近年の女子バレーボール界の中で、ひときわ人気を集めた選手のひとりとして、「かおる姫」こと菅山かおる(現・西村かおる)を覚えているファンは多いだろう。

 高校2年の時、宮城県の強豪、古川商業高校(現古川学園高校)のエースとして春高バレーを制覇。卒業後は小田急ジュノーに入団するも、1999年にチームの廃部によってJTマーヴェラスに移籍した。意外な「苦労人」時代を経た2005年、26歳にして全日本に初招集されると、身長169cmの小さなアタッカーとして活躍して人気が爆発した。

 その後、ビーチバレーにも挑戦したが、2011年に同じビーチバレー選手の西村晃一と結婚したことで競技から離れた。現在は2児の母である菅山が、人気絶頂時の全日本時代と現在について語った。


ビーチバレーの西村晃一と結婚し、2児の母になった菅山かおる photo by Tanaka Wataru

――初めて全日本に選ばれた時の気持ちを覚えていますか?

「全日本に入ることが小さい頃からの夢で、自分が代表メンバーとしてコートに立っていることを妄想しながら練習していました。だから、初めて日の丸をつけて試合に出た時は、『ずっと思い描いていたコートに立てたんだ』と胸がいっぱいでしたね」

――その前年にはリベロに転向していますが、どんなきっかけがあったんですか?

「小田急、JTでプレーしてきて25歳になった時に、『何かを変えないと全日本には入れないな』と思うようになったんです。それで2004−05シーズンを前に、スパイカーからリベロに転向しました」

――そのシーズンでJT初のベスト4進出に貢献し、全日本にも選ばれますが、代表デビューとなった2005年のワールドグランプリはスパイカーとして出場しましたね。

「はい。リベロとして選出していただいたのですが、急遽スパイカーで出ることになり、自分が一番びっくりしました! その後の試合ではリベロでも起用してもらえたので、両方のポジションでプレーするといういい経験ができました」


インドア代表時代は「かおる姫」と呼ばれ大人気に photo by Sakamoto Kiyoshi

――国際大会で、海外の選手たちを相手にプレーした印象は?

「最初は海外選手との体格差を痛感しましたが、海外チームに勝つには、日本人選手の細かい技術を生かした正確さ、粘り強さで勝負するしかないなと思いました」

――バレーファンではない人たちにも「かおる姫」として認知するほど人気が爆発しました。戸惑いはありませんでしたか?

「最初は『姫』と言われるのが恥ずかしかったですね。でも、そのニックネームをつけてくださったおかげで、多くの方に知っていただき、応援してもらえるようになったのですごく感謝しています」

――現役時代に取材させていただいた記憶では、菅山さんはすごくクールなイメージがありました。今のようにスムーズに話す姿がとても新鮮です。

「そうですね......。現役時代は、取材が嫌いだったわけではないんですが、あまり話すのが得意ではないので戸惑いもあったんだと思います」

――その後、2008年にJTを退社してビーチバレーに転向することになりますが、タレントとしても引く手あまたな状態だったんじゃないですか?

「JTを退社してからは、ありがたいことにたくさんお声がけをいただきました。でも、タレント事務所などに所属するよりも、単純に好きなバレーボールに携わりたいと思っていました。そんな時に、ビーチバレーの仕事をいただいたんです」

――どんなお仕事だったんですか?

「六本木ヒルズで開催された、ビーチバレーボール大会の解説でした。その時は、本当に失礼な話なんですけど、ビーチバレーは『楽しくやるスポーツ』だと思って見ていました。でも目の前で試合を見たら、想像していたより迫力がすごかったんです。

 その大会をきっかけにビーチバレーに興味を持って、今の夫(西村晃一)が代表を務めるWINDS(プロビーチバレーボールチーム)に所属しました。ブラジルなど海外遠征に連れて行ってもらい、世界のトップ選手と一緒に練習させてもらったんですが......。まったく思うようにプレーできず、ビーチバレーの難しさを痛感しました。あの悔しさは今でも覚えています」


インドアから転向してビーチバレーでも活躍 photo by Sakamoto Kiyoshi

――解説者やタレントなどではなく、選手としての道を選んだわけですね。

「そうですね。自分がプレーするのはいいんですけど、コートの外から解説をするような立場でもないですし(笑)。海外遠征で感じた悔しさが、コートを砂の上に変えて、『もう一度大好きなバレーボールで、本気で戦いたい』という気持ちにさせてくれました」

――転向後、早くも2010年のジャパンツアー最終戦で準優勝し大きな注目を集めましたが、その翌年に結婚をされたのには驚きました(笑)。お相手の西村晃一選手は、2002年にインドア代表からビーチバレーに転向し、47歳にして第一線で活躍されていますが、出会った当初の印象はどうでしたか?

「インドアの選手時代をテレビで見ていた時は『すごい選手だな』と思っていました。実際に会うと、最初は近寄りがたいイメージだったんですが、イベントなどで一緒に仕事をした時に、バレーボールに真摯に向き合っている姿を見て、『何事にも本気で一生懸命な人』という印象に変わりました」

――西村さんは海外への遠征などで家にいないことも多いと思うのですが。

「すべてビーチバレーのためなので理解していますし、現役でプレーできる間はそちらに集中してもらいたいと思っています。子どもは男の子が2人で、パワフルで大変な部分もありますが、すごくかわいいです。夫も家にいる時には、子供たちとたくさんの時間を過ごしてくれるので本当に助かります」

――お子さんもバレーの選手になってほしい、という思いはありますか?

「バレーの道に進んでくれたらうれしいですけど、サッカーや水泳など他のスポーツもやっていますし、子どもがやりたいことを優先してあげようと思っています。ときどき、庭に小さいネットを張って、夫も一緒になって2対2の試合もしますよ。チーム分けでは、子どもたちに『ママよりパパと(ペアを)組みたい』と言われちゃいますけど(笑)」

――西村さんは来夏の五輪出場を目指していますが、どうサポートしていこうと思っていますか?

「彼はすごくストイックで、体のケアなど何でも自分でできるので、私は余計なことはしないでおこうと思っています。彼のペースがあると思いますから。ビーチバレー以外の仕事もあるので夜が遅くなる時もありますが、彼は絶対に毎日練習をやります。『今日は疲れたから、練習しなくてもいいだろう』となったことは一度も見たことがないです。

 とにかく、好きなことを精一杯やってもらいたい。普通であれば『東京オリンピックが最後』となりそうなところですけど、次のパリ大会に出ると言われても『もう辞めたら?』とは思いません。選手としてプレーしている時が一番楽しいことは私もすごくわかりますし、本人がやれると思っているうちは現役を続けたほうがいいんじゃないかな、と私は思います」

――ご自身もプレーしていた、インドアの全日本女子の試合も見ていますか?

「子どもたちが小さい時はゆっくり見られなかったこともありますが、今は一緒に声を上げて応援しています。まだ(東京五輪の開催が)どうなるかわからないですし、ビーチバレーもそうですが、選手たちはモチベーションを保つのが難しいでしょうね。それでも、一緒にプレーした選手もいますし、明るい未来を信じて頑張ってほしいです」