累計8700億円「日本一レコードを売った男」酒井政利氏の〝武勇伝〟 - 渡邉裕二
※この記事は2021年07月23日にBLOGOSで公開されたものです
2020年――日本のレコード産業は110年を迎えた。
その歴史の中から生まれたヒット曲、名曲は数知れず。歌によって元気づけられ、慰められ、勇気づけられた人は多い。
そんな日本のレコード産業を語るときに必ず登場する人物がいた。〝伝説の音楽プロデューサー〟として知られる酒井政利氏である。
その酒井氏が7月16日に亡くなった。享年85歳。
5月末に都内の病院で検査入院したようだが、アレルギー反応が出たようで「そのまま入院していたようだ」（音楽関係者）。いずれにしても「私生活を見せない人だったので状況が掴めない」というのが現時点では業界内の反応だ。
音楽プロデューサーになる人は、一般的には作詞者や作曲者、アレンジャー、あるいはアーティスト系などがポピュラーなのだが、酒井氏の場合はレコード会社（元ソニー・ミュージックエンタテインメント取締役）の所属だった。そんな酒井氏のような存在は〝ハウス・プロデューサー〟と呼ばれていた。
2005年には「文化庁長官表彰」を受賞。2020年にはプロデューサー生活60年を迎え、「文化功労者」として顕彰された。
どんな世界でも、現役を継続するのは大変なことだが、60年も第一線で活躍し続けることは並大抵のことではない。
「日本のレコード産業が100数年。その半分以上に携わってくることが出来た。レコード産業の一翼を担っていくことが出来たことは自分にとっても大きな誇り」
感慨深げに振り返っていた酒井氏の表情が浮かぶ。
ちなみに、音楽プロデュース生活で手掛けてきたアーティストは300組を超え、プロデュースした曲の総売上げは累計で約8700億円とされる。かつてJR総武中央線の市ヶ谷駅から見えたソニー・ミュージックエンタテインメントの旧本社ビル（業界内では「黒ビル」と呼ばれていた）。このビルは「酒井さんのヒット曲の売上げで建てられた」との逸話があったほどだ。
伝説のプロデューサー酒井政利氏の〝武勇伝〟
酒井氏は、巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄氏と立教大学で同期だった。
大学を卒業後、一旦は映画会社の「松竹」に入社したが、1961年10月に日本コロムビアに移り「音楽制作人生」をスタートさせた。
私と酒井氏の付き合いは三十数年になるが、もはや、この機会しかないので今回は私の知る限り、氏のプロデューサーとしての〝武勇伝〟を記しておきたいと思う。
酒井氏が最初に担当したのは大手プロダクション「ホリプロ」の社長も務めたことがある歌手の守屋浩さん（2020年9月19日死去）だった。
「駆け出しの頃は、ベテランの歌手の後半、あるいは新人歌手を任されるんです。ですから楽曲を含め考えることも多かった」
そこで思い描いたのが映画やテレビドラマの主題歌だった。今でいう〝メディアミックス〟である。
「自分の作った音楽をメディアに結びつけられないか」
酒井氏は考えに考えた。そんな時に出会ったのが一冊の書籍だった。
「愛と死をみつめて」
1963年12月――「東京オリンピック」開催の10ヶ月前に出版された。酒井氏は、たまたま同書を手に取り読んだ。
顔を悪性腫瘍（軟骨肉腫）に冒され、21歳の若さでこの世を去った大島みち子（ミコ）と河野實（マコ）の3年にも及ぶ手紙のやりとりを書籍にしたものだった。
「この本を音楽にしたら感動的な作品になる。今、大衆の求めているのはこれだ！」
若い男女の往復書簡に新鮮な魅力を感じた。
酒井氏は同書のレコード化を社内で提案すると同時に出版元の大和書房に赴き「音楽制作独占契約」を結んだ。
「社内では、まだ私は新人だったので、どんなに我を通そうと気にする人もいませんでした」
年が明けて制作に入ったが、酒井氏にはこだわりがあった。
「原作のイメージを引き出すため、曲はベテラン作家ではなく主人公と同年代の若手の新人作詞家と作曲家を起用したい」と思った。同時に歌唱も18歳の新人歌手・青山和子を抜擢した。
「青山は、コロムビアの全国歌謡コンクールで優勝した歌手でした。とにかく地味な子で芸能人らしくなかった。でも、そこに瑞々しさを感じた。この曲はアマチュアらしさの残った歌手という要素が重要だったのです」
26歳になったばかりの酒井氏にとって初めての全面プロデュース作品となった。
書籍は社会現象になるほどの評判となり1964年度の年間ベストセラーとなった。
レコードは同年7月に発売された。当時、TBSのプロデューサーだった石井ふく子氏は橋田壽賀子さん（2021年4月4日死去）の脚本でテレビドラマ化、さらに吉永小百合と浜田光夫主演で映画化もされ一世を風靡。その後、ニッポン放送もラジオドラマ化した。
ところが、この話にはちょっとしたエピソードがあった。
「あの書籍はテレビドラマ化や映画化されていますが、実は青山の歌は使用されていません。あの時、石井さんから電話を頂いて、ドラマで使いたいとのお話も頂いたのですが、そのドラマの放送が東芝日曜劇場枠（現在の日曜9時）だったんです。ところが、レコードは日本コロムビア。当時、東芝もレコード会社を持っていたし、競合するメーカーの作品は使えないということになりました」
それだけではない。映画にも裏話があった。
「主題歌は〈愛と死のテーマ〉というタイトルで吉永小百合さんが歌っていました。彼女はビクターレコードの所属だったので当然、映画公開に合わせてレコード発売を予定していたのです。ところが、この音楽制作権は日本コロムビアが押さえていましたから、私はビクターに行って説明しました。その結果、吉永さんの映画主題歌の発売は幻になってしまいました」
タイミングや事情も味方して酒井氏の描いていたメディアミックス戦略は見事に成功した。テレビドラマや映画を観た人は、唯一レコードとなっていた青山の歌を聴いて涙し、結果、その年の「第6回日本レコード大賞」を獲得、さらに青山は「第15回NHK紅白歌合戦」にも初出場した。もちろん酒井氏の名も業界中に知れ渡った。
CBS・ソニーに転職しスターを続々輩出
それから4年後の1968年、ソニーが米放送局のCBSとの合弁でソニー・ミュージックエンタテインメントの前身である「CBS・ソニー」を設立することになった。そのCBS・ソニーの初代社長だった大賀典雄氏（元ソニー社長＝2011年4月23日死去）は制作部門の強化に取り組み、酒井氏をヘッドハンティングした。
「これまでにはない新しい音楽を創りたい」
酒井氏は、大賀氏からの誘いを受け、新天地に飛び込んだ。そこで真っ先に手掛けたのが4人組グループのフォーリーブス「オリビアの調べ」だった。
レコード番号は01番。酒井氏のプロデュースしたシングルが、現在のソニー・ミュージックエンタテインメントの記念すべき1枚目となった。
続いて、1971年には沖縄出身の南沙織、そして郷ひろみを手掛けた。南沙織は、翌年の沖縄返還のタイミングもあって一気にブレイクした。
酒井氏は「今でも南沙織と郷ひろみは、音楽プロデューサーとしての長女、長男」と言い続けてきた。それは、それまでの「青春スター」の中から「アイドル」を分離させる引き金になったからだ。そして、その後の天地真理や山口百恵、キャンディーズ、さらには宮沢りえなどに結びついていった…。
イースター島で見た夕日が世界観を変えた
そんな酒井氏の音楽プロデュースには、実はエポックとなるエピソードがあった。
1977年のことだった。広告代理店「電通」の藤岡和賀夫氏から酒井氏の元に電話がかかってきた。藤岡氏は「モーレツからビューティフルへ」(富士ゼロックスCM)、「ディスカバー・ジャパン」（旧国鉄の旅行キャンペーン）など、数々のヒット・キャンペーンで知られていた。
酒井氏は、藤岡氏の名前こそ知りつつも面識は全くなかった。ところが、酒井氏が電話を取るやいきなり言った。
「酒井さん、一緒に南太平洋を回りませんか？」
完全に藤岡氏のペースだったという。
その企画には作詞家の阿久悠氏（2007年8月1日死去）、デザイナーの横尾忠則氏、写真家の浅井慎平氏、作家、画家で彫刻家の池田満寿夫氏（1997年3月8日死去）らが参加するという。総勢20人ほどでハワイやフィジー、サモア、それにイースター島などを約1ヶ月かけて回る旅だと説明された。
「どうやら、第一線で活躍するクリエーターを集めての〝人間実験〟だったようですね。それぞれの分野で活躍するクリエーターの感性や反応を見たかったようです」
オイルショックを迎え、日本の高度成長は終焉を迎えていた。「三無主義」「四無主義」などといわれる時代に入っていた。そんな中で時代を先取りする商品は何か？企画はないか？日本はニューウェーブを探し求めていた。
企画は「電通」が中心となり、資生堂とワコールなどがスポンサードしていた。
渡った島で一行は島民の家に別れて宿泊した。サモアでは木造の小屋や村の集会所。巨大石像で知られるイースター島ではスペイン系の教師の民宿だった…。酒井氏にとって、島の生活では食事が一番辛かった。しかし、南太平洋から見た海や月は感動的だった。イースター島では、宿泊先の一家がジープで海岸をガイドしてくれた。夕暮れ時だった。
「1人で海岸に立ったんですが、海に落ちようとしている夕日は、今まで見たことないほど巨大に見えた」
40歳を過ぎたばかりの頃だった。
「その時に音楽プロデューサーとしての世界観が大きく変わった。人生の転機になった」
酒井氏は、そう言い切っていた。
旅して気づいたのは「無心」になることだと。
「企画は無心になることが一番大切なのです」
以降は、やることなすことが全ていい方向に進んだ。
この南太平洋の旅がキッカケとなり酒井氏は「魅せられて」（ジュディ・オング）、異国情緒に訴える「異邦人」（久保田早紀）、「時間よ止まれ」（矢沢永吉）、「いい日旅立ち」（山口百恵）の4部作をプロデュース、その全てがミリオンセラーになった。
その中でも最大のヒットになった「魅せられて」は、南太平洋の旅をスポンサードしたワコールが、そして「時間よ止まれ」は資生堂がCMソングに起用し大ヒットへと導いた。
藤岡氏との「ディスカバー・ジャパン」に続く「いい日旅立ち」のキャンペーンは、ここから始まったそうだ。
東京・築地の電通本社の会議室。藤岡氏は言った。
「歌は誰でいきますか？」
酒井氏は開口一番に言った。
「山口百恵でいきましょう」
そして電通を出ると、その足で谷村新司を訪ねたという。
「直感でした。谷村さんの詞には人の心を癒す言葉があって気になっていたんです。谷村さんだったら国民的な歌が出来ると…」
そこで生まれたのが「いい日旅立ち」だった。
同曲は「日本旅行社」と「日立」のイメージソングとして使われた。
酒井氏はスポンサーの「日」と「旅」、そして「立」の3語をタイトルに入れ込んだ。意図的だった。この曲は日本を代表するスタンダードナンバーとなった。酒井氏の描くメディアミックス戦略はここでも見事に発揮された。
「歌は世につれ世は歌につれ」という言葉がある。
1曲1曲には魂がこもり、1人1人の心の中に、一つのエポックとして歌が刻み込まれてきているはずだ。そして、そこには1人の音楽プロデューサーの存在があった。
「愛と死をみつめて」がヒットした1964年は「東京オリンピック」の年だった。それから53年。酒井氏は言う。
「2020年の東京五輪まで現役で頑張りたい」
その「東京五輪」は1年延長され、7月23日に開幕するーー。
