台風12号が近づき、九州は雨脚が断続的に強くなり始めていた。

「フェルナンド!」

 名前を呼びかけ、スペイン語で挨拶すると、壁に背をもたれて携帯をいじっていた彼は、人懐こい笑顔を浮かべた。

「ここでの暮らしは快適だよ」

 そう応じたフェルナンド・トーレスは、前日の試合のリカバリーを終えたばかりだった。クラブハウスの前で、迎えの車を待っていた。まだ日本の免許を取得していないので、練習場とホテルを送り迎えする運転手がいるという。そんなやりとりをしている間に、彼自身がまもなく乗るのだろう、マツダの高級スポーツカーが到着した。電光石火のゴールを持ち味にする、トーレスらしい車だった。


来日して2週間、初ゴールが期待されるフェルナンド・トーレス

「マジで彼はいいやつなんだ。ナンバー1だよ。いつも気にかけて、喋りかけてくれるからね」

 トーレスは、チームメイトの豊田陽平に視線を投げかけながら言った。はにかむように人のことを褒める様子に、その純朴さが浮き出ていた。真のスター選手というのは、意外なほど純粋さを失わない。

 電撃的な入団会見から2週間が経過。ほとんど様子が伝えられないが、トーレスはどのような鳥栖での生活を送っているのか――。

「佐賀牛は最高です」

 ジュビロ磐田戦の後、記者たちに囲まれたトーレスは笑顔で答えていた。地元に対するリップサービスもあるのだろう。スーパースターとして生きてきただけに、そういうことが自然に無理なくできる。

 性格は恥ずかしがり屋で無口なほうだ。しかし、言うべきことは言う。いわゆる真面目なプロフェッショナル。試合翌日の軽めの練習でも、ジムにこもって筋力トレーニングを欠かさない。全身、バキバキの肉体だ。

「スター選手だからといって、誰に対しても感じがいいし、手を抜くようなことは絶対にしないですね」

 鳥栖の選手たちは口を揃える。その行動はすでに模範となりつつある。

 クラブとしては気をつかい、入団以来、非公開練習を続けているのだろう。しかし、トーレスのような大物選手は、巻き起こる喧騒をもエネルギーにできる。人々の熱気を感じ、自分のプレーに還元できるはずだ。

「トーレスと一緒にプレーできただけでも、このクラブに来た意味はあったというか。子供みたいにはしゃいでしまうところがあります」

 Jリーグで通算400試合以上に出ているDF小林祐三は、その正直な気持ちを吐露している。

「トーレスは、リフティングとかは下手なんです。日本では、ボールタッチが硬いとか、柔らかいとかで、うまさを判断するところがありますよね? でも、そんなの関係ないんだな、とあらためて思います。トーレスの場合、試合ではどんなボールも収められるし、運べますから」

 試合中には驚嘆する瞬間があった。

「アングルをつけるのは、普通はパサーの役目なんです。でも、トーレスは横にずれることでオフサイドを回避し、自分でアングルを作って、ディフェンスの矢印を変えられる。(キム・)ミンヒョクの縦パスが通ってシュートまでいった場面がありましたが、”通っちゃった”という感じなんです。それはトーレスが角度を変えているからで、一発でマークを外せている。見たことがないです」

 現場でのインパクトは周りが考える以上だ。

 入団後、慌ただしい日々を送るトーレスは依然としてホテル暮らし。新居を探している最中で、家族を呼び寄せるのはこれからになる。コンディションはまだ5割程度。欧州のクラブだったら、まだ「試運転」の時期なのだ。挑戦の行方はこれから見えてくる。

「Jリーグのレベルは高いよ。プレーがハイテンポ。試合終了間際になると、オープンスペースが生まれて、打ち合いになるのが特徴かな」

 トーレスはJリーグについて吸収を始めている。磐田戦のハーフタイムにはチームメイトのプレーに注文をつけた。ドリブルでエリア内に持ち込み、3人を引きつけながらシュートし、惜しいところでブロックされる場面もあった。仲間の特徴を知り、自分の特徴を伝え、相手を値踏みしながら、プレーをシンクロさせているところだ。

 もっとも、勝ち星から見放されている鳥栖が、「自分のゴールを早急に必要としている」という自覚は強い。

「自分のゴールよりも、チームが勝つことが大事。しかし、そのために自分のゴールが求められているのは知っている。ゴール前での決定的なシーンを、もっと多くできるようにしたい」

 トーレスは語ったが、その言葉はゴールゲッターとしての矜持(きょうじ)といえる。その重責を果たすことによって、彼はスペイン代表として欧州王者、世界王者にもなったのだ。

「今度はゆっくりカフェでもしよう!」

 車の助手席に乗り込むスペイン人FWを誘うと、彼は雨に濡れながらも笑顔で応じた。

「いいよ。いつでも連絡くれ」

 トーレスはそう言って取材者の気をよくさせた。スターとしての寛容さだろうか。どうせ覚えているはずはないだろうが、瞬間、瞬間を輝かせられるのが、まさしくスターなのだ。

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