田原俊彦、元SMAPにエール「独立したことを後悔したことは1度もないよ」
いい時も悪い時も、すべて自分の責任
「トラブルを起こす人のことは、僕にはまったく理解できないな。基本的に頭がよくないんでしょうね(笑)。自分を大切にしないってことは、仕事放棄も一緒。そういう人ってメンタルが弱いのかも。僕は異常に強いから(笑)」
最近、また芸能界が騒がしいが、元祖お騒がせ男といっても過言ではないのが田原俊彦(56)だろう。
「堕ちてしまう人はもともとダメなやつなんじゃないですか。やっぱりこの世界、まじめにコツコツやっている人が最後は勝つと思う。それだけではどうにもならない部分もあるけど、そうじゃないと神様いるの? って思っちゃうもん」
ジャニーズ事務所から華々しくデビュー。アイドル全盛期だった’80年代の中でも、トップアイドルとして君臨。現在まで38年間、休むことなく走り続けてきた彼の歩みを振り返ってみると、スターならではのエピソードも尽きない。
人気の絶頂を迎えていたのは、日本全体が浮かれていたバブル期。そのため、時間を縫って夜遊びにも精力を注いだ。
「当時住んでいたジャニーズの合宿所をこっそり抜け出して、ディスコなどに繰り出していましたね。だから、写真週刊誌が創刊したあとは、よくお世話になりました(笑)」
スター街道を歩んでいた彼の風向きが大きく変わったのが、’94年の長女誕生会見での“BIG発言”。その発言の一部分だけを切り取られ報じられてしまったことで、バッシングされるようになってしまったのだ。
「だからマスコミは嫌いですよ(笑)。当時は人のプライベートの邪魔をするなって思っていたけど、それでもほっといてくれなかったのは、僕が“BIG”だったからでしょうね(笑)。あの発言で風向きが変わってしまったけど、それは僕のやり方が下手だっただけ。だから人間不信になったりもしないし、考え方を変えるつもりもない。いい時も悪い時も、すべて自分の責任ですから」
この発言から間もなく、ジャニーズ事務所を退社。それまでのようにテレビで活躍する機会は減ってしまった。
「でも独立したことを後悔したことは、1度もないよ。子どものときからそうやって生きてきたし。僕がテレビを目指すようになったのは、おふくろを幸せにするための手っ取り早い方法だと思ったから。自分の考えがブレないのは、そんなハングリーな部分も影響しているかも。実際、ジャニーズも円満退社だから、それまでのように出られなくなったのは結果論にしかすぎない」
自分に力がないときは光を浴びれないし、力が発揮できているときは自然とスポットが当たるのが芸能界、と達観したように言ってのける。そんな田原はリスクと引き換えに自由を選んだ。
「ジャニーズに残っていたからといって、順風満帆だったかはわかんないしね。僕の場合は組織に残って活動を制限されるよりも、自分の手でいろいろやりたいと思った。だからSMAPにも頑張ってほしいですね。あ、ここはシリアスな感じで書くんじゃねーぞ(笑)。でもジャニーズに残るのも出るのも、ひとつの選択だと思うしね」
独立後も休むことなく活動を続けてこられたのは、ステージと支えてくれるファンの存在があったから。
「走り続けてこれた理由? それは生きていくためだよ。そして“ファミリー”と呼んでいるファンのみんなのおかげ。僕はファンの方と交流できる場所があって、そこでベストを尽くせるなら何もいらない。ステージはラジオやテレビと違って、わざわざお金を払ってショーを見たいと思って足を運ばないと見られないわけですから。そんなファンがいることが、僕の強みでもあり、財産だね」
ジャニーさんから学んだこと
もちろん、ファンを裏切らないために田原自身も努力を怠らない。毎年続けているコンサートだが、そのステージの見せ方はジャニーさんから学んだもの。
「僕は山梨・甲府の田舎で育ったから、ジャクソン5など海外アーティストはジャニーさんに教えてもらいましたね。ジャニーさんは歌もダンスもできないけど、クリエイターとしてショーを作る才能は世界で一番といってもいいと思う。いかにお客さんを楽しませるか。飽きさせないために、僕も今でもコンサートが始まる前は曲の順番や照明のタイミングまでこだわっています。そういう感覚は、ジャニーさんから自然と教わったものなんだろうなって思います」
決して衰えない魅力が再評価され、11年ぶりに大手レコード会社と契約。今月『フェミニスト』を発売する。
「これまでもインディーズでCDは出していたから、自分の中でやっていることは何も変わらない。メジャーレーベルだから、流通や宣伝面でよくなるかもしれないけど、メジャーから出したからといってヒットする保証はないからね」
持ちネタになった“BIG”発言などで笑わせる一方で“まじめにコツコツ”という言葉を何度も口にした田原。それにはこんな思いが。
「懐メロ歌手では終わりたくない。そう言われてしまうキャリアになってしまったけど、新しいことにチャレンジすることで“やっぱり田原俊彦って、スゲーな”って言わせるステージを見せていきたい。そう言われなくなったときが、僕が用なしになるときだよね」
そして、最後にこう言って笑った。
「“田原俊彦”って背負うものも多いけど、背負いがいもすごくあるよ。生きるために今まで走り続けてきたけど、自由も欲しいし、女の子とも遊びたい。それが両立できるのは、やっぱり僕がBIGだからだよね(笑)」