斎藤佑樹がグラブづくりの現場でマイスターから学んだ「野球界のためにやらなければいけないこと」
斎藤佑樹、グラブ工場を訪ねて(後編)
現役時代から長年愛用してきたミズノのグラブ工場を訪れた斎藤佑樹を迎えてくれたのは、クラフトマンとして多くの一流プレーヤーのグラブをつくってきた岸本耕作氏だ。グラブのつくり手と使い手がそれぞれこだわってきたものとは?
グラブづくりの基礎となる革を見学する斎藤佑樹(写真左)と、クラフトマンの最高位であるマイスターの岸本耕作氏
斎藤 岸本さん、北海道では今、えぞ鹿の数が増え過ぎて深刻な被害が出ているんです。グラブの革、牛じゃなくて鹿を使うなんてことは可能なんでしょうか......。
岸本 鹿ですか......鹿の革は手のひらのパーツとしてはすでに使っていますよ。
斎藤 へーっ、そうなんですか。
岸本 ただ、鹿は革自体がものすごく薄いんです。だから牛革に貼り合わせて使うというやり方ならば使えるんやけど、鹿の革だけでグラブ本体をつくるというのはなかなか厳しいですね。
斎藤 薄いなら、何枚か重ね合わせても難しいんでしょうか。
岸本 鹿の革を4枚、5枚と重ね合わせれば厚みは出ますけど、そうするとフレックス感(柔軟な感じ)は出なくなってしまうと思います。
斎藤 SDGsの時代、鹿の革を使うということも、その一環として考えられるんじゃないかなと思ったんですけど......。
岸本 そういう観点から考えれば、クラリーノのような人工皮革のグラブでも、機能性さえ劣らなければ使おうという選手は出てくると思います。実際、記念グラブはクラリーノを使ってつくっていますし、これからはそういう方向を目指して開発していくということも必要になってくるでしょうね。ミズノではすでにそうした試みは始めていますし、探そうと思えば何かしらの素材はあると思いますよ。
斎藤 さきほど革を見せていただきましたけど、革に小さな傷があるだけでグラブに使えないというのはもったいないですよね。
岸本 そうなんです。牛の革ですから自然についた傷なんですが、グラブに使えない部分はかなり多いですからね。傷といってもいろいろあって、なかには機能性にはまったく影響のない傷もあるんです。でもミズノでは一定の傷は商品としてはNGなので、そういうところを使ってグラブをつくれば、無駄は減ると思うんです。
斎藤 そういう試みにはミズノとしてトライしてきましたよね。
岸本 そうですね。ただ、傷のついた革を使ったグラブが特別な商品としてではなく、通常、店に並んでいる商品として販売できたらいいと思うんです。そこは日本の品質基準が高いということもあって、なかなか難しいですね。もったいないですよ。
斎藤 たしかに......ルイ・ヴィトンとかサンローランとかはそういう試みをやっていると聞いたことがあります。ブランド力があれば、傷があっても売れる。むしろ、こういう時代なら傷があるからこそ買おうという人もいるかもしれない。ミズノも圧倒的にブランド力があるわけですから、できますよね。
岸本 できると思いますよ。牛以外の革というのも調べてみたいですね。その昔、ワニの革を使ってつくろうとしたこともあったらしいので......厚みや硬さがグラブに適していなかったんでしょう。昔からグラブは紐革も牛革なんです。これだけでも人工皮革にできたらずいぶん違うと思うんです。もちろん紐革も牛革じゃないと本体に馴染まないとかいうことはあるんですけど、使う側がどこまでなら受け容れられるかということですよね。
斎藤 結局、傷のある革でつくったグラブが品質として劣らないなら、プロの選手が『俺、傷は気にしないよ』と言って使えばいいということですか。
岸本 それはありがたいですね。少々の傷がある革でも、革の質がよければより高いクオリティのグラブはつくれます。むしろほんの小さな傷があることで、せっかくの質のいい革が使えないこともあります。
選手がエラーをしたら落ち込む斎藤 道具の値段が高いというのは野球界が抱える課題のひとつです。
岸本 傷があってもグラブをつくる革として使えて、それが当たり前の商品として認知されるようになれば値段は下がるかもしれません。プロの選手が傷のことは気にしないと言って下されば......もちろん、ひとつだけをオーダーしたグラブに傷があるのはイヤだという人は多いと思います。ただ、店頭ではめてみたら自分の手にフィットした、革に小さな傷はあるけど、でも安いとなったら、傷は気にしないという人はいるかと思います。
斎藤 野球界のためにできることはあるし、そういう風を吹かせたいですね。そもそも岸本さんはなぜグラブ職人になろうと思ったんですか。
岸本 私は出身が地元で、工場の隣が母校の中学校なんです。私が野球をしていた中学生の時にこの工場が建って、ここで将来、グラブをつくれたらいいなと思っていました。最初の頃はグラブも大量生産で、各工程の中のひとつの作業を担当するという感じだったんですが、やがてひとりですべての工程を任されてグラブをつくるようになってからはすごくやり甲斐が出てきました。
斎藤 グラブをつくって楽しいとか、喜びを感じる瞬間ってどういうときなんですか。
岸本 プロの選手のグラブをつくるようになってからは、公式戦でファインプレーをしてくれればすごくうれしいですよ。その逆で、エラーしたらグラブが悪かったのかと今でも落ち込みます。
斎藤 いやいや、決してグラブのせいじゃないと思います(笑)。常日頃、選手からのフィードバックについては、どんなことを感じていらっしゃるんですか。こういう言葉はうれしいとか、こんなことがあるとショックだとか......。
岸本 キャンプ前、シーズン中、グラブをつくってお渡ししたあとの反応はすごく気になります。ただ「すごくよかった」という反応が返ってくることは稀で、何も言われないからよかったんだろうな、というふうに受けとることがほとんどです(笑)。
斎藤 やっぱり岸本さんは、これは絶対にいいと言ってもらえるはずだ、と自信を持って選手にグラブを手渡すんですか。
岸本 まぁ、絶対ではないですけど、でも自分で選んだ革を使ってつくれば、それなりのものはできると思ってやってきましたし、ダメだと言われればショックはあります。何しろ天然皮革なので、微妙なバラツキは常にありますからね。
クラフトマンとしての使命斎藤 逆に選手に対する岸本さんからの要望って、何かありますか。
岸本 選手への要望ですか。
斎藤 グラブをこんなふうに扱ってほしいとか、こういうこだわりを持ってほしいとか。
岸本 一番はオイルで磨くことですね。やはりオイルを塗るということは革にとってはすごくいいことですから......重たくなるとか、柔らかくなるから嫌と言う人もいますけど、泥や埃がついたまま使い続けるとグラブの革にはダメージがありますから、オイルで磨いてあげてほしいといつも願っています。
斎藤 革というのは繊細なんですね。
岸本 表面のタッチは手入れをしないとすぐに変わってしまいます。せっかくコシの強い、弾力性のある革を選りすぐっても、手入れ次第で台無しになってしまいますからね。革にはベニヤ板みたいに硬くて弾力性のない革もあるんです。そういう革でつくってもいいグラブはできません。
斎藤 みなさんの作業を見ていて、力作業が多いことにも驚かされましたが、グラブをつくっていると手のマメができやすいということはありますか。
岸本 最初の頃は靴擦れのような感じで皮がむけて、手のあちこちがおかしくなっていました。最近は薬指の下の部分......紐革を引っ張る時に力を入れるところなんですけど、そこにマメができるくらいですね。ただ、手はずいぶんきれいになりましたよ。最近は右手に手袋をはめてやったりしてますからね。
斎藤 ホントだ......職人さんの手とは思えないくらい、きれいですね。工場にはずいぶんたくさんの女性もいらっしゃいましたが、今、グラブ職人の数というのは減ってきているんですか。
岸本 ミズノで言えば、私がこの工場に入った時はすべてあわせて80人くらいはいましたね。今は50人ぐらいで人数的には減っていますけど、若い人も入ってきていますし、女性もたくさんいます。一個のグラブをつくる作業をひとりですべてこなせるようになった人は増えていますし、そういう意味では増えていると言えるんじゃないかな。
斎藤 野球人口が減っていると言われているなかで、グラブ職人として野球界に対してどんなアプローチをしていきたいと考えていらっしゃいますか。
岸本 じつは私、職人というのはあまり好きじゃないんです。ミズノの社員、ミズノの技術者として、クラフトマン、マイスターとして、このグラブづくりの技術を私限りで途絶えさせてはいけないと思っています。職人というと、一代限りというか、人間国宝的な存在になりがちですが、そうであってはならない。あくまでもミズノのクラフトマンとして、そのなかのマイスターとして、グラブづくりを継承していかなければならない。私が歳をとったら終わりというのではなく、脈々と受け継がれていくのは職人ではなくクラフトマンだと思っています。
斎藤 なるほど、カッコいいですね。
岸本 グラブというのはすごく特殊な商品ですから、継承していくのがすごく大変だと思うんです。つくり方がちょっとでもわからなくなったら、途絶えてしまう商品ですからね。ここの工場も50年経って、この先100年を目指すなかで、技術の継承、技術者の育成は何よりも大事なことだと思っています。子どもの人口も野球人口も減ってはいますが、いいものをつくり続けていけばミズノの商品はずっと続くでしょうし、野球もなくならないと信じています。ものづくりをしてきたひとりとしてできるのは、いいものをつくるということ。ミズノのグラブはいいなと言われ続けるために、クラフトマンとしての技術は大事に継承していきたいと思っています。