山田ルイ53世さんと田中俊之さんが語る、現代における40男のコンプレックスとは?(写真:イースト・プレス提供)

芸人仲間について書いた『一発屋芸人列伝』で、見事大きな話題をさらったお笑い芸人であり作家でもある山田ルイ53世さん。そして日本における男性学研究の第一人者として活躍する、大正大学心理社会学部の田中俊之さん。
一見無関係に見える2人の共通点は「40男」であるということ――。
「40歳ともなれば“ひとかどの人物”になっていると思っていた」と口々にぼやく2人が、今思うこととは。40代男性の苦悩と、出口は。2人が徹底的に語り合った新刊『中年男ルネッサンス』より抜粋してご紹介します。

「40男それなりのものを持ってないとダメ」問題

田中:僕、40代になって、30代の人から「名刺入れは何を使ってるんですか?」とか、持ち物について聞かれるようになることが増えたんです。どうしてだろうと不思議に思っていたんですが、あるとき、市民講座で30代後半の男性参加者から、「田中先生もG-SHOCK派で安心しました」と言われてハタと気づきました。

山田:どういうことですか?

田中:その発言には、「時計なんて、時間が正確で丈夫ならいいですよね? 40代になったからといって、ブランドにこだわらなくても平気ですよね?」というニュアンスが込められていたように感じます。つまり、30代までは自分の好きなものを使っていてもいいけど、40代になったら時計や財布はそれなりのものを持たなきゃいけない、という世間からのプレッシャーがあるのではないかと。それ以来、同世代の男性に会うと、腕をチラチラ見て時計を気にするようになってしまって(笑)。

山田:もっとしっかり見え張ったほうがいいんじゃないか、と?

田中:30代の人から、「40代の人にはちゃんと見えを張っていてほしい」と言われているような気がして。僕自身は、時計なんて時間がわかればいいや、くらいの感覚でいるのに、他人から「なんだ、G-SHOCKか」と思われていたらどうしようっていう気持ちもあります。

山田:それは、田中先生が最近ちょっとテレビに出たりして売れてきて、てんぐになってるからじゃないですか?(笑)

田中:そんなことない! と思いたいです(笑)。だから、いっそApple Watchにしちゃおうかな、なんて思ったり。「時計は価格のマウンティングになっちゃってキリがないから、Apple Watchで逃げる手もある」というネット記事を見たんですよ。Apple Watchに高いも安いもないので、逃れられるじゃないですか。

山田:Appleの意図とまったく違う使われ方! そう思うことがすでにめちゃくちゃ囚われてますよね。自意識過剰ですよ(笑)。まあ、そういう僕も、今している時計は20万?30万するヤツですけど、どこのブランドでどういうモノか全然わかってないです。「これぐらいのしとけばいいんでしょ?」という感覚ですね。

そういえば、うちの奥さんは、僕が4、5年前にあげた15万くらいするLOUIS VUITTONの財布を使ってるんですけど、2年くらい前から誕生日が近づいてくると、「財布が黒ずんできたなあ」とかアピールしだす(笑)。聞いてみたら、「もう今より安い財布は持てない」「もうCOACH とかは持てない」みたいなことを言いはじめて。

田中:ああ、COACHって若い人が持つ財布で、使っていいのは30代まで、といった適齢期があるんですかね。

山田:それっ!(笑)僕も、前あげたのより安いヤツはあげられへんみたいな感覚がないわけではないし。最低でも15万するのをあげなあかんの? って憂鬱になりましたよ。そう考えると、確かに40代になると見えというか、体裁を整えるためのコストといった維持費が高騰する気はしますね。本来の自分の収入や地位、評価よりも背伸びしとかなあかんというか。燃費が悪い。

田中:正直に告白すると、僕も自分でどれぐらいの財布を持てばいいのか全然わからなくて。小島慶子さんの使っている財布がすてきだったので、どこのブランドなのかを聞いて、六本木の東京ミッドタウンで購入しました(笑)。

山田:そういう人おる! それは小島さんの財布がすてきだったというのは言い訳で、周囲にセンスがいいと思われている小島さんにのっかっとけば安心だということでは?

田中:自分では不要と思っていても、世間の期待のハードルに応えて、それなりのものを持っておかなければいけないプレッシャーはあると思うんですよね。でも、40代にふさわしいスタンスや振る舞いの正解がわからないから、決められたブランドや、旧来の“男らしさ“や”カッコよさ”の基準に寄せておくのが、いちばんラクだということになってしまうんです。

自意識過剰と思われそうですが、社会学的な観点からすればそうとも言えません。社会はある程度はメンバーが入れ替わっても、安定して回っていますよね。社会的に共有された目には見えないルールを人々が内面化して、他人に言われるまでもなく、それに従って行動するからです。

例えば、平日昼間に中年の男性が街をウロウロしていると、「まともな大人の男は平日の昼間には会社で働いている」というルールに違反しているので、それだけで怪しまれる傾向があります。

だから、せっかく育児休業を取っても、地域で居心地の悪い思いをしている父親は少なくありません。男性に限らないことですが、性別を理由として感じる「圧」を、本人の気のせいですますのではなく、もっと社会や歴史とつなげて考える想像力が必要ではないでしょうか。

「40代はひとかどの人物であるべき」という外圧

山田:これ、この際はっきりさせたいんですが、結局40歳はカッコつけないとダメなんですかね? だとしたら、それは本人発信の気持ちなのか、それとも、周りがそう思ってるということなのか。

田中:僕は、「カッコつけなきゃいけないと思われている」と考えています。藤子不二雄Ⓐさんの漫画『笑ゥせぇるすまん』(中央公論社、1989年)の中に、1970年に発表された「たのもしい顔」というエピソードがあるんです。41歳の頼母雄介という男が、二枚目俳優のようないかにも「男らしい」顔をしているせいで会社では課長としてみんなからつねに期待され、頼られている。

実際は酒に強くないのに、みんなの前ではウイスキーをストレートで飲み、裏でゲーゲー吐いていたら、喪黒福造に出会います。「あなたにすばらしい女神を紹介してあげますよ!」と言われて「ドーン!」とされるんですね。すると、頼母さんの主観では観音様のような女性に抱かれて甘えたい願望を満たされるんだけど、実際はボロボロのアパートで太った醜い女に抱っこされているだけで、しかも、それを迎えに来た奥さんに見られてしまう……というオチです。

山田:エグいオチですねー。

田中:当時から、男なら40歳とあれば「しっかりしていなきゃいけない」「周りに頼っちゃいけない」という外圧があって、甘えたり弱音を吐いたりしようものなら、「バリバリの働き盛りでみんなが頼りにしてるのに、何言ってんの!」と言われてしまう空気があったわけです。特に、70年代はまだサラリーマンは労働人口の半分くらいしかいなくて、その中の課長といったら今でいう勝ち組に属したでしょう。

山田:課長というステータス自体が、今より全然上だったんですね。

田中:でも、時代は変わっても、「40代ならひとかどの人物でなければならない」という周囲の期待は、『笑ゥせぇるすまん』の頼母さんの頃と同じだと思うんです。そして、頼りにされるばかりで、僕らが頼るものがないという図式も変わっていません。

山田:言われてみればそうかもしれませんね。

田中:たとえば、2017年に発表された村上春樹の『騎士団長殺し』の中にも、36歳の画家の主人公が、次にように語る場面があります。

“私は36歳になっていた。そろそろ40歳に手が届こうとしている。40歳になるまでに、なんとか画家として自分固有の作品世界を確保しなくてはならない。私はずっとそう感じていた。40歳という年齢は人にとってひとつの分水嶺なのだ。そこを越えたら、人はもう前と同じではいられない。それまでにまだあと4年ある。しかし4年なんてあっという間に過ぎてしまうだろう。(村上春樹『騎士団長殺し』新潮社、2017年)”

彼は、芸術作品として評価される絵が描きたいのに、生活のために肖像画の仕事で飯を食っていることに、コンプレックスを感じているんです。

山田:世間的には、40にもなればなにがしかの者になっているはずだというふんわりしたイメージがあるけど、実際には何者にもなれていない人のほうが圧倒的に多い。むしろ、昔より今の40歳のほうが、「こんなはずじゃなかったのに!」という焦りはあるし、キツいんじゃないでしょうか。

蔓延する40歳コンプレックス

田中:そのとおりだと思います。バブル崩壊後から約10年の間に就職活動をした、1970〜1982年頃に生まれた世代のことを「ロスジェネ世代」と呼びます。“ハズレの世代“と言われたりもしているんです。

山田:嫌な言い方ですね(笑)。

田中:90年代後半に就職氷河期がきて、就職できずにフリーターや非正規雇用になる人が激増した世代です。でも、当時は景気さえ回復すれば、30歳手前には正社員になれると楽観視されていました。ところが、結局それから景気が1度も回復せずにきてしまったので、この世代の抱える課題は積み残されたままになってしまったんです。

山田:僕なんか、就職したことないですけど、むしろよかったのかも。

田中:世間からは「40歳にもなればひとかどの人物になっているはずだよね」と思われているのに、経済的にも階層的にも、あらゆる意味で厳しい状況にある。これまでとはレベルの違う先の見えなさに見舞われていると言えます。


山田:お笑いの世界では、「若手芸人の高齢化」と言われて久しいです。僕らの頃は、30歳で世に出ていなかったらアウトと言われていました。今はハリウッドザコシショウさんや永野さんみたいに、40代で世に出て、「若手」枠でテレビをにぎわす方も増えました。もちろん僕も「若手」です。

田中:お笑いだけでなく、実は国による「若者」の定義もどんどん上がっているんですよ。中卒で働く人が普通だった戦後すぐの頃は、「若者の雇用対策」といえば15歳から、せいぜい18歳までが対象でした。ところが現在、ニートやフリーターの定義は34歳までなので、その年齢までは、保護したり背中を押したりするべき「若者」とされているんです。さらに、ロスジェネ世代が就職で失敗した今、これからは40歳まで「若者」として支援してあげないといけないのでは、と言われています。「40代でも若手」というのは、お笑いに限った問題ではないんです。

(この記事の後編は12月29日に公開予定です)