幼児を放置して「彼氏」に会う42歳女性の悲哀
毎日イライラして6歳の長女に暴言を吐いているという沢田さん(編集部撮影)
この連載では、女性、とくに単身女性と母子家庭の貧困問題を考えるため、「総論」ではなく「個人の物語」に焦点を当てて紹介している。個々の生活をつぶさに見ることによって、真実がわかると考えているからだ。
今回紹介するのは、「私も北関東出身で、この記事にすごく共感しました。ただ、私の地元はもっと田舎で風俗すらないです。私は誰の助けも得ることができず、学校(専門)も捨てて飛び出してきました」と編集部にメールをくれた42歳の女性だ。
【2019年4月5日17時35分追記】取材に応じた42歳の女性は現在、地元の児童相談所と自治体の担当課と連絡を取り合い、相談を進めています。
カラダを動かすのは彼氏に会いに行くときだけ
「私、子どもを虐待しているかもしれません」
沢田綾子さん(仮名、42歳)はファミレスに入るなり、そう語りだした。表情は真顔だった。店内は昼時で混みあっていたが、声は若干大きく、誰に聞かれてもかまわないといった様子だ。彼女が虐待しているかもしれない子どもは、6歳の保育園に通う長女という。
「もう、毎日、毎日、ずっとイライラしています。最近、子どもに暴言を叫んでいることに気づきました。朝や夜、必ず子どもに怒っているんです。うるせーんだよ! 静かにしろよ! 早くしろよ!って」
埼玉県北部のある駅前、低価格で有名なファミレスで待ち合わせた。東京から2時間ほど、JRの車窓からはずっとなにもない田園風景が続いたが、その駅の周辺だけわずかに商業施設が建ち、数は少ないが通行人がいた。
バツ1のシングルマザーで、近くの県営団地に住んでいる。家賃は月7700円、低所得なので減免を受けていて安い。家族関係は複雑で現在中学生の長男は元夫との子で、6歳の長女は未婚の元恋人との子どもである。
「明らかにネグレクトです。上の子が中学生になって、お風呂を入れるとか着替えさせるとか、いろいろ押しつけるようになりました。私は基本的に、一日中ぼーっと寝ているだけ。カラダを動かすのは彼氏に会いに行くときくらいです。育児をする気が起きません」
一家が暮らす団地の一室は、いつも母親の怒鳴り声と子どもの絶叫するような泣き声が聞こえる。毎日、うるさいので隣近所には嫌われている。近所付き合いは一切なく、保育園のママたちの中でも浮いている。ネグレクトや虐待の自覚はあって、このままではいけないと思っても、やめることはできないという。
前々回の記事(北関東出身の彼女が地元と実家に絶望するワケ)がアップされたその日に、沢田さんから“私も同じ境遇で、すごく共感しました”というメッセージが届いた。
「あの東京に逃げだした女性は、私と同じだと思いました。専門学校在学中に彼氏ができて、苦しかったあの実家とあの地域からでました。それから離婚したり、精神疾患になったりして、ずっと苦しい生活は続いています。
離婚したのは震災の年で、最終的に本格的に精神状態がおかしくなって。境界性パーソナリティ障害、しばらくして解離性障害もあると診断されて、働くことはドクターストップがかかっています。だからこの8年間、ずっと無職です」
障害者手帳は3級で、無職。収入は厳しく、長男の父親である元夫からの養育費4万円、児童扶養手当5万2900円、児童手当2万円。この8年間は月11万2900円の収入だけで一家は暮らしている。6年前、厳しい経済状態の中で出産して扶養家族は増えてしまった。安い家賃など、さまざまな減免があってなんとか暮らせている。
北関東では長男だけが優遇される?
そして、前々回の北関東から東京に逃げた女性と、沢田さんの出身地は同じ県だった。2人とも実家の場所を詳しく聞いたが、距離もそんなに離れていない。産業も観光も、目立った商業施設もない北関東のある県は、どうして続々と女性たちの精神がむしばまれ、また逃げだすほど閉塞しているのか。
「私がおかしくなったのは、育った環境からだと思うんです。実家は旧家の本家でお兄ちゃんしか大切にされなかった。私は親から愛された記憶は一切ありません。子どもの頃から今に至るまで本当にどうでもいいって感じです。
親に褒められようと頑張っても、おまえは恥ずかしい子、外を出歩くなみたいな。学校ではイジメられ、家では恥ずかしい子扱い。子どもの頃から、ずっとひたすら淋しかった記憶があります」
長男だけが優遇されるのは、北関東では名家も貧しい層の家にも共通する風習のようだ。彼女だけではなく、北関東で取材すると、ほとんど全員が同じことをいう。兄は頭脳明晰で成績優秀だったこともあって、両親の愛情と期待は長男だけに集中した。彼女は生まれたときから、一言すら褒められた経験はないという。
「男の人に依存するようになったのは高校時代から。男の人だけは優しくしてくれた。実家を出たのは専門学校在学中のとき。付き合っていた年上の男から逃げて、埼玉の大宮に行った。学校は辞めて水商売をしながら、ずっと一緒にいたくてその男と同棲したんです。すごく稼げてお金には困らなかったけど、相手はギャンブル狂いで借金まみれでした」
娯楽のない北関東はパチンコ、競艇などのギャンブルが盛んだ。4歳上の恋人はパチンコとスロットが好きで、暇さえあれば、パチンコ店に通っていた。稼いでもすべてギャンブルに使い、最終的には数社のカードローンが満額になった。総額300万円近い借金である。
「怒りっぽい粗暴な性格で、ギャンブルに負けると私にあたる。殴られたり、蹴られたりが日常になって嫌になって別れたいと言ったときから、すごい暴力を受けるようになった。その人は末っ子、私と同じ境遇で、親が長男ばかりかわいがって父親から虐待を受けていた。それでグレてそういう性格になってしまったようでした。自分の思い通りにならないと、本当に狂ったように暴れる」
血まみれになって裸足で実家に逃げた
ある日、殺されるのではないかと思うほど、殴られたことがあった。鼻血がでて血まみれになっても、暴力はとまらなかった。裸足で逃げた。車に飛び乗って、痛みに耐えながらハンドルを握って実家に助けを求めた。実家に戻ると、両親と兄がいた。手当てはしてくれた。そして、数時間後に追いかけてきた男が実家までやってきた。
「男は実家に上がり込んできて、私を抱えて外に連れだした。放り投げるようにして、車に乗せられた。両親とお兄ちゃんに助けてって叫んだけど、全員黙ったままで私を見ようとしない。後ろ姿に何度も助けてって叫んだけど、ダメでした。結局、連れ戻されてまた同じ生活です。そのとき、本当に誰も助けてくれないことを悟りました」
両親の愛情不足が原因で男性に依存するようになったという沢田さん(編集部撮影)
ランチタイムのファミレス、角の席に座る沢田さんの独白のような話は続いた。声が大きい。隣の席に座る客は、時折、われわれのほうを眺めている。男から逃げることができたのは、18歳のときだった。
「そのあたりから本格的に男に依存するようになりました。寮付きの水商売を転々とした。優しい言葉をかけられたらすべてOKしていました。優しくされるだけでうれしくて、断れないし、断る理由がない。恋人を1人に絞るみたいなことができなくて、男関係はずっとメチャクチャでした」
この7年間ほど、ずっと心療内科に通っている。心療やカウンセリングで自分のことを考えることがあり、現在も語りながら自分自身を整理しているようだった。
ひたすら男性との関係は増えていった。同時進行した恋愛関係の最高人数は7人の恋人と、3人の肉体を目的にした友人関係という。一日、何人もと重なる。予定を覚えきれず、混乱するほどだった。そして、27歳のときに長男を妊娠した。SNSで知り合った男性で、7つ年上の新聞配達員だった。
実家から離れて10年近くが経っていた。妊娠がわかったとき、最初に浮かんだのは両親の喜ぶ顔だった。
「長男を出産するとき、親に期待した。お兄ちゃんはまだ子どもができていなかったから、初孫だって喜んでもらえるかなって。中絶してもよかったけど、両親の喜ぶ顔に期待して結婚と出産を決めた。兄の嫁にも何度も電話して出産の予定がないことを確認して、婚姻届をだしました」
長男が生まれてしばらくは両親もかわいがってくれた。しかし、長男が2歳のとき、兄の嫁から妊娠したことを聞いた。両親は「やっと、跡取りが生まれる!」と心から喜び、それ以来、長男に関心を失ってしまった。
「たぶん精神がおかしくなったのは、そのときから。お兄ちゃんの家に子どもが生まれなければ、全然違った。初孫だったので両親にかわいがってもらえるって舞い上がっていたので、地に突き落とされた気分でした。兄の子どもを殺しに行くしかない、って本気で思った」
誰かと肉体関係がないと不安になる
沢田さんは夫に心療内科に連れていかれた。境界性パーソナリティ障害と診断された。気分の波が激しく不安定で、強いイライラ感が抑えられなくなる症状がある。幼い時期に母親と安定的な関係が築けなかった、親から褒められたり認められた経験不足などが、発症の原因になることもあるという。
「言いにくいのですが、誰かと肉体関係がないと不安になる。結婚してしばらくはよかったけど、夫に毎日毎日求めてしまって、あるときから夫は求めるほど、逃げていきました。疲れているとか、もう勘弁してくれとか。それでイライラして暴れたり、見捨てられたと延々泣き続けたり。
そんなときに出会い系サイトを知って、そこでの男性との出会いに依存するようになりました」
最終的に肉体関係を拒否する夫に暴力をふるった。まずい、いけないという自覚がありながらも自制できない。暴れるほど、夫婦関係は険悪になった。
出会い系サイトで男漁りが止まらなくなって、長男の育児を放りだして毎日のように不貞行為を続けた。34歳、夫の強い要望で離婚した。養育費は月4万円となって、元夫は現在も払い続けている。
夫に逃げられて、つねに不安定な沢田さんと就学前の長男だけが残された。どうしていいかわからなくなり、最後の願いと思って母親に「帰っていい?」とメールした。離婚後、長男を連れて実家に戻った。
「震災の年です。実家に戻ったら、両親にとことん離婚を責められました。“ここはお兄ちゃんの家、あんたは置いておけない”“やり直せ”“夫婦は一生添い遂げるもの”って。
この家から子どもを小学校に通わせたいって土下座して頼んだけど、結局、ひたすら罵られて追いだされました。子どもは養護施設に預かってもらいました。そのとき心が完全に壊れた。毎日、起きると涙。布団に入ると涙、みたいな」
さらに解離性障害と診断されて、働くことにドクターストップがかかった。
働くことだけではなく、恋愛も精神状態が不安定になるから禁止と言われた。親も兄も疎遠となって、どこにも友達もいない。孤独でおかしくなりそうになった。孤独から逃れる手段は出会い系サイトしかなく、再びひたすら見知らぬ男と会うようになった。
「もう、数えきれないほどの男性に会いました。本当に数えきれない。自分でもわけがわからない感じで、男の人に優しくされたくて、優しい言葉をかけてもらいたくて、ひたすらメッセージのやり取りをした」
現在暮らす団地に引っ越して、つねに5、6人と恋愛を同時進行した。家で寝ているか、見知らぬ男性と会っているかだけの生活だった。そして6年前、振り込め詐欺メール送信業者の男性と知り合った。大勢の中の1人だったが、彼との子どもを妊娠してしまった。
認知だけして、見舞いにもこなかった
「相手は収入が低かったので、妊娠はショックだったみたい。結婚も乗り気じゃなかった。結局、認知だけしてもらって産むことにしました。無職で収入もないのに大変ってわかっているけど、子どもだけは私の近くにいる。だから欲しいなって思った。6年前、長女が生まれました」
男は認知だけして、見舞いにもこなかった。両親に出産予定日を連絡しても、興味なさそうに切られるだけ。孤独の中での出産となった。難産で帝王切開となって、長女はやっと生まれた。本当に苦しい出産だったが、労ってくれる人は誰もいなかった。
「4年前、長男を養護施設から戻して、一緒に住むようになった。長女のことは3歳くらいまではちゃんと面倒みていました。でも、だんだんと育児が嫌になった。それで、今みたいに育児を長男に押しつけて、それで私はまた出会い系サイトに依存です。この3年間はネグレクトして、毎日のように男に会っています。同じことの繰り返しです」
4月5日発売の書籍『東京貧困女子。』がどのような内容なのか、ぜひ特設サイトをご覧ください(画像をクリックすると特設サイトにジャンプします)
子どもの頃の愛情不足は、母親になって新しい家族ができても、40歳を超えても癒やされないようだ。現在、40代未婚と50代既婚の恋人がいる。未婚男性は「本当にいい人」らしく、近々に再婚する予定だ。しかし、50代の既婚男性との恋愛もやめることはできず、出会い系サイトのアクセスも続けている。新しい男と会うこともやめられない。
彼女は2時間くらい、ひたすらしゃべっただろうか。それでも話は止まらなかった。隣席は2組が入れ替わっている。私が長女のことを質問しても、すぐに現在の男の話に戻ってしまう。長女が追い詰められている今この瞬間も、現実逃避から逃れられないようだった。
【2019年4月5日12時00分追記】初出時、不適切な表現があったため、記事の一部を修正しました。
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