■タワマンを買う中産階級(パワーカップル)たち

タワーマンション(以下タワマン)は、地震国である日本には元来なじまないものであった。しかし都心や湾岸部での規制緩和(容積率緩和)や耐震技術の進歩により、続々とタワマンが林立し、2000年代以降、いわゆるタワマンブームが到来した。現在、日本全国にタワマンは1300棟以上、東京都だけでその3割にあたる400棟が存在する。

写真=iStock.com/kanzilyou
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本当の富裕層はタワマンを買わない。この国の伝統的富裕層は、もともと都心部の地価の高い住宅地に伝統的に土地所有権を有しているので、4階未満の一戸建て住宅に住む例がほとんどである。そして後述するが、マンションにおける区分所有という所有権形態が、大規模修繕や建て替えのときに自分だけの意思ではどうにもならない難物であると知っているからである。

タワマンブームが起こったゼロ年代初頭、タワマンの主力購買層はニュー・リッチと呼ばれる後発の富裕層であった。いわくそれは株や起業で財を成した新興の富裕層である。しかしタワマンがここまで普遍的になると、マンションデベロッパーはその購入ターゲットを新興富裕層からそれ以下の中産階級に拡大させざるをえなくなり、現在タワマンの主な購買層はパワーカップルと呼ばれる中産階級が担っている。

■パワーカップルの生態。一体何者なのだ

パワーカップルとは何か。「夫と妻の収入を合算した世帯年収が1000万円以上」(三菱総合研究所)、「夫婦ともに年収700万円超」(ニッセイ基礎研究所)と定義はさまざまだが、おおむね夫婦の合算年収が1000万円近くの購買力旺盛な世帯だと考えてよい。

1992年、国は「年収の5倍で住宅を」というスローガンを打ち出した。80年代末から90年代初頭、地価は高騰し住宅取得倍率(住宅取得金額が年収の何倍になるか)は、都心部で10倍以上に跳ね上がった。年収が500万でも、長期ローンを組んで5000万円の物件を買った時代があった。一般に取得倍率が5を超えると、家計はローンの返済に圧迫され、「適正な」消費生活に支障を来す。

ローン返済に汲々(きゅうきゅう)とし、それ以外の支出を厳密に抑える耐乏生活を行わないと、とてもではないが住宅取得はままならなかった。だから国は当時、無理のない取得倍率5をスローガンとしたのである。バブル崩壊以後、90年代の中盤をへてゼロ年代に至るまで、地価の下落で取得倍率は5に限りなく近づいていった(――また、優良な中古住宅が市場に出回ったことも要因である――)。しかし今度はデフレによる長期不況で世帯年収が頭打ちから減少傾向になると、総所得の減少で取得倍率はじわじわとだが上がりつつある。

■パワーカップルのタワマン購入、自殺に等しい

そんな中でマンション業界は、夫の年収だけではなく妻の年収をも合算した世帯所得を基礎に、世帯所得の5倍程度でようやく手が届く範囲のタワマンの売り出し戦略としてパワーカップルに照準を当てた。実際に銀行の住宅ローンでは、場合にもよるが年収の7〜8倍程度まで融資を受け付ける例が多い。となると、もはやタワマンの主力となったパワーカップルの世帯年収が1000万円だとすると、おおむね7000万〜8000万円の物件まで融資を受けられ、購入の射程に入ってくる。7000万円だと都内でも場所によるが敷地面積20坪程度の新築一戸建てが十分手に入るし、中古物件だとより安価になるが、どうせ長期ローンを組んで同じマンションを買うならタワマンのほうがいい、ということでタワマンブームは続いてきた、というわけだ。事実、東京都内の新築タワマン相場はおおむね5000万〜1億円である。

しかしすでに述べたように、取得倍率が5ないし7を超える住宅を、長期ローンを組み購入する行為は、自殺行為に等しい。住宅ローン返済費以外のあらゆる支出は耐乏を余儀なくされるのである。パワーカップルの定義は、前述した世帯年収だけではない。旺盛な購買意欲の存在もその定義入ってくる。だから室内の家具・家電にも最新のものを求め、子供の教育にも余念がない。

■パワーカップルの肥大した選民意識

こうなってくると、パワーカップルによるタワマン購入は、相当無理に無理を押してなされる破滅的住宅取得だが、SNS全盛の昨今、パワーカップルを主としたタワマン居住者は、その火の車の家計とは裏腹に、「ホームパーティー」や「自宅飲み会」の模様をこれみよがしに写真や動画としてSNSに投稿する。こういったこれみよがしの写真がSNSから発せられる例を見たことがあると読者も多いと思う。

アメリカの経済学者、ソースティン・ヴェブレンはこのような消費行動を「見せびらかしの消費」と呼んだ。自分たちは一等他の大衆とは違う選ばれた有閑階級であり、タワマンの夜景を眺めながら下々の暮らしを睥睨(へいげい)しつつ、気の置けない友人や知人を呼んで夜景をバックにホームパーティーを楽しんでいる--。実のところこうした自意識、肥大した選民意識こそが無理をしてまでタワマン購入に走らせる動機の最たる理由である。

宮部みゆきの傑作小説『理由』(1998年)は、こうした人々の自意識をくすぐるタワマンがある種のステータスとして羨望を集める中、千住地区のタワマンを、無理を押して不動産競売で落札した下町の住民が、トラブルに巻き込まれ破滅するサスペンスである。当時はタワマンブームの嚆矢(こうし)だったから、この小説の構成はまさに時代の先駆けとなる強烈な示唆に富んだものとなっている。

■○○と煙は高いところが好き

しかしながら今やタワマン購入者の主力となったパワーカップルが、本当に有閑階級なのかというと全く違っている。夫婦の合算年収が1000万円という程度の所得は、他の先進国基準では至って中産階級、場合によっては中の下程度である。慢性デフレ下で貧乏になりゆく日本にあって、中産下位の世帯が有閑階級を気取らざるをえないということ自体が社会の病巣の一つであるが、マンションデベロッパーは現地説明会ではそんなマイナス要素を一切口にしないので、百戦錬磨の営業マンに「低金利時代の今なら憧れのタワマンが手に入ります」と調子に乗せられ、嬉々として契約書にハンコを押し、銀行や公庫に平均寿命の半分弱に近い超長期ローンを申し込んでいく。

人間は自明のことを大々的にアピールしない。日本の有閑階級は、税務署の目を気にして「見せびらかし」の消費をせず、ひっそりと暮らしている場合がほとんどであり、自らが「下々の暮らしを高層階から睥睨する」ことで悦に浸ったりはしない。圧倒的強者は自らが強者であることをSNSでことさら喧伝する必要がないほど自明の強者だからである。無理に無理を重ねてタワマンを買ったパワーカップルが、これ見よがしにSNSで自らのタワマン生活を喧伝するのは、裏返せば自らの心の貧困と表裏一体であり、精神的には極めて脆弱(ぜいじゃく)な存在である。○○と煙は高いところが好き、とはよく言ったものだ。

■コロナ大不況がタワマン中産階級の家計を襲う

しかし、取得倍率が5とか7を超えて、無理に無理を重ねてタワマンを購入したパワーカップルの涙ぐましい自意識生活も、今次コロナ禍で崩壊するだろう。最近発表されたIMFの経済予測は衝撃的であった。20年の世界経済はマイナス3%程度に急減速する。先進国の経済成長は特に欧州でマイナス5%から10%の範囲に落ち込む。世界経済をけん引してきた中国経済は、わずかにプラスだが1%台にという歴史的低水準に降下する。世界経済の旗振り役が居なくなり、日本の経済成長予測はマイナス5%強となる。まさしく08年のリーマン・ショックよりも巨大な恐慌が始まりつつある。

このような中で、日本経済は確実にデフレが高進する。当たり前のことだが、デフレ下において負債は実質的に増大する。単純計算でマイナス2%のデフレは5000万円の負債を5100万円に膨張させる。これに対し、低いとはいえ決して無視できない住宅ローンの金利がのしかかってくる。すると住宅ローンはただでさえ貧弱な家計をますます圧迫する。

■パワーカップルのいずれか一方が失業すれば破滅の音はさらに近づく

タワマン購入時、「いざというときは購入したマンションが資産になるので安心である」などという口上は崩壊する。当たり前だが、タワマンを手放したいと思っても買い手がつかなければ現金化はできない。不動産の現金化には時間がかかるのは常だが、恐慌下ではますます買い手が居なくなる。パワーカップルのいずれか一方が失業すれば破滅の音はさらに近づく。そうして購入時に「いざというときには資産になる」などという期待は裏切られ、大幅に値引いた形で部屋を手放す所有者が激増する。そうして底値まで下がったタワマンを絶好の好機ととらえて虎視眈々と狙い、余裕資金でもって投資目的等で購入するのは、同じパワーカップルなどではなく、この国における真の富裕層、つまり都心部に伝統的に土地所有権を有し、デフレ下で実質的に金融資産が肥大する富裕層や法人である。これは、現在だけではなく過去にも繰り返されてきた弱肉強食の摂理である。結局、地主・土地持ちが絶対の勝者なのである。

こういった構造を知らないか、知っていても頭の片隅に追いやってつかの間の「タワマンでホームパーティー」画像をSNSに投稿して悦に浸っている偽りの有閑階級が、今次コロナ禍の人的被害よりも圧倒的に深刻化するであろう経済恐慌を無事に乗り越えられるかどうかは相当怪しい。

■引くも地獄、進むも地獄

仮に窮乏生活に転換し、あらゆる防衛手段を講じて恐慌を耐え抜いても、タワマンはその構造上、高額な大規模修繕費用がのしかかってくる。恐慌後、脆弱な経済基盤と机上の返済計画しか持ちえないタワマン入居者が多数破綻する中で、購入時の計画通り管理組合が修繕費を捻出できるかどうかは、実は未知数なのである。すると、一戸当たりの床面積に比例して追加で拠出を迫られる大規模修繕費用が出せないということになる。近代建築技術の粋を集めて造られたタワマンは、図体がでかすぎて修繕しないとたちまち劣化し、廃墟化の道が待っている。

こうなると資産もへったくれもなく、不動産は「負動産」となる。保有しているだけで管理費・修繕費・固定資産税を垂れ流す「負動産」だ。事実、現在ですらバブル期に建造されたリゾート地のタワマンはこのような惨状になりはて、一室15万〜80万円というタダ同然の値付けでも買い手がついていない。解体しようにも区分所有者全員の賛同を得ないと実行できず、引くも地獄、進むも地獄の状況が待っている。

こういった不確実要素が多すぎるからこそ、本当の金持ちは新築タワマンに手を出さない。デベロッパーはプロの狼で、購入希望者は知識のない羊である。最初から下町のつましい中古一戸建てを買って、自意識に溺れない生活をしてればこんなことにならなかったのに、と悔やんでも時計の針は元に戻らない。人間の自意識ほど高い代償はない。

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古谷 経衡(ふるや・つねひら)
文筆家
1982年、札幌市生まれ。立命館大学文学部卒。保守派論客として各紙誌に寄稿するほか、テレビ・ラジオなどでもコメンテーターを務める。オタク文化にも精通する。著書に『「意識高い系」の研究』( 文春新書)、『日本型リア充の研究』(自由国民社)など。
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(文筆家 古谷 経衡)