今月1日、ブラジル第38代大統領に就任したジャイル・メシアス・ボルソナロ氏(写真:ロイター/共同)

「トロピカル・トランプ」「ブラジルのトランプ」――。こう呼ばれる極右のジャイル・ボルソナロ氏が1月1日、ブラジルの大統領についてから早10日が過ぎた。同性愛者や女性などに対する極端な差別発言から欧米のリベラルメディアを中心に警戒されている同大統領だが、サンパウロで人々の声を聞いてみると意外と期待感が高いことに驚く。

思えば、2018年10月末、社会自由党(PSL)の同氏が労働党(PT)のフェルナンド・アダジ前サンパウロ市長を破り、大統領当選が決まった瞬間からそうだった。サンパウロの町には爆竹が鳴り響き、一気にお祝いムードに包まれたのである。ブラジル人にとっては、2016年にジルマ・ルセフ大統領が罷免されるまで14年間続いた労働党政権が敗れ、新たなブラジルが始まった瞬間だったのかもしれない。

トランプ大統領も祝福ツイート

「周囲の人はみんな彼に期待しています。タクシーの運転手もモトボーイ(バイク便の運転手)も友人たちも」と、事務員の女性(42)は話す。「まだ就任して10日しかたっていないから、わからないけれど、彼はブラジルを最悪だったPTよりもよくしてくれると思う。どれだけ公約を守るかが問題だけれど」。

中小企業を営んでいるという男性(56)も、「これまで大統領がひどかったので新政府になって状況がよくなることを願っているし、期待している。今までの大統領達は治安、景気をよくすると言ってきたが、結局何も変わらなかった。とにかく、仕事がしやすい、住みやすい社会になるよう頑張ってほしい」と期待感をにじませる。

盛り上がっているのは、国民だけではない。「たったいま就任演説をしたジャイル・ボルソナロ大統領おめでとう――アメリカはあなたとともにある!」。アメリカのドナルド・トランプ大統領は、ボルソナロ大統領就任直後、こうツイートした。これに対して、ボルソナロ大統領は「神のご加護のもと、アメリカとブラジルはともに、繁栄と発展をわれらの国民にもたらしましょう」と返した。

サンパウロの人たちの話を聞くかぎり、PTによる政権運営が終わったことに対する安堵感が広がっていることを感じる。実際、PT時代は政治的汚職が横行し、景気も乱高下。労働者は生活にあえぎ、失業者が続出した(現在失業率は11.8%以上)。それにもかかわらず政治家の巨額不正が次から次へと発覚し、国民の不満は募る一方であった。

景気改善を望む向きは強く、現地紙「フォーリャ・デ・サンパウロ」が12月に行った調査によると、回答者の65%が今後数カ月間で景気は回復すると期待している。ボルソナロ大統領自身は、経済の専門家ではないものの、シカゴ学派のエコノミストで、ピノチェト政権時代にチリで代務大臣を務めた経験のあるパウロ・ゲデス氏を経済顧問に起用するなどして経済改革に取り組む姿勢を見せている。

ある男子大学生(21)は、「ジルマ大統領時代は、奨学金を途中で切られて辞めなければならない友達もいたけれど、今度の大統領は、軍出身者だし信頼できる。PT党時代よりはるかによくなると思う」と景気回復を期待する。

治安改善も懸案事項の1つだった。非営利団体「ブラジル公安フォーラム」の調査によると、2017年には過去最悪の6万3880人が殺人の被害にあっている。現地紙「ニッケイ新聞」によると、「サンパウロ市では、2014年に強盗・窃盗事件が前年比18%、窃盗殺人が5%増えて以来、つねに高い比率で事件が起きている」。こうした中、ボルソナロ大統領は1日の就任演説で、治安改善に取り組む方針を示した。

差別発言などで要注意人物とみられていた

とはいえ、誰もがもろ手を挙げて新大統領誕生を祝っているわけではない。「ブラジルの命運を左右する時代に突入した」。アメリカのニューヨーク・タイムズ紙は1月9日、「ブラジルの危なっかしい第一歩」と銘打った社説で、ボルソナロ政権が直面する政治的、経済的な闘いをこう表現した。

そもそも、やはりボルソナロ大統領自身、問題が少なくない人物である。1955年生まれ、サンパウロ州出身の同氏は、22歳でリオ・デ・ジャネイロの陸軍学校を卒業し、28歳で陸軍大尉の階級を取得。軍人の所得が低いことを雑誌に投稿し軍倫理規則の違反で禁固刑を受けたほか、物議を醸す発言などで、陸軍時代から要注意人物としてみられていた。

35歳の時にリオ・デ・ジャネイロの連邦議員に当選し、政治家としてのキャリアをスタートした。2014年の下院選では、約46万票を獲得し、リオ・デ・ジャネイロ州の下院議員でトップ当選するものの、2017年の下院議長選に3度目の立候補をするが落選。ボルソナロ氏は、国民の人気はあるが、その発言の強烈さから議員の支持はほとんどなかった。

実際、その発言はさまざまなハレーションを引き起こしている。同性愛者嫌いと女性蔑視の差別発言をしてきたことから、ブラジル在住で同性愛者のアメリカ人記者には、「民主主義の世界で選ばれた最も女性嫌悪の公職者」と呼ばれ、大統領戦中には暴漢に刺された。当初、命には別状がないと発表されたが、治療にあたった医者によると実際は命にかかわるほど傷が深かったらしい。

同氏が大統領になることでブラジルは右傾化し、軍政時代に戻ることを心配する人も少なくない。こうした中、大統領戦中にはブラジル全国の州都ばかりか世界各地の都市で、「Ele nao(彼はノ―だ)」というスローガンが掲げられ、数十万人の反ボルソナロ運動が巻き起こったほどだ。

PTによる政権運営はもうこりごり

そんな人物がなぜ大統領選で勝てたのだろうか。選挙では、ボルソナロ氏が極右で支持者は主に高所得者層、アダジ氏が左翼で支持者は低所得者層と見られていた。これまで、PTは低所得者層に対して生活扶助制度「ボルサ・ファミリア」などの福祉政策を行ってきたことから、低所得者層に絶大な人気があった。実際、今回の選挙でも低所得者層が多い北東部のすべての州で労働党のアダジ氏が勝利している。

ブラジルは低所得者が高所得者に比べて圧倒的に多いほか、ボルソナロ氏を嫌う女性や同性愛者も少なくないため、普通に考えればバダジ氏が勝利したはず。それにもかかわらず、ボルソナロ氏が勝利した理由がわからなかった。そこで、選挙後、無作為に選んだ人々40人に、誰に投票したか、そして、その理由を尋ねてみた。

すると、8割がボルソナロ氏に投票し、その理由として「そろそろ新しいブラジルになるべきだ。PTはもうたくさん」「汚職贈賄にはうんざり」「治安の良化を欲する」と、皆ほぼ同じような答えが返ってきた。多くの国民は、政治家の巨額な汚職贈賄・マネーロンダリングなど不正にうんざりし、悪化する景気、治安に疲弊し辟易していたのである。

今回の下院選に、大統領を罷免されたジルマ元大統領がリオ・グランデ・ド・スル州から出馬した。当初その知名度から当選を確実視されていたが、その結果は落選であった。このことからも、いかに労働党が国民に信頼・人気がなくなっているかがわかる。

「とにかくPTには入れたくなかった。約14年にわたりブラジルを自分のもののように扱ってきた。PTはもうたくさん。そろそろ新しいブラジルになるべきだ」。アダジ氏に入れなかった理由として同様に答える人が多かった。

いろいろ問題はあるものの、汚職まみれだったPTに比べてボルソナロ氏の方が「マシ」と考える人は多い。低所得者層からも、新しいブラジル、クリーンな政治家を望む声が増えていた。その一方で政治離れがおき、今回は1989年以来、無効票または無投票が28.8%となり、最高を記録した。そのことも少なからず影響していると思われる。

ボルソナロ政権の閣僚4人が元軍関係者

ボルソナロ氏に投票した多くの有権者は、極端な右翼化や軍政に走る可能性は少ないだろうと考えている。実際、大統領選以来、ボルソナロ氏の極端な主張は和らげられ影を潜めてきた。

前述の中小企業経営者も「今回選ばれた閣僚の4人(22人中)が元軍関係者で副大統領も元軍人だが、ブラジルは今では経済大国になっているので、今さら軍制には戻ることはないのではないか。軍自体も同様のことを言っているからその心配はないだろう」と話す。

一方、政治面ではボルソナロ政権では、政府機関の数を29省から最大17省に削減することを明言し、ルラ・ダ・シルバ元大統領を刑務所送りにしたセルジオ・モーロ判事を法務大臣に指名した。また、紛糾している年金制度改革可決を年内に目指すなど活発に動き出した。経済面でも、市場重視の政策に移行することを掲げている。

ただし、「国会でも大部分が野党なので、社会保障改革をしようとしているが、結局は実現できないのではないか」と電気技師の男性(23)は悲観的だ。「社会保障のプログラムを縮小する政策をするようなことを言っているが、そうなれば大部分の国民は経済的に打撃を受け、富裕層や銀行が利益を得ることになり、ますます貧富の差は大きくなるだろう」。

国民の期待を背負って走り出したボルソナロ政権の先行きはいかに。