エリック・ユアン氏(写真:AP/アフロ)

 外出自粛により、世界中で一気に普及したのが、簡単にテレビ会議ができるZoomだ。もはや誰もが知っているZoomが作られた背景には、創業者の恋の物語があった。

 創業者のエリック・ユアン氏(50)は中国山東省出身。
 鉱山技師の家庭に育ち、子供の頃は廃材から銅をリサイクルして収入を得たこともある。

 山東科学大学へ進学したが、ガールフレンドと遠距離恋愛になってしまい、年に2回、電車で10時間かけて彼女へ会いにいった。電車は混んでいて、立ったまま眠れるほどひどい状態だった。

 大学1年のとき、電車に乗らず、離れていてもすぐに会話ができるものがないか必死で考え、そのアイデアが、Zoomに結実したという。当時のガールフレンドが現在の奥さんで、22歳のとき、学生結婚をしている。子供は3人だ。

 ブルームバーグの資産家情報によると、エリックは大学院卒業後、横浜で4カ月働いた。1994年のことだ。そのとき、ビル・ゲイツが語った「インターネットの未来」に関する演説に衝撃を受け、シリコンバレーを目指すことになる。

 だが、アメリカの労働ビザを取得するのは容易ではない。エリックは8回もビザの発給を断られたが、担当者に異議申し立てし、9度目にしてようやくビザを手にした。

 1997年、シリコンバレーに渡ったエリックは、WebExというビデオ会議アプリの会社で数年間働いた。当時は英語をほとんどしゃべれず、ただひたすら黙ってプログラムを書く毎日だった。

 やがてその会社が大手のシスコシステムズに買収され、エリックは技術部門の副社長にまで昇進する。シスコ在職中、「携帯から簡単に使える会議システム」という自身のアイデアを提案するが却下。やむなく、40人ほどの社員とともに独立してZoomを設立する。

 独立に対して好意的でなかった妻には、「長くてつらい道のりになるけど、挑戦しなかったら自分が後悔することになる」と説得した。独立の条件として、出張は年2回までと約束。息子のバスケの試合はもちろん、練習にまで顔を出していたと伝えられている。エリックは1日18時間働き、当初は、キャンセルしてきた顧客に対し、本人が1件1件メールを出して対応したという。

 ちなみに、社名はZoom以外に、Zippo、Hangtime、Poppyがあったと報道されている(CNBC、2019年4月18日)。どれも身近で覚えやすい名称である。

 テレビ会議システムは複数あるが、Zoomが支持されたのは、コロナが猛威を振るったとき、すぐに世界中の教育関係者に無料で公開したことだ。これにより、若い世代にあっという間に浸透し、競合他社を抑えて急成長した。

 エリックは、インタビューで「ひとつひとつの数字より、社員と顧客が喜べる文化を作り上げたことが誇りである」と答えている。

 Zoomは、2019年4月に上場すると、公開価格36ドルを大きく上回って65ドルの初値をつけた。当初、資金提供するベンチャーキャピタルが見つからず、親戚や友人から借金して会社を設立したため、莫大な利益を得た出資者たちの多くが無名な人ばかりだと話題になった。

 現在、Zoomの時価総額は6兆円超。エリックは、巨万の富の使い道について、「ビル・ゲイツらのように賢く使いたい」として、学校への寄付を表明している。

 プライベートについてあまり語られたくないというエリックのモットーは、「Hard work and stay humble(ハードワーク、そして謙虚に)」なのだという。(取材・文/白戸京子)