保健室の先生となった彼女の過酷な過去とは?(写真:筆者撮影)

保健室の先生として働く、20代の那津さん(仮名)。幼い頃から、精神疾患のある母親と、父親の夫婦げんかを見て育ってきました。

中学生のときには、追い詰められた母親から心中を迫られ、腕に家の鍵を突き刺され大量に流血したことも。一時期は高校に通えなくなりましたが、先生たちの支えで立ち直り、大学進学を果たします。

一方、進学のため「塾に通いたい」という那津さんの求めを「お金がない」と一蹴していた父親は、シングルマザーの恋人にいれあげていたことが判明しました。

前半に続き、那津さんが語ってくれたその後の日々をお届けします。

大学生に「家に月15万円入れてほしい」という父

父親から「私立の大学に通わせるお金はないから、国公立の大学に行くように」と言われていた那津さんは、猛勉強の末、見事国立の大学に合格しました。


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しかし、まだ苦難は続きます。大学1年のときには、当時中学生だった弟が成績の伸び悩みを苦に自殺未遂をし、これがきっかけで父親はうつ病に。しばらく休職せざるをえなくなった父親は、那津さんに「家に月15万円入れてほしい」と頼んだのです。父親は正社員だったので、多少は手当も出ていたはずなのですが。

そのため那津さんは大学の部活を休部し、夕方から深夜までひたすら毎日バイトをして、15万円を入れていたといいます。結局、父親は3カ月ほどで会社に戻り、那津さんも元の生活に戻れたそうですが、「私、死ぬのかなと思った一時期でした」と振り返ります。

大学が遠かったこともあり、那津さんは実習が始まる2年生から、ひとり暮らしを始めます。以来、社会人3年目になる現在まで実家には帰っていないということです。

父親は最近、那津さんを「自慢の娘」と感じているらしく、やたらと「家に帰ってきなさい」と言ってくるそうですが、彼女の気持ちは複雑です。

「全部、何もわかってなかったんだな、この人、と思って。私がどんな思いで小学校に行って、どんな思いで担任の先生にそういう(家の)話をしていたか。家が近い子たちからは『あいつのうちのお母さんヤバいよね』みたいな話も出るし、すごく恥ずかしかったし嫌だったけど、なんとか上手に距離をとってやってきて。なるべくお父さんの機嫌を損ねないように、気を遣ってきた」

「なのに、ここまできてようやく、今まで欲しかった手を差し伸べてくるの? おまえは。今さら優しさを見せられても、みたいな。

たぶん私が大学生のとき、そのシングルマザーの方と別れたから、余計に気を紛らわすことがなくなったのかな。それで、すごく実家に帰ってこいという。帰りたくないよ、と思うんですけれど」

どの子が家で大変な思いをしているかは、わからない

那津さんが「保健室の先生(養護教諭)になろう」と決めたのは、高校2年の終わり頃でした。進路に悩んでいたとき、彼女が「保健室の先生いいな」とつぶやいたのを3年間部活の顧問をしてくれた先生が聞き逃さず、「あなた、たぶん向いてるよ」と励ましてくれたのです。「いいな」と思ったのはやはり、那津さん自身が保健の先生にしてもらったことが大きく影響したようです。

「本当にまさに『ああいう先生になれたらいいな』っていう憧れ。自分が、ほかの人とあまりかぶらない人生を送ってきた、という認識はあったから、同じように困っている子を、今度は私が助ける側にまわりたいなと思って」

いまの勤務校は、家庭環境が厳しい子が多いといいます。辛い経験をしてきた那津さんなら、苦労している子は自然とわかるのかな?と思いましたが、そうでもないとのこと。

「大人側になって、どの子が家で大変な思いをしているかってわからないもんだな、と。それこそ、制服をあまり洗ってないだろうなという子とか、やたらとバイトをしているなという子とか、明らかに遅刻が多いな、という子は『なにかあるかな』と思うんですけれど、成績がいい子ほどわからない。『勉強ができているから、この子は放っておいても大丈夫だよね』みたいな空気が、何となく職員室のなかにあって」

筆者がこれまで取材してきたなかにも、そういうタイプの人──成績がいいので、困っているのを先生に気づかれない──が、何人か思い当たります。那津さんもそうです。

「だから、私も自分では先生に『家が大変なんです』っていう話を結構していたつもりが、なかなか取り合ってくれなかったのはこういうことか、と。ちょっと謎が解けました。

でもそれがわかったから、逆に『見逃しちゃ絶対ダメだな』と思って、なるべくいろんな子に声をかけたり、何か機会があったときに『家、どう?』っていう話をしたり。それでも全部が拾えているとは思えなくて、ちょっともどかしいです。言ってくれる子は言ってくれるんですけど、家の話は一切NG、みたいな子もいるので、無理にも聞けないし……」

でもきっと子どもたちにとって、こんな先生が学校にいてくれることは、とても貴重なことです。話したい、と思えたときに、話せる人が近くにいる必要があります。

「あと、これは私が『わかってくれない大人』側にまわってしまったのかな、と思うのですが、私はけっこう死に物狂いで努力をしてここに来たから、裏を返せば『自分で頑張ればなんとかなる』と思っているところがあって。だから『そこまで頑張ってまで進学はしなくていい』とか生徒に言われると、絶対口に出さないけれど、『何を言ってるんだ』と思っちゃって」

その気持ちは、わかる気がします。筆者もどちらかというと那津さん同様、努力型のタイプなので、子育てのなかでもどかしさを感じたことは多々ありました。でもそこで、「もっと頑張れるはず」とは言わないこと──これがなかなか難しいのです。

「それよりも、『その子があともうちょっとだけ頑張ったら確実に見える未来の話』だけをして、『とりあえず、ここ頑張ってみようね』って。この段階がクリアできたら、ここにも手が届くかもしれないから頑張ってね、ってお話しするようにしています」

「ふつうの親」がわからないという不安

最近考えるのは、結婚のことです。那津さんが職場、つまり学校で出会って付き合うのは、やはり先生が多いのですが、いわゆる「ふつうのおうち」で育った人が多く、彼女のような家庭環境で育った人に対し、いまひとつ想像が及ばない部分があるようです。

さらに、結婚の先にある子育てについても、不安を感じるといいます。

「『理想の母親像』みたいなのは、なんとなくわかるんですが、『日常のお母さんって何?』みたいなのがわからない。ふつうの親って、機嫌が悪いときどういう行動をとるの? ちょっとしたことをふつうに叱る親って何? どういうやり方? どういう会話? わからん、わからん、みたいな。結婚にたどり着くのも難しいし、たどり着いたあとにどうやって振る舞っていいかもわからない。だからすごく不安です」

正直、「理想の母親像」など目指さないほうがいいと思うのですが、いわゆる「ふつうの親」は自分の家にでもいないと、想像がつかないでしょう。

世界に対する警戒度を、何段階か下げることができた

筆者が心配そうな顔をしていたからでしょうか。最後に那津さんは、気を取り直すかのように、こんな話をしてくれました。

「私は大学生のときにあの家を出てから、人生がいいほうに行き始めた感覚はすごくあります。いまも高校時代の友達とよく会うんですが、『高校生のときのあなたって、めちゃ嫌なやつだったよね』って言われて(笑)。確かにそうだな、と思うんですよ。傷つけられる前に相手を傷つけておかないといけないし、何か言われる前に自分の主張だけはしておかないと足をすくわれる、みたいな感覚があったから。

でも家を出て、『自分が何もしていないのに、不意にスパンと嫌なことをされる』ってそうそうないんだな、というのがよくわかってきた。人を傷つけないで、うまくやったほうが自分にとってもいいし、波風の立たない人生になる。それがわかってから、いろんな人が関わってくれるようになったし、助けてくれるようになった。弱いところを出しても別に取って食われないんだな、というのがようやくわかりました(笑)」

この世界に対する警戒度を、何段階か下げることができた、という感じでしょうか。彼女の昔の担任の先生ではないですが、これから先も「頑張らないことを頑張って」、子どもたちを見守ってもらえたらなと願います。