南アフリカ・ヨハネスブルクの「中央商業地区」にある「ベルビスタ・フラット」(2020年4月15日撮影)。(c)AFP/ Marco Longari

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【AFP=時事】AFPアフリカ支局のマルコ・ロンガリ(Marco Longari)チーフカメラマンは、2014年以降、南アフリカ・ヨハネスブルク在住。出身地イタリア・ローマでカメラマンとして働き始め、その後フリーのカメラマンとして1998年にコソボに赴き、そこでの仕事が最初の自著「Neighbours at War」として結実した。その2年後、アフリカで撮影を始め、AFPのルワンダ特派員、続いてナイロビとエルサレムでAFPチーフカメラマンとなる。「アラブの春(Arab Spring)」を撮った作品を評価され、米誌タイム(Time)の2012年ベスト報道カメラマンにも選ばれた。

 今年の3月27日、南アで新型コロナウイルスによるロックダウン(都市封鎖)が導入されると、普段と違うやり方で撮影しようと決意。いつも仕事に使っているデジタルカメラの代わりに、昔の撮影方法に戻ろうと、1946年に初めて市場に出回った大判カメラ「リンホフテヒニカIII(LinhofTechnika III)」を購入した。撮影には時間を要したが、ヨハネルブルクの静寂さを写し出すのには合っていた。

 手に入れることができたのは白黒フィルム2箱だけだった。ロンガリ氏が撮影した写真に捉えられているのは、ヨハネスブルクの空気だ。いつもの喧騒(けんそう)が消えている。街が色彩を失ったようだ。読み、耳を傾けて味わえる一編の作品に仕上がっている。

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 ヨハネスブルクは誰にとっても理想的な都会というわけではない。規模が大きくて騒々しく、活気はあるが、時に危険。600万人が住み、不規則に広がるこの街は、都会に付き物の汚染、交通渋滞、犯罪など、さまざまな問題を抱えている。市内には、やってはいけないこと、近寄ってはならない場所があり、常に油断は禁物だが、どこもが物騒というわけでもない。のんびり散歩できる場所もあれば、できない場所もある。それは、パリやローマ、ニューヨーク、ロンドンと変わらない。でもこの街には、固有の雰囲気がある。生身の人々がいて、働き、時にけんかもする。私の住むヒルブロウ(Hillbrow)地区は、まさにそんな場所で、地元の店に行くときは、良いことも悪いことも、何かしらの非日常的な出来事が起きる可能性が待ち受けている。

 ロックダウンが導入されたときは、まるで誰かが音を遮断したように思えた。スクリーンに生気を吹き込む音とサウンドトラック付きのカラー映画から、モノクロ映像が点滅するサイレント映画に切り替わったようだった。騒音が静寂に取って代わり、喧騒から静けさへ。そんなロックダウンによる沈黙をカメラで捉えたいと私は思った。

 街は無音状態となり、いわば「新しい物語を語るべき新たなキャンバス」だった。

 これはデジタルカメラでやる仕事ではない。フィルムならではの深みと鮮明さが必要だった。脳裏に浮かんだのは、南アのアパルトヘイト(人種隔離政策)時代にデイビッド・ゴールドブラット(David Goldblatt)氏が生み出した驚くべき作品の数々だ。今、この街を占拠している静けさを大いに生かそう。その静けさのおかげで、集中し、正確を期すことができる。それにはリンホフのカメラが必要だった。旧式の蛇腹のビューカメラで、初期の写真技術を再現したものだ。両手をスリーブに入れて手探りでフィルムを装填(そうてん)し、撮影は布をかぶって行う。鏡(ミラー)がないため、レンズ越しに見える像は上下逆さまだ。焦点を100%合わせなければならず、光量その他すべてを撮影前に調節しておかなければならない。AFPフォトジャーナリストとしての日常の仕事とは手順が全く異なる。
 ヒルブロウはヨハネスブルクの最も古い地区の一つで、起源は1880年代にさかのぼる。その頃からは少し変わったが、今もなお、街を横切る山の尾根からは素晴らしい眺めが広がっている。街の中心部の方を向けば、視界に入るのは人のいない大通りと、その背景にあるビル群だ。私は通りの真ん中に撮影場所を設置し、写真を撮るために冠布をかぶった。自分だけの天地逆転の世界に閉じこもり、静寂を味わう。恵みの一時であり、めったにない機会だった。冠布の外に出たときに初めて、自分が衆目を集めていたことに気が付いた。20人ほどが背後のビルの窓からこちらを見ている。こうしたことは何度か起きた。人々は、こちらがしていることの意図を理解しているかのように、私の周りでそっと動いた。
 この写真は大きなバスターミナルの2階から撮ったもので、いつもは人で混み合っている。地元住民が利用する広い待ち合わせ場所の一つだ。背景には、市中心部のかなりモダンな地区が見えるが、この写真を撮影したときは人けがなく、静かだった。とても奇妙に感じた。
 写真を撮るのは作業の一部にすぎない。さらに現像という工程がある。ヨハネスブルクでモノクロフィルムの現像をしてくれるのは、今ではデニス・ダシルバ(Dennis da Silva)くらいしかいない。専門家で、この道の大家だ。南アの写真業界に籍を置くカメラマンは誰でも、デニスと関わりを持つ。「バンバン・クラブ(Bang-Bang Club、南アで活躍した4人のカメラマン集団のこと)」のメンバーや、(デイビッド・)ゴールドブラットも、みんなデニスのところに行った。彼は、アーネスト・コール(Ernest Cole、アパルトヘイト時代の南アを撮影したことで知られる黒人のフォトジャーナリスト)が撮った大判の写真も扱っていた。当時、これは驚くべきものだった。
 あいにく、電話をしても、デニスは私と会おうとしなかった。家に閉じこもり、新型コロナウイルスに感染するのを心配していた。私は彼が折れるまで、来る日も来る日も電話をかけ続けた。とうとう彼は現像所を開け、私が撮影した最初の組み写真を引き受けてくれた。だがあまり感心しなかったらしい。電話をしてきてこう言った。「マルコ、君は何をやってたんだ」

 私は弁解した。初めての経験で、黒い袋の中で手探りでフィルムを装填しようとしたこと。調節がまずかったのか、フィルムの装填を失敗したか、何かちょっとミスをしたのだろう。暗闇の中ですべてを手探りと感覚でやるのは容易ではない。数ショットは使いものにならなかった。次の組み写真はうまくやると約束して、ありがたいことに、うまくいった。デニスは喜んだ。最終的には40コマから16コマを選び出すことができた。
 ヨハネスブルクの生活が通常に近いレベルに戻るまでは、かなり時間がかかるだろう。新型ウイルスの感染のピークは、まだ訪れていない。人々が事態の展開を時系列で記録して歴史を書き留めてきたように、今の私たちがこれほど大規模で強烈な出来事を目撃できることは、ある意味では幸いだ。だがそれには、非常に大きな責任も伴う。

 私たちが毎日持ち帰る写真は、一片のれんがとして、今展開しつつあるこの物語、地球上の全員に関わる物語に加えられる。私たちがもたらす写真は、何らかの意味や独自性を持ち、人に訴えかけるものでなくてはならない。AFPのような規模の機関で働いていると、歴史の動乱といった避け難いことに巻き込まれたように感じる段階がある。だが、今回の仕事が与えてくれたのは、立ち止まり、考え、集中し、別の見方を得る瞬間を見つける機会だった。私たち誰にでも、時にそうしたことが必要だ。身の回りで展開する歴史を理解する手助けとなるからだ。

このコラムは、AFPアフリカ支局のマルコ・ロンガリ・チーフカメラマンが、パリ本社のミカエラ・キャンセラ・キーファー(Michaela Cancela-Kieffer)記者と共同で執筆・記録し、2020年6月11日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。

【翻訳編集】AFPBB News