必ず訪れる「老い」に、今の生活圏で対応できるのか? - 赤木智弘
※この記事は2015年01月03日にBLOGOSで公開されたものです
朝日新聞がちょっと風変わりな記事を載せていた。バイクでの死亡事故が減る中で、そのうち4割を4~50代が占めているという。(*1)
記事中では、その要因に「老い」があるのではないかと見ている。
あまり詳細な記事では無いのだけれども、もともと「若者のバイク離れ」ということは言われていて、主なライダーが中高年になった結果、事故の比率も中高年が増えているということが、基本的な話なのだろうとは思う。
ただ「老い」という要因も割と重要だ。
バイクは、まず走らせなければ「立つ」こともおぼつかない。常に神経を使いながら車体を立たせて、走るときには少し体を傾けたりする。いわば全身のバランス感覚がなければ、乗りこなすことはできない。これは、止まっても倒れることのない自動車との大きな違いである。老いて体力や集中力が衰えると、まっすぐに進むことすら困難という状態になり、事故を起こしやすくなってしまう。
すると、老いた人はバイクから降りたほうがいいという話になるのだが、ではバイクから降りた人がどこに行くかといえば、止まっても倒れることのない自動車に乗るしかなくなってくる。
考えてみると、すごく恐ろしいことである。肉体的にも精神的にも衰えたという理由で乗るのが、バイクよりも車体が大きく、重く、スピードも出る自動車なのだ。もしも事故を起こした時の被害は、バイクよりも自動車の方が大きくなる可能性が高い。そうなると、交通事故全体の危険性は増してしまうのではないだろうか。
最近は交通事故死者数は減る一方で喜ばしいことではあるが、今後、さらなる高齢化社会を迎えるにあたり、高齢のライダーやドライバーは増えていく。そうなるとまた交通事故死者数が増えていく可能性もある。
とはいえ、解決法は単純ではない。
都心などの公共交通が発達した地帯を除けば、徒歩や自転車で行ける範疇にかつては存在した商店街も今は廃れ、幹線道路沿いに大型店舗が並ぶという形で、すでに車やバイクに最適化した形に生活圏は変化してしまっている。警察も老人に免許の自主返納を求めているが、もはや老人を車やバイクから引き剥がすことはできない。
セグウェイを始めとした、新しいカタチの移動用乗り物を、いろんな会社が提案しているではないかと思う人もいるかもしれない。しかし、そうしたプロジェクトの大半は、徒歩や自転車、せいぜい原付程度の移動速度を想定しており、現在の生活圏の前提である時速60キロ前後での移動には対応できていない。
ならば、少なくとも当面の高齢化社会を乗り切るためには、今の生活圏の広さに対応できる安全な乗り物を開発するか、もしくは生活圏がよりコンパクトに変化して、時速が早くなくとも十分に満足で来る街を作っていくしかないのである。
高齢化社会は、決して避けられない定められた未来なのだから、その問題には早く気づいて、早めに覚悟を決めた方がいい。
*1:中高年ライダー事故死増 気持ち若いが「ひざガクガク」(朝日新聞デジタル)