※この記事は2018年02月28日にBLOGOSで公開されたものです

2月17日、有楽町朝日ホールで行われた第11回朝日杯将棋オープン戦は藤井聡太五段が優勝しました。”15歳6か月”での優勝は最年少記録。そして「全棋士参加の棋戦で優勝」という昇段規定により「藤井聡太六段」が誕生しました。

「羽生善治竜王と藤井聡太四段の対局は幻になるかもしれない」という記事をここにアップしたのが1月22日。「2月1日に五段、2月17日に六段になる可能性」を書きましたが、見事に実現させました。

「実現の可能性のあること」はすべて実現させる勢いの藤井六段。ここまでくると「スピッツが大好きな藤井六段は、草野マサムネプロデュースで歌手デビューするだろう」「内藤國雄九段が1976年に発売し、オリコンチャート100位以内に通算80週も留まったロングセラーの名曲《おゆき》を抜く売り上げを記録するだろう」と、将棋盤の外にある「可能性」を書いておきたくなります。

藤井聡太六段「最年少CM出演」もあるか

内藤國雄九段は歌手活動の他にも1985年の8月に「将棋のファミコンソフト第一弾」となる「本将棋 内藤九段将棋秘伝」を監修したり、サントリーの「緑茶」「京番茶」のCMに出演したり、盤上でも盤外でも活躍されました。

また、羽生竜王もまた自身の名前を冠に持つゲームソフトがあり、公文式やブルガリアヨーグルトなどのCMに出演してきました。”藤井聡太監修”の将棋ソフトや藤井六段が出演するCMが出るのはいつになるのでしょうか。おそらく自らの名前がついたゲームソフトの発売やCM出演もまた”最年少記録”になるのではとふんでいます。

今回の朝日杯において藤井聡太六段は、佐藤天彦「名人」、羽生善治「竜王」という将棋界の「最高峰」のタイトルを持つ棋士を相手に勝利し決勝へ進出しました。

そして決勝の舞台で戦った広瀬章人八段は“菅井竜也王位、渡辺明棋王、久保利明王将”という3人のタイトルホルダーに勝って決勝までたどり着いた棋士。羽生竜王が竜王以外にも「棋聖」のタイトルを持っていることから、決勝戦は「タイトルホルダー3人を倒した棋士同士」によるものでした。

ちなみに羽生竜王は今回の朝日杯で、今期から“タイトル戦“に昇格した”叡王戦“において決勝七番勝負に進出している「高見泰地六段」に勝利しています。勢いのある棋士に勝利した羽生竜王をも上回った藤井六段。決して「時の勢い」や「トーナメントのくじ運」ではない、”実力者“をおさえての完全優勝ということがわかります。

名人・竜王に「15歳の棋士」が勝つ。優勝が決まった瞬間「これは、将棋漫画で提案したら即却下されるシナリオだ」と多くの人がツイッターでつぶやいていました。

そもそも優勝・勝利以前に、藤井六段のようなデビューしたての棋士が名人・竜王と対局するには高いハードルがあります。それは、タイトルホルダーが免除されている1次予選・2次予選を勝ち続けなければいけないということ。

さらに、予選を勝ちあがり、名人や竜王がシードで登場する場面までたどりついたとしても、トーナメントやリーグにおいて同じ山に入っていなければすぐの直接対決とはなりません。

実は、今回の朝日杯の前に「羽生―藤井戦」が実現しそうなトーナメントがありました。それは第43期棋王戦の挑戦決定トーナメント。羽生竜王、藤井六段がそれぞれ2回勝てば直接対局、という表だったのですが羽生竜王、藤井六段は共に1回戦で敗れました。

このことからわかるのは、“勢いのある若手“と”大御所のタイトルホルダー“の対局が実現する条件は「両者ともに勝ち星を重ねている、調子のいい状態であること」。そして「予選を勝ちぬいたらそこにはシードされた大御所」という「トーナメントのくじ運」。この2点です。

きわめて少ないチャンスをものにした藤井六段は「羽生竜王との初手合いで勝利をおさめた“(羽生竜王から見て)後輩棋士”の14人目」となりました。

将棋を始めて10年で名人に勝った藤井六段

藤井聡太六段が将棋をはじめたのは「5歳」の時。5歳で将棋を覚え、15歳で名人に勝つ…将棋を覚えて10年で「名人」を倒す…。

最年少の「年齢」ばかりに目がいってしまいがちですが、「将棋をはじめた、覚えた年齢」から「名人に勝つまでの年齢」という視点でみると、この「10年」という時間は「意外と長い」のでしょうか、それとも「やはり短い」のでしょうか。データをひもといていきます。

藤井六段と同じく中学生棋士になった谷川浩司九段、羽生善治竜王、渡辺明棋王、そして中学生棋士に続く若さでプロ入りした現役の棋士10名の、「将棋をはじめた・覚えた年齢」と「時の名人に勝った年齢」「勝つまでにかかった年数」は以下の通りです。

はじめた年齢 名人に勝利した年齢 かかった年数 藤井聡太 5歳 15歳 10年 谷川浩司 5歳 19歳 14年 羽生善治 6歳 17歳 11年 渡辺明 6~7歳 19歳 12年 佐々木勇気 5歳 22歳 17年 塚田泰明 ?? 22歳 ※中学2年でアマ準名人 阿部光瑠 5歳 17歳 12年 森内俊之 8~9歳 18歳 10年 屋敷伸之 8歳 18歳 10年 増田康宏 5歳 ※対名人未勝利 豊島将之 4歳 20歳 16年
将棋をはじめた(覚えた)「年齢」はわかっても「何月」からはじめた(覚えた)かまではわからないため、おおよその参考記録です。谷川九段、羽生竜王、渡辺棋王は11年以上かかっていることからも「将棋を覚えて10年で名人に勝つ」という事象もまたスピード記録であることがわかります。

藤井六段と同じく「将棋を覚えておよそ10年」で名人に勝利した森内俊之九段は「羽生竜王よりも後に名人位を獲得しながら、その後、羽生竜王よりも先に永世名人になった」という棋士。

そして、屋敷伸之九段は「最年少タイトルホルダー」の記録を持つ棋士です。いずれも藤井六段の近い未来(最年少記録)、遠い未来(永世名人)の目標となる記録を持っています。

また、若くしてプロ入りした現役棋士10名の中には、連勝中の藤井六段と対局し話題となった増田康宏五段や佐々木勇気六段の名前があり、将棋コンピュータソフトと戦う「電王戦」に出場した塚田泰明九段、阿部光瑠六段、豊島将之八段の名前もあります。

世代の近いライバルとコンピュータに立ち向かった棋士たち。そして、電王戦に出場した塚田九段、阿部六段、豊島八段には共通点があります。この3人は「コンピュータ将棋ソフトに負けていない」のです。阿部六段、豊島八段は完勝、そして塚田九段は「持将棋」いわゆる「引き分け」に持ち込んだことで話題になりました。

当時は、まったく勝ちのなくなった局面から粘り続けることに批判もありましたが、その後の将棋ソフトの進化を考えると「負けなかった」という事実は、とても大きく感じられます。

その塚田九段ですが「好きなテレビ番組はザ・ベストテン」「好きなブランドはルイ・ヴィトン」「好きなタレントは菊池桃子」…という情報は手に入ったのですが、肝心の「将棋をはじめた年齢」が出てきませんでした。他の棋士が回答している5歳~8歳の間だったとした場合、将棋を覚えてから名人に勝利するまで「12~15年」という年数ということになります。

さて、ここまでお読みいただいて、「あの人の名前がないじゃないか」と感づいた方もいらっしゃると思います。そう、あの人をあえて外すために「現役棋士」という縛りをもうけていました。実は、その人こそが、藤井聡太六段を凌駕する「将棋を覚えてから名人に勝つまでの年数」を持つ棋士なのです。その棋士とは…

“ひふみん”こと、加藤一二三九段です。

結論からいいましょう。“ひふみん“が将棋を覚えたのは小学4年生(9歳~10歳)の時。インタビューにて「4年生の時、将棋というものは良い手ばかりを指していけば勝てる世界だと悟った」「4年生の時にはじめて将棋の本を父母に買ってもらって読んだ」と答えています。

そして、時の名人・大山康晴にはじめて勝ったのは「15歳10か月」。加藤一二三九段は1940年1月1日生まれ。小学4年生は1949年4月から1950年3月までの間なので、名人に勝つまでにかかった時間は「およそ6年」と推定されます。

とんでもないスピードで将棋を覚え、成長し、名人から勝利。今後、この記録を破る棋士はあらわれるのでしょうか?おそらくその棋士が現れた時、今のような「藤井フィーバー」が再び起こり、藤井六段とその棋士の対局に注目が集まることでしょう。

「なんだかんだで実はひふみんも、他の棋士の多くがそうだったように《5歳》の時に将棋を覚えたんじゃないの?」「現代はゲームのような将棋以外の娯楽が多いけれど、当時はなかったから、もっと早くに将棋に触れていたんじゃないの?」

そんな風に思う方もいるかもしれません。では、「5歳のひふみん」を想像してみましょう。加藤一二三九段が5歳になったのは1945年1月1日。“第二次世界大戦下の日本”で、この年の夏に「ポツダム宣言受諾」というタイミングです。果たしてこの頃、大人が子どもに将棋を教える余裕はあったのでしょうか?縁側で将棋を指すことができたのでしょうか?盤上の戦いに目を輝かすことはできたのでしょうか?

2018年、楽しいキャラクターでメディアをわかせる加藤一二三九段ですが、「5歳のひふみん」が生きた時代を思い、「戦争の時代を生きたひとり」としての証言を伺う必要を感じます。「将棋をはじめてから“名人に勝つ”までの最短記録」を調べる中で浮かび上がった“もしかしたらご本人も気づいていないかもしれない、語られていないひふみんの大記録”と“ひふみんの生きた時代”の話でした。