高級フレンチレストランが料理の名前を「オマール海老のカルパッチョ、マンダリンと根セロリのカリソン仕立て、黒トリュフとトピナンブールの軽やかなソース」などと長たらしくするのはなぜだろうか。なぜ「エビの冷製サラダ」ではダメなのか。東京大学経済学部の阿部誠教授は「われわれが味わっているのは情報だからだ」という--。

※本稿は、阿部誠『東大教授が教えるヤバいマーケティング』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

写真=iStock.com/hfng
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/hfng

■1億円のピアノの音色を聴き分けられる人

お正月や番組改編期の特別番組として恒例になった「芸能人格付けチェック」を見たことがありますか? 1本100万円のロマネ・コンティと1本3000円のチリ産カベルネ・ソーヴィニヨンをブラインドで比較して、高級ワインを嗜んでいるはずである芸能人の半数以上が答えを外してしまいます。通常、私が自宅で飲む赤ワインは1000円もしないので、3000円ぐらいになるとかなり質が高いのかと気になったりします。

その他にも、気仙沼産高級フカヒレと春雨の味の違いが分からない、1億円のスタインウェイと20万円の中古のタケモトピアノでは音が同じように聴こえる、小学生が描いたのならまだしも、サルが描いた絵と10億円のモダンアートとを区別できないなど、滑稽ではありますが、おそらく自分も分からないだろうと、変に納得をしながら番組を見ています。

似たような事例として、ワシントン・ポスト紙に掲載されたジーン・ウェインガーテン氏による2007年4月の記事「朝食のまえの真珠」を紹介しましょう。この記事は、ラッシュアワーで慌ただしい米国の首都ワシントンの地下鉄駅構内で、世界的に有名な演奏家ジョシュア・ベルが、素性を隠しストリート・ミュージシャンとしてバイオリンを弾いたときの人々の反応を書いたものです。

■確証バイアスがないと、ものの区別はつかない

グラミー賞も受賞したジョシュア・ベルは、カジュアルな服装に野球帽をかぶると、1億円以上もするストラディバリウスでコンサートと同じ曲を弾きました。45分間の演奏中、ベルの前を通った1097人のうち、立ち止まって耳を傾けたのはたった7人。半数以上の人は見向きもせずに目的地に向かっていったのでした。もらったチップはわずか32.17ドル、そのうちの20ドルはベルと気付いた人からのものでした。

この状況は隠しカメラによってビデオ撮影もされていました。ウェインガーテンはこの記事で、新聞等の報道、文学、作曲に与えられる米国でもっとも権威あるピューリッツァー賞を獲得しました。

その分野の専門家でもない限り、一流のものとそうでないものの区別は、一般人にはなかなかつきません。しかし事前に「大変、貴重なものだ、高価なものだ」という情報を知ると、そう見えてくる、そんな感じがしてくる効果は、確証バイアス(自分が欲しい情報だけを探し、信じること)の一種といえるでしょう。それではもし、情報がテイスティング(消費)のあとに与えられたのならば、人はどう判断するでしょうか?

■バルサミコ酢入りのビールはうまいか?

ここでは、コロンビア大学のリーらによる興味深い実験を紹介します。まずはテイスティング用に2種類のビールを60ミリリットルずつ用意しました。Aは普通のバドワイザー、Bはそれにバルサミコ酢を微量(10ミリリットルに対し1滴)加えたものです。そして被験者を三つのグループに分けて、それぞれ異なった状況でテイスティングをしてもらいました。

事前条件では、この2種類のビールの中身を説明したうえで試飲させて、どちらが好きか評価してもらいます。事後条件では、両方のビールをまず試飲させてから、AとBそれぞれの中身を明かして、どちらが好きか評価してもらいます。

ブラインド条件では、事前・事後ともに何も伝えずに2種類のビールを試飲してもらったあとで、どちらが好きか評価させます。中身を知ったあとに回答を変えてしまう後知恵バイアス(バルサミコ酢入りのBの方が好きだというと味音痴だと思われてしまう)の影響を最小限に抑えるために、どちらが好きかの評価は、(1)自己申告、(2)選んだ方のビールを1杯無料でプレゼントする、(3)レシピ(10ミリリットルに対し1滴の割合)とともにバルサミコ酢を用意して、プレゼントしたバドワイザーに自発的に酢を加えるかを隠れて観察する、の3通りで判断しました。

■試飲前に中身を知ると評価が下がるカラクリ

結果は、バルサミコ酢入りビール(B)を好んだ人の割合は、ブラインド条件が一番高く(59%)、事前条件が一番低くなって(30%)、この差は統計的に有意でした。事前条件に割り当てられた多くの被験者が、おそるおそるBを試飲していたことからも、この結果は容易に想像できました。事後条件でBを好んだ人の割合(52%)は、この二つの条件の中間になりましたが、事前条件の割合より有意に高く、ブラインド条件とは有意な差がありませんでした。

結果をまとめると、バルサミコ酢入りビールを好んだ人の割合は、【ブラインド条件】≅【事後条件】>【事前条件】となったのです。つまり、ビールを飲んだあとでバルサミコ酢のことを知った被験者は、そのことをまったく知らない被験者と同じくらい気に入ったのですが、そのことを試飲前に知ってしまうと、選好は大きく下がるのです。

■ビジネスには雰囲気も重要

このことから何が分かるでしょうか。経験が知識に惑わされないのであれば、バルサミコ酢が入っているという知識は試飲の前に得ようが、あとに得ようが、ビールの選好には同じ影響をもたらします。したがって、ここでは、知識が経験自体を変えたと解釈すべきです。

事前条件の場合は、飲んだときに感じた普段と少し違う味や曖昧性の理由を、ビールに本来入れるべきでない添加物(バルサミコ酢)のせいだと思い、試飲自体がネガティブな経験に仕立て上げられたのでしょう。他方、事後条件の場合には、曖昧性はこのビールの特徴であって、必ずしも(飲んだあと初めて存在を知った)添加物のせいではないと考え、試飲経験は中立のままなのです。

ここから得られるマーケティングの示唆は、ビジネスでは、消費者の経験に影響を与える副次的な要素を理解することが重要であるということです。高級レストランであれば、味だけでなく、豪華な内装や雰囲気、ウェイターのマナー、美しい食器、さまざまな形状のワイングラス、これらすべてが食事経験に重要な役割を果たします。メニューの表記も、単に「エビの冷製サラダ」などとするのではなく、「オマール海老のカルパッチョ、マンダリンと根セロリのカリソン仕立て、黒トリュフとトピナンブールの軽やかなソース」といったものにするべきです。

■消費者の期待値が経験の質を上げる

コンサートであれば、ホールの環境・内装も非常に重要です。製品ではブランド名が期待を高めます。同じようにつくられたバッグでも、COACH、Louis Vuitton、キタムラとブランド名が付くことによって、所有体験が高揚します。つまり消費者の期待を上げることが、経験全体の質を上げることにつながるのです。

ここで一つ問題が出てきます。一般的に顧客満足度は、購買後の知覚パフォーマンス(価値)と購買前の期待との差で定義されます。つまり得られた価値が期待を超えれば超えるほど、顧客満足度は高まるのです。しかし、ここで見たように、期待を上げれば消費経験自体の価値も上がるので、顧客満足度を上げるために期待と知覚の差を大きくすることは、なかなか難しいということです。

■コカ・コーラは脳を活性化させる!?

みなさんは1980年代に一時期、日本でも行われた「ペプシチャレンジ」というキャンペーンをご存じでしょうか? これは一般消費者を対象に、ペプシコーラとコカ・コーラをブラインドで飲み比べてもらい、より多くの人がペプシコーラを好んだというCMです。

一方、両方のコーラのラベルを隠さなかったコカ・コーラ社による味覚調査では、より多くの人がコカ・コーラを好んだ結果になりました。これも知識が経験に影響を与えた事例ですが、これを神経科学の観点から研究した2004年のマクルーアをはじめとするヒューストンのベイラー医科大学神経科学チームらの論文を紹介しましょう。

彼らはfMRI(機能的磁気共鳴画像)を用いて、コカ・コーラとペプシコーラを飲んだとき、脳のどの部位が活性化するかを、ブランドを見せた場合と隠した場合とで比較しました。

実験は、被験者がfMRIの大騒音の中で仰向けになり、口に咥(くわ)えたチューブから液体を流し込まれるという、通常コーラを飲む状況とは大きく異なった環境で行われました。

■ビール狂でも本当のビールの味はわからない

ブランド名が伏せられた場合は、どちらのコーラでも口に入ったとき、感覚(味覚)と快楽(糖分)を感じる脳の前頭前野腹内側部(VMPFC)が活動しました。一方、ブランド名を明かした場合は、コカ・コーラだけ、脳の前頭前野背外側部(DLPFC)が反応したのですが、ペプシコーラでは反応しませんでした。DLPFCは、短期記憶や連想などの高度な認知機能をつかさどる部位です。これはペプシコーラにはないコカ・コーラへの特別な文化的感情やブランドイメージが、高次の脳機能を活性化させたと考えられます。

阿部誠『東大教授が教えるヤバいマーケティング』(KADOKAWA)

この実験により、VMPFCは感覚を、DLPFCは感情を、と別々の要因に影響を与えて、対象への選好が形成されると彼らは結論付けました。大がかりな実験のため、サンプル数が67と少ないのと、コーラを摂取している環境が非日常的であるという問題はありますが、脳内メカニズムを視覚化したことは、大きな進歩でしょう。

私は大のビール好きで、飲みに行ったときは最初から最後までずっとビールです。アメリカに住んでいたときは、法律で禁止されていないので、自分でビールをつくったこともあります(サミエル・アダムスのような味だと友人からは好評でした)。国産4社の違う銘柄を置いている居酒屋などでは、いろいろなブランドを混ぜて注文して当てっこをします。合宿など、旅館でビールを飲むときには、必ず1本1本違うビール、発泡酒、新ジャンルを混ぜて買ってきて、みんなでブラインド・テイスティングをします。それでも相変わらず正解を外してしまうことに、最近は慣れてくるとともに、納得し始めています。やっぱり自分もラベルを飲んでいるんだなあと……。

----------
阿部 誠(あべ・まこと)
東京大学大学院経済学研究科・経済学部教授
1991年マサチューセッツ工科大学博士号(Ph.D.)取得後、2004年から現職。ノーベル経済学賞受賞者との共著も含めて、マーケティング学術雑誌に論文を多数掲載。2003年にJournal of Marketing Educationからアジア太平洋地域の大学のマーケティング研究者第1位に選ばれる。おもな著書に『(新版)マーケティング・サイエンス入門:市場対応の科学的マネジメント』(有斐閣)などがある。
----------

(東京大学大学院経済学研究科・経済学部教授 阿部 誠)