周回遅れと議論をする必要はない - 赤木智弘
※この記事は2015年02月20日にBLOGOSで公開されたものです
雁屋哲が日本に戻ってきたらしい。あの、昨年春頃に連載された時点で、すでに周回遅れの陰謀論ばかりをぶん回し、多くの人に批判された、あの『美味しんぼ「福島の真実編」』の原作者である雁屋哲である。
いまさら一体何をしに戻ってきたかといえば、美味しんぼの件を書いた本の宣伝らしい。雁屋は朝日新聞の取材に対して「大事なのは、議論すること。私の意見が間違っているというのなら、一緒に議論しましょうよ」と主張しているそうだ。(*1)
僕はあまり直接的に人を批判することはしたくないのだが、それでも「テメーがどの面下げて議論なんて言ってんだよ!」と毒づくしかない。
そもそも、最初に議論をせずに逃げたのは雁屋である。
美味しんぼで「福島の真実編」を連載している当時から、多くの批判を受けた雁屋は、当初「連載が終わるまで待って欲しい」と主張していた。確かに一連の主張を聞いてから、議論をするというのは間違った考えではない。
しかし、雁屋は連載が終わった途端にオーストラリアに逃げ帰り、メディアの取材も全く受けず、自身のブログすら更新しなくなってしまった。雁屋は議論を要求する声を完全に無視して、自宅に引きこもってしまったのである。
その雁屋哲が、いまさらノコノコと日本にやってきて「一緒に議論をしましょうよ」などと言っているのだから、恥知らずと言う他ない。結局は議論などする気はなく、新しい本を売る商売のために、原発事故を利用しているに過ぎないと僕は判断させてもらう。
さて、少し振り返りたいのだが、美味しんぼにおける「鼻血表現」とは一体何だったのかを、今一度確認しておきたい。
そもそも、放射線被曝による「鼻血」とは、大量の放射線を一度に浴びる急性被曝における症状の1つとして考えられている。ただし急性被曝による鼻血は被曝により造血細胞が影響をうけ、白血球や血小板が減少することにより、出血が止まらなくなるという状況での話である。
美味しんぼに書かれたような「福島に行ったらちょっと鼻血が出ました」程度の鼻血は、被曝となんの関係もない。だいたい、美味しんぼにも登場した元双葉村村長の井戸川氏は「鼻血が止まらない」としながらも、福島県知事選に出馬して元気に政治運動を行っていた。もしこれが急性被曝であれば、そんな選挙運動をしている余裕など無かっただろう。
それでも、雁屋を始めとする急進的反原発が「鼻血」にこだわる理由には「(セシウム)ホットパーティクル論」がある。
単純に言えば塊となった放射性セシウムが呼吸によって体内に取り込まれ、排出されずに肺などの臓器にとどまり続け、ガンなどの原因になるという考え方である。
この考え方は、これまでの「放射性セシウムは筋肉に均等に分布し、やがて排出される」という科学的な事実と異なり、その影響はこれまで考えられてきた放射性セシウムによる悪影響の数百倍であると主張している。ホットパーティクルという新しい考え方をもって「これまでの科学的な考え方は間違い。とんでもない悪影響があるのだから、すぐに移住しろ」こう言いたいのである。
つまり、すぐに止まる鼻血という、極めて軽微で日常生活リスクとの区別の付かない、どうでもいいレベルの被害を必死に喧伝することで「鼻血が出たということは、ホットパーティクルが鼻から肺に入りこんでしまった証拠だ! 10年後にガンが大量発生するぞー!!」などと騒いで脅すための餌にしているのだ。
しかし、そのような考え方が間違いであることは、原発事故から4年近くの時が経ち、様々な地道な検査や研究によって十分明らかになっている。時間が経つにつれ、被災者の体内にある放射性セシウムの量は順調に減少しており、急進的反原発が主張するような突飛な被害というのはまったく考えられない。(*2)
こうしたコツコツと積み上げた現実から離反した「放射性物質の害が!」という大声は、もはやマジメに放射性物質の問題とぶつかり合っている人たちにとっては、ただの耳障りな騒音でしかなく、被災者たちの今後にとっても全く役に立たないどころか、有害でしかない。
その騒音を今更もって震災復興の現場に持ち込んで「議論!議論!」と騒ぐことに、雁屋の本の売上以外にいったい何の意味があるのか。
福島の現実は、雁屋の認識よりも遥か先を行っている。周回遅れの雁屋と議論することなど、今さら何も存在しない。雁屋はもう十分稼いだのだから、さっさとオーストラリアに帰って、静かに余生を送ってほしい。それが彼にできる、唯一の被災者たちに対する正しい態度である。
*1:(表現のまわりで)「鼻血問題」への思い 「美味しんぼ」原作者・雁屋哲さん - 朝日新聞
*2:ひらた中央病院でのWBCによる内部被ばく検査結果 - 震災復興支援放射能対策研究所