<今年もメディアは大荒れ予測>IT系カルチャーにテレビメディアは、いかに割り込むか? ‐ 吉川圭三 - 吉川圭三
※この記事は2015年01月07日にBLOGOSで公開されたものです
吉川圭三[ドワンゴ 会長室・エグゼクティブ・プロデューサー]
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正月休暇の現在、盛夏のオーストラリアの片隅でこの原稿を書いている。テレビもない友人の家でのんびり風の音や運河を走るボートのエンジン音を聞きながらボーっとしていると日頃の憂さも忘れる。
しかし、夕方外出先から家族や友人達が帰ってくると様相は一変する。彼らは皆、スマホ・iPad・ノートブックコンピューターを持っているのでWi-Fiを飛ばしてブログを見たり、フェイスブックやツイッターをやったりゲームをしたりLINEで会話したり、YouTubeで日本の最新ヒット曲の映像を見たりで大忙しになる。
東京では当たり前の風景だが、この南半球の地でもこうなのだ。いかに現代人が多種多用のメディアに囲まれているかが痛いほどよくわかる。そして問題は、テレビ等のメディアがこの状況にいかに割り込むか、である。
昨年2014年9月の事である。NHKのEテレで「ニッポン戦後サブカルチャー史」という劇作家・宮沢章夫氏が講義をする興味深い番組があった。筆者としては昨年のベスト1の番組であったが、宮沢氏の言うとおりサブカルチャーは個人の観方で異なるのでこの番組を宮沢氏の「極私的」サブカル史と捉えてほしいと正直に言っていたのが印象的だった。
番組は、全10回。扱う時代は1950年代から2010年代まで。NHKという制限はあったが、なかなか力のこもった番組であった。
ロックンロール、太陽族、石原慎太郎のセックスと暴力小説「狂った果実」。大島渚の松竹ヌーベルバーグ、学生運動の興隆、深夜ラジオ、マンガ「カムイ伝」。新宿カルチャーから出た演劇運動、紀伊国屋書店、赤塚不二夫のナンセンス漫画、手塚治虫の「火の鳥」、「ポパイ」等雑誌文化の興隆、堤清二が仕掛けた渋谷公園通りと糸井重里の「おいしい生活」、YMOとユーミンの誕生、バブル崩壊・阪神大震災・地下鉄サリン事件、岡崎京子、「新世紀エヴァンゲリオン」、オタク文化と秋葉原、コスプレ、コミケ、ゲーム、ニコニコ動画、初音ミク。
日活ロマンポルノと東映やくざ映画とスターウォーズとスタジオジブリが入っていないのは、NHK事情であろうか・・・。それはともかく。
文化的現象と社会的現象を宮沢章夫が接着剤になって語っているのが面白い。年代的文化分析学とでもいうのか。そしてやはり社会的事象(事件・天災・経済)現象は表層に見える文化にも影響しているのが見事に語られる。
酒鬼薔薇事件、3・11の震災、リーマンショックはこの繊細にできた人間(観客・読者・視聴者・ユーザー)の感性にも影響を与える。そのひずみに対して表現活動をしてゆく。
あるいは誰か鋭敏なクリエーターが世の中の事象の中から小さく見えても現代を表現しているテーマを見つけ表現し、何かの形で表現してきたかもしれない。
しかし、この完璧とも思える「ニッポン戦後サブカルチャー史」にも一つだけ個人的には残念なポイントがあった。2000年代~2010年代のカルチャーについて描いた最終回の中身が少々薄い点である。
2000年に入り構造改革、規制緩和、グローバリゼーションの後の不況、しかし、IT産業の興隆を経て、IT系カルチャーが隆盛したと説明している。
筆者は「非IT系カルチャーの未来生き残りの方法」について宮沢さんは、少しでも語ってほしかった。出版・ラジオ・映画・テレビ。あるいは「今隆盛を誇るIT系カルチャーの本質と弱点について」語ってほしかった。
番組では宮沢さんもGoogle等の検索サイトに対して少なからず嫌悪感を抱いていたようだが、筆者も何でも便利になってゆく世の中とそれを「善」とする社会に疑問を持っている。宮沢さんも推測では語りたくなかったのかもしれない。
宮沢さんの語りきれなかったことは、筆者にとっても最大のテーマであろう。
真夏のオーストラリアの運河沿いの家で皆が出て行ったあと、ソファに横になりながら、窓からの微風をうけ、ミステリ小説を読みながら、
「今年もメディアは大荒れになるだろうな。」
などと考えた。ちょっと大げさだろうか。