巻きながらプレーしていたのにね(笑)」
江原「会場は大宮サッカー場で、当時中1だった僕はゴール裏で見てました。スタンドに観客が入りきらずに、ピッチまで下りている人もたくさんいましたからね」
伝説の史上最強チームの実像――山田さんが主将だった時の清水商は、高校サッカー史上でも最強チームのひとつとして伝説になっています。インターハイと全日本ユースのタイトルを取りながら、選手権は3回戦で大宮東(埼玉)にPK負けでした。
森崎「名波(浩、元ジュビロ磐田など)さんがいて、大岩(剛、元鹿島アントラーズなど)さんがいて、僕、当時のスタメン全員言えますよ」
江原「スター選手が多かったなかでも、山田さんの存在感は別格でした。エンジンが違うというか、瞬間的な速さがハンパなくて。あとにも先にも、あんな衝撃はなかったです」
森崎「ボールを持ったら、とにかく縦に仕掛けるみたいな」
山田「一度、国見(長崎)の小嶺(忠敏)先生に『オマエ、ドーピングでもしているのか?』って真顔で言われたことがあったからね(笑)。でも、インターハイと全日本ユースを獲ったけど、選手権で負けているので、最強じゃない。2回戦の市船戦、3回戦の大宮東戦もPK戦で、オレらがどっちに蹴るかはぜんぶ相手に研究されていた。だから、PK戦になった時点で負けたようなものでした。
そもそも、あの年は推薦での出場(アジアユース選手権に選手を出していた清商、武南、習志野、国見が予選を免除された)で、オレは草薙競技場でプレーしたかったのに、そこが省かれてしまった。ケガで予選があっても出るのは難しい状況でしたが、インターハイ、全日本ユース、ベイブリッジ杯など、とにかく日程がハードすぎて、レギュラーでまともにプレーできる状態だったのは3、4人しかいなかった。名波、大岩、薩川了洋(元柏レイソルなど)、1つ下には重良(望月、元名古屋グランパスなど)もいたし、力はあったのかもしれないですが、満身創痍で選手権の時には疲弊しきってしまっていたんですよ」
――山田さんは高校卒業後、日産自動車を経て、横浜マリノス(現横浜F・マリノス)などJリーグでも約10年間プレーされました。一方で、平澤さんと江原さんはプロ入りせず、森崎さんはジェフ市原(現ジェフ千葉)に入団するも、わずか2年間で退団。その後のキャリアについて聞かせていただけますか。
平澤「オレの時代は、そもそもプロがなかったし、サッカーで食べていくなんて思ってもみなかったから。日本リーグ(JSL)もお客さんが入っていなかったし、サッカーを少しやったら会社に残って生活していくつもりでした」
山田「当時はそういう時代でしたよね。平澤さんの3つ下のオレの世代だって、高校卒業時にJリーグができるのはわかっていましたけど、まだ始まってもなかったし、どうなるかもわからないから、とりあえず大学に行こうって人がほとんどでした。名波も大岩も大学経由でのプロ入り。同期で実業団からJリーグに行ったのは、オレと薩川と森島(寛晃。東海大一OB、元セレッソ大阪)くらいでした」
――平澤さんは高校卒業後、トヨタ自動車に就職し、名古屋グランパスの母体となるJSLのトヨタ自動車(サッカー部)でプレーされていました。
平澤「ちょうど入社した時に、チームは2部に落ちたんです。3年目にJSLの1部に上がったけど、1部では2点とっただけで、その2点目をとった時にケガをしてしまって。91年にコニカカップでトヨタは優勝しているんですが、その時はもうリハビリ中でチームを離れていました。正直、高校選手権でサッカーはやりきった感もあったし、そんなにモチベーションもなくて......。リハビリ中に走る練習ばかり要求されて、コーチとモメてスパイクを手にグラウンドを出ちゃったんです」
(つづく)
プロフィール
平澤政輝(ひらさわまさき)
1969年4月25日生まれ。大河FC→東海大一高→トヨタ。65、66回大会の2度の高校選手権で計10ゴールを挙げて、優勝&準優勝に貢献。高校卒業後にトヨタに進んだが、ほどなく引退。現在はトヨタ自動車株式会社、東富士研究所勤務
山田隆裕(やまだたかひろ)
1972年4月29日生まれ。清水商業1年時の67回大会の市立船橋との高校選手権決勝で決勝ゴールをマーク。日産を経て、横浜マリノス、京都、ヴェルディ川崎、仙台と渡り歩き、03年に引退。J1出場224試合20点、J2出場47試合3点。国際Aマッチ1試合出場
江原淳史(えはらあつし)
1974年4月14日生まれ。東浦和中→武南高→中央大(中退)。70、71回大会の高校選手権で計11ゴールをマーク。3年時の71回大会では8ゴールで得点王、エースとして名門武南をベスト4に導いた。現在はアヴェントゥーラ川口(関東2部)の理事、ジュニアユース監督を務める
森崎嘉之(もりさきよしゆき)
1976年4月20日生まれ。市立船橋卒。73回大会の高校選手権で8ゴールを決め、市船の初優勝に貢献。ジェフ市原(現千葉)に2年間所属も、リーグ戦出場はなし。中古車販売会社などを経て、15年からドリームサッカースクール(千葉県八千代市)代表。児童や中学年代にサッカーの楽しさを教えている