MF南野拓実、リバプールの3トップから学んだこと「複数の選択肢を持ってファーストタッチすること」

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日本代表は11日、オランダのユトレヒトで7日目のトレーニングキャンプを実施。トレーニング前にMF南野拓実(リバプール)がメディアの取材に臨んだ。

9日に行われたカメルーン代表戦ではトップ下で先発出場した南野。後半には2シャドーの一角としてプレーした。

これまで代表戦で5試合連続ゴールを記録していた南野だが、プレミアリーグでのプレーしたことでの変化について「プレミアリーグの1つの特徴として相手の体の強さとか、プレースピードとか身体的な能力が高いというのがありますが、カメルーンの選手も身体能力が高くスピードが早いので、そういった環境でプレーしていないとそういった感覚は慣れないと思います」とコメント。カメルーン戦でもそこでの感覚は生きたと語った。

チームではFWロベルト・フィルミノやFWモハメド・サラー、FWサディオ・マネといった各国代表の強力な3トップと共にプレーしている。そこで自分に生かしていることについては「マネやサラーであれば、体の大きさはゴツイですが僕とあまり変わらない中で、190cmある選手からボールキープできる。強さもありますけど、巧さ。ボールの置く位置とか、複数の選択肢を持ってファーストタッチすることで、相手のDFが飛び込みづらいのは、1つ僕にとっては参考になるプレーだなと思います」と語り、体格があまり変わらない2選手から学べていることを語った。

一方で「フィルミノに関しては、ポジションも近いですし、彼は前を向いてワイドな選手にボールを預けて前に行くというプレーをしますが、僕も得意なので、相手のDFラインとのギャップで顔を出す動き方とか、次のプレー、スペースを見ながらボールが落ちてくるのか、顔を振るとかファーストタッチする前にどこを見ているかで、相手のDFが読みにくくなります。そういったところは自分も意識しているところです」と語り、同じポジションのフィルミノからも多くを学んでいると語った。

日本代表がカタール・ワールドカップで結果を出すために必要なことについては、「みんながレベルアップすることが大事ですけど、僕は周りの選手のことを考えている余裕はない」とコメント。それでも「自分のチームでは自分のチームのことしかできないですし、大会までに自分のチームで試合に出て結果を出すことが、ワールドカップで日本が結果を残すことにつながると思います」と、それぞれの選手が所属クラブで結果を残すことが一番であるとの見解を述べた。

13日にはコートジボワール代表との試合が控えているが、「親善試合とはいえ、どんな試合でも勝利を目指して試合がしたいですし、そこで存在感を示していかないと、このチームにも確約された場所はないです」とコメント。「次の試合も引き続き、結果にこだわって試合をしたいと思います」とこの試合でも結果を残すことを目的にプレーすると語った。

カメルーン戦では前後半でシステムを変更。それぞれで役割が異なった南野だが、4バックの前半については「相手が前からプレッシャーに来た分、僕たちにDFラインの選手がうまくボールをつけられなかったというのがあります。その中でも、1本か2本はトミ(冨安健洋)からそういったボールが来たので、自分がトップ下でプレーしていて、前半4枚の時は、もう少しボランチの選手とコミュニケーションとって、中盤3枚ぐらいの気持ちで自分が降りてプレーしてもよかったです」と自身のポジショニングなどを含めて反省。「裏に誰かがディフェンスラインを引っ張って、そこを使うというのもアリだったかなと思う」と、前線の選手でも動きを修正すべきだったと語った。

一方、後半3バックにしてからは「3枚にしたことでそこのスペース(中盤と最終ラインの間)を突くというのはチームとしてわかりやすくなりました。(堂安)律も僕もそうですし、前半よりはもらえる回数が増えたと思います」と改善が見られたとコメント。しかし、「ただ、そこから効果的な攻撃はあまりできなかったです。3枚にしたときは、そういったことをしたいというチームの意図だと思うので、今後そのフォーメーションでやった時に、どうやって良い形でそのスペースを突くのか、考えながらプレーしていければと思います」とこの先に向けた改善策を考える必要があるとコメントした。

最後に日本代表の森保一監督とリバプールのユルゲン・クロップ監督の共通点について問われると「どちらも熱い監督で、選手がこの監督のためにこの試合全力でプレーしたいと思える監督だと思う」とコメント。「日常から選手とコミュニケーションをとって、意見交換だったりをする」と選手とのコミュニケーションをよく取る監督だと語った。また、「監督な明確なビジョンを選手が理解した上で、信頼しあえているからこそだと思うので、そこは共通している」とし、似ている部分があるとした。