42年前の3月1日、阪神高速14号松原線が全通しました。

南海平野線の鉄道敷を利用


阪神高速松原線(画像:写真AC)。

 1980(昭和55)年の3月1日。阪神高速14号松原線の阿倍野〜松原が開通。全線開通となり、西名阪道と直結しました。

 松原線は大阪市の中心市街地である天王寺地区から、市内南東部を経由して大和川を渡り、西名阪自動車道に直結する路線です。1967(昭和42)年の「大阪市総合計画」に盛り込まれ、事業費は764億円でした。

 折しも大阪市営地下鉄谷町線の天王寺〜八尾南間の延伸計画がありました。谷町線は、今池〜文ノ里〜平野で地上を走っていた南海平野線の敷地の下に建設され、開通後は南海平野線が廃止となる予定でした。そこで、阪神高速松原線もこの敷地を利用し、谷町線と一体構造、同時建設で整備を進めることとなったのです。

 1971(昭和46)年に山王地区から本格的に工事開始。JRや近鉄をまたぐ難工事であったほか、環境対策や騒音問題などで地元調整が難航し、10年近い年月をかけてようやく完成に至りました。

 開通当時は反対運動などもあり、市内の文の里、駒川、平野の出入口は長らく着工すら困難な状況で、「せっかく高速道路ができたのにこれでは利用できない」などの声もあったそうです。

 松原線の開通で、阪神高速の供用延長は100kmの大台に到達。その後、1988(昭和63)年に近畿自動車道が松原まで開通し、松原線と西名阪道に直結。「松原JCT」の名称が生まれました。