物が売れないと言われる昨今、セブン&アイホールディングスは創業者の次男を取締役に迎え、ハトのマークをイトーヨーカ堂の看板に復活させるなど、原点に立ち返ってこの苦難を乗り越える姿勢を見せています。はたして同社は再び飛翔することができるのでしょうか。無料メルマガ『店舗経営者の繁盛店講座|小売業・飲食店・サービス業』の著者で店舗経営コンサルタントの佐藤昌司さんが、イトーヨーカ堂の創業から現在までを振り返るとともに、同社の将来を占います。

イトーヨーカ堂のハトのマーク復活で業績は回復するのか

佐藤昌司です。3月20日、「イトーヨーカドー上大岡店」が閉店しました。1974年に開業し40年以上の歴史がある店舗ですが、先日幕を閉じました。同時にデニーズの日本1号店「デニーズ上大岡店」も閉店しました。二つは同じセブン&アイグループの一員です。

セブン&アイホールディングス(HD)はイトーヨーカ堂の新規出店を抑制し、不採算店舗や老朽化した店舗を中心に20年2月期までに40店を閉鎖すると発表しています。ヨーカ堂創業の地にある東京都の北千住店が昨年4月に閉店したことが印象的でしょう。

ヨーカ堂は変わりつつあります。2017年3月21日付朝日新聞は「イトーヨーカ堂は、スーパーの屋上などに掲げる大型看板の『ハトのマーク』を復活させる」と報じました。これまでは、店の大型看板はほぼ全店でセブン&アイHDのマークを使用していましたが、それを改めます。

今3月から、創業者・伊藤雅俊氏の次男の伊藤順郎氏がヨーカ堂の取締役に就任しました。伊藤順郎氏はセブン&アイHDの取締役常務執行役員にも就いています。ヨーカ堂とセブン&アイHDの両方で創業家への回帰を鮮明にしています。ハトのマークの復活も創業家回帰の動きといえるでしょう。

ヨーカ堂のハトのマークに愛着を覚えている人は少なくないのではないでしょうか。総合スーパーの雄としてかつて君臨していた時のイメージを思い起こさせてくれます。

ヨーカ堂の創業は、伊藤雅俊氏の叔父が台東区浅草に「羊華堂」を開業したのが始まりです。「お客様を第一に考える、信用を大切にして約束を守る」ことを創業以来、理念として掲げていました。そして終戦の年の1945年、戦災のため浅草から北千住へ移転しています。

当時の羊華堂の店内には、「質素な人生観+合理的経営=薄利多売主義」という言葉が大書きされていたといいます。薄利多売のため、1箱分の商品を売っても儲けは箱代か袋代にしかなりませんでした。しかしそれでも薄利多売をやめませんでした。なぜなら、それが「信用」につながると考えたからです。

羊華堂は「顧客」と「感謝の心」を大事にしました。顧客に「こんな商品がないか」と言われたら、その商品を必ず仕入れました。店の前を掃除するときは、両隣の前まで綺麗にしました。こうしたことを続けた結果信用が高まり、店は繁盛しました。駅前通りが「羊華堂通り」と呼ばれるまでになったのです。

1958年に株式会社ヨーカ堂に移行しました。ところで、このころまでは日本の商店街は賑わいを見せていました。しかし1960年以降、ダイエーやヨーカ堂などの大規模小売店が成長するに伴い、商店街は廃れていきました。ヨーカ堂が商店街をシャッター街へ追いやった勢力の一翼を担っていたといえます。

そうしたなか、政府は消費者と中小小売店の双方の利益を図ることを目的に、大規模小売店舗法(大店法)を1974年より施行しました。同法は結果としてヨーカ堂などの大規模小売店を規制し、中小小売事業者を過度に守るものとなりました。これに対し伊藤雅俊氏は、「大店法により競争が少なくなり、それをいいことに日本の小売業者はコスト意識をなくしてしまった」と喝破しています。

伊藤雅俊氏はコストや生産性に厳しかったといいます。セブンイレブンを手がけたきっかけは、ヨーカ堂の生産性の低さにありました。生産性に直結する商品の回転率に着目し、高い回転率の商品だけを集めたコンビニエンスストアに注目するようになりました。

セブンイレブンを手がけるきっかけは、デニーズの誘致で鈴木敏文氏(現セブン&アイHD名誉顧問)が渡米したことです。デニーズに業務提携を申し込むために渡米した鈴木氏はいたるところで「セブンイレブン」を目にしました。米国のセブンイレブンは日本でも繁盛すると考えました。鈴木氏は伊藤雅俊氏を説得し、1973年に米国サウスランド社とライセンス契約を締結、翌年に日本1号店となる豊洲店を出店するに至りました。

1981年2月期決算でヨーカ堂は経常利益で小売業日本一を達成しました。しかし翌年、創業以来はじめての減益決算となりました。大規模店舗に対する規制の強化が影響しました。その時に伊藤雅俊氏は恐怖を感じたといいます。供給が需要を上回り、物が売れなくなる時代に突入することを予感したのです。

そこでヨーカ堂は規模の拡大から個店の収益性を高める方向に舵を切りました。1982年から全社の業務をゼロベースで見直す「業務改革」を鈴木敏文常務(当時)が主導する形で推し進めていきました。ヨーカ堂の本部の入り口に「荒天に準備せよ」というスローガンを掲げ、従業員を鼓舞しました。

「業務改革」では様々な業務上の改革を行いました。1985年にPOSシステムを全店に導入し、死に筋商品を排除して売れ筋商品を拡大するなど、あらゆる改善活動を行なっていきました。結果として生産性は高まり利益が拡大しました。こうした改善活動は今日まで続いています。

ヨーカ堂の生産性は高まりました。しかし、売上高は低迷しています。直近10年でいえば、2007年2月期の売上高は1兆5,115億円ありましたが、2016年2月期には1兆2,895億円にまで減少しています。売上高の低下に歯止めがかかっていない状況です。

市場の成熟化はかつてないほどの進行を見せています。「なんでもあるけど、買いたいものがない」と揶揄されているのが今の総合スーパーです。時代に適合できていない存在となっています。かつては、顧客に「こんな商品がないか」と言われてその商品を仕入れれば売れる時代でした。しかし今は「こんな商品がないか」がなくなりつつある時代です。昔以上に物が売れない時代なのです。

そういった状況でヨーカ堂は現在、創業家回帰の動きを見せています。かつてのハトのマークも復活させます。新たなスタートを切ろうとしています。ヨーカ堂はこれから私たちに何を見せてくれるのでしょうか。

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著者/佐藤昌司 記事一覧/メルマガ

東京MXテレビ『バラいろダンディ』に出演、東洋経済オンライン『マクドナルドができていない「基本中の基本」』を寄稿、テレビ東京『たけしのニッポンのミカタ!スペシャル「並ぶ場所にはワケがある!行列からニッポンが見えるSP」』を監修した、店舗経営コンサルタント・佐藤昌司が発行するメルマガです。店舗経営や商売、ビジネスなどに役立つ情報を配信しています。

出典元:まぐまぐニュース!