将来のエースと嘱望されながら25歳で引退…ドラ1左腕の現在地とは
「J.T. STRENGTH & CONDITIONING」の代表取締役社長として活動しているJ.T.(高橋純一)と申します。今回は元ヤクルトの赤川克紀投手についてお話させて頂きます。
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私がヤクルトのコンディショニングコーディネーターとして在籍していた当時、「ドラ1四兄弟」と異名をとった選手たちがいました。村中恭兵、増渕竜義、由規(佐藤由規)、赤川克紀…06年から4年連続高卒ドラフト1位で入団した投手たちは将来のヤクルトを担う若手の成長株として期待され、私の所属した2010年から2014年にはそれぞれ期待通りの活躍を見せていたのを覚えています。
「四兄弟」の末っ子が赤川投手。中日と優勝争いを繰り広げた11年にプロ初勝利を挙げるなど6勝3敗、防御率2.03の好成績をマーク。翌12年も規定投球回をクリアし、8勝9敗と先発ローテーションの一角に定着しました。彼の凄いところはマウンド度胸でした。いつでもマイペースで強打者にも臆さない。球速が凄く速いわけではないですがキレのある直球で凡打に仕留める姿は非常に頼もしかったです。
先発投手陣の柱として嘱望されましたが、プロ野球の世界は厳しいです。翌年からは1勝も挙げられず1軍登板機会がなかった15年のオフに戦力外通告を受けると、現役引退を決断。本人にしか分からない色々な思いがあったと思います。
その赤川投手と先日会う機会があった時、驚いたのが現役時代と全く雰囲気が変わっていなかったことです。穏やかな口調で落ち着き払った態度。野球をしていても、していなくても彼の根本的な性格は変わっていません。野球からは離れましたが、自然体のままセカンドキャリアで充実した日々を送っているようでした。
プロ野球の世界で10年もプレーできる選手はほんの一握りです。1軍での実績を2年連続で積み上げた赤川投手も25歳という若さで引退しました。ただ野球を辞めた後も人生は続きます。プロ野球選手は野球の技術だけでなく、組織で培われたコミュニケーション能力、故障や辛い練習にも耐える忍耐力は非常に高いと思います。セカンドキャリアでこの経験は必ず生きるはずです。赤川投手もプロ野球の世界を「卒業」してまだ3年。今後のさらなる活躍を心から祈っています。
[文/構成:ココカラネクスト編集部 平尾類]
高橋 純一(たかはし・じゅんいち)
MLBサンディエゴパドレスで通訳兼コンディショニング補佐を務めた後、千葉ロッテマリーンズ、ヤクルトスワローズ、DeNAベイスターズファーム等でチーフトレーナーとして活動。17年より独立。幅広いストレングス&コンディショニング領域をアレンジ、シンプル化させ、「俺、最高。」「やってみるをかなえる。」をキーワードに老若男女問わず、自分の肉体の可能性を高め、向上していくサポートを行う。コーポレートコンディショニングという企業のトレーニング意識を変えるコーチングも担う。
J.T. STRENGTH & CONDITIONING コーポレートサイト(http://www.jt-sc.com)