五島勉さん死去『ノストラダムスの大予言』外れたことをどう思っていた?
6月16日、誤嚥性肺炎のため死去した作家の五島勉さん(享年90)。「1999年7月に人類が滅亡する」とした『ノストラダムスの大予言』(1973年)は250万部の大ベストセラーとなり、社会現象を巻き起こした。
本誌が五島さんを取材したのは、10年前の2010年4月。「ベストセラー作家のその後を追う」という特集記事のためだった。当時「取材はすべて断っている」とのことだったが、「ゆかりのある光文社だし、久しぶりに行ってみようか」とのことでインタビューが実現した。
――五島さんは光文社『女性自身』の記者だったそうですね。
「はい。創刊から13年間ほど、1960年代から1970年代にかけてですね。音羽(光文社の所在地)には久しぶりに来たけど、ずいぶん変わったね。
私はもともと『トップ屋』なんですよ。それでスカウトされたような形でね。安保闘争の取材をしたり、皇太子妃の美智子さんを追いかけたり、ずいぶんやりました。宮内庁に大目玉を食らったこともありますよ。
あの頃『女性自身』は大いに売れてね、会社も儲かったんです。会社が儲かると労働争議になりました。何冊か雑誌が出ないことがあったりね。そんなこともあり、会社がイヤになった人が何人かいて、飛び出した人が作ったのが祥伝社(『ノストラダムス〜』の出版元)です。
そこでいくつかプランを出したうちの一つが『ノストラダムス』です」
――その『ノストラダムス』が大ベストセラーに。どんな反響でしたか?
「すごかったですね。本は売れましたが、そのぶんバッシングもすごかったですよ。仕事ができないほどでした。こうまで言われて、やはり私の書いたことは間違いだったんじゃないか、ノストラダムスの予言は間違いなんじゃないか、そういう猜疑心も生まれて、ずいぶんと悩んだものです。
しかし、いくら調べ直しても、やはりノストラダムスが嘘をついたとは思えなかったんです」
――しかし、社会不安を煽ることにはなってしまった。
「その点については、申し訳ない気持ちは大いにあります。ただし、私があの本で一番書きたかったこと、それは最終章の『残された望み』という部分です。これは警告なんですね。ノストラダムスの予言とは、聖書に書かれている預言を具体的に書いたものです。こういった大きなことが起きるから気をつけなさいと。
だから私は最終章で警告し、備えさえできていれば大丈夫だと、しっかり書いているんです。
しかしマスコミはその部分は取り上げてくれない。1999年7月に人類が滅亡すると、そこしか言わないんですね。私としては、とにかく人類が助かってほしい、みんな穏やかに暮らしていければいいと、そう思って書いたのです」
――1999年7月、実際には何も起きなかったわけですが。
「そうですね。しかし2001年9月11日には、同時多発テロという大事件が起き、世界は大きく変わってしまった。ノストラダムスが予言を書いたのは1555年ですから、これは誤差の範囲と考えていいのではないかと思います。実際にあの9・11のことをもとにノストラダムスの予言を見返していくと、辻褄の合う部分が多く出てきます。
――五島さんは『ノストラダムス』以降も次々と著作を出していますね。
「最近は弥勒の研究をしています。人間には予知能力があるんです。ノストラダムスだけではなくて。私にも、あなたにもありますよ。その能力は発現していないだけで、脳の研究が進めばもっと明らかになるのではないかと思います。私もね、人生は残り少ないですから、できることは今のうちに、と思っているんですよ」
――下世話な話ですが、印税はかなりの額になったんじゃないですか?
「『ノストラダムス』はシリーズ合わせて600万部売れたそうですから。とはいっても、私に実感はないんですよ。印税といっても新書ですから、大したものではないです。なんとか都内に戸建ての家を建てられたくらいです(笑)。
今は大きな事件が次々と起きる大変な時代です。しかしそんなときでも人類に希望はある。常にそういう思いでやってきましたし、これからも書いていくつもりです」
五島氏は当時80歳。最初は自宅でのインタビューを提案したが、わざわざ練馬の自宅から電車で来社した。かつて「サソリの勉」の異名を取った大先輩記者からは「週刊誌も今は大変でしょう。頑張ってください」と励ましの言葉をいただいた。もの柔らかな話しぶりと、穏やかな表情が印象的だった。