藤浪 晋太郎投手(大阪桐蔭−阪神タイガース)【後編】「潜在能力を開花させた『甲子園マウンド』」
■前編「急成長へつながった『吸収力』と『知的好奇心』」を読む
入学時から2年秋まで急成長を遂げる原動力となった「吸収力」と「知的好奇心」について探った前編に続き、後編では春夏連続甲子園制覇への道のりと、藤浪 晋太郎を開花させた要因について触れていく。
世紀の対決を乗り越え、センバツ制覇も「野手のおかげ」大阪桐蔭時代の藤浪 晋太郎
3年春のセンバツ。初の甲子園出場を決めた藤浪 晋太郎の前に初戦で立ちはだかった相手は花巻東(岩手)。エースは大谷 翔平。いまや北海道日本ハムファイターズのみならず、日本球界を代表するトッププレイヤー。そんな「世紀の対決実現」に甲子園は大観衆で埋まった。
投手・藤浪vs打者・大谷の初対決。鋭い金属音と共に打球はあっという間にライトスタンドに突き刺さる。銀傘に響くどよめき。それでも藤浪 晋太郎はペースを崩さなかった。反撃を待ち2失点で粘ると打線が大谷を打ち崩し逆転。11奪三振も9失点の大谷に対し12奪三振完投勝利。大阪桐蔭は最初の関門を超えた。
大阪桐蔭と藤浪のサバイバルは2回戦以降も続く。九州学院(熊本)戦は「あの大会では最も良い投手だった」(西谷 浩一監督)左腕・大塚 尚仁(東北楽天ゴールデンイーグルス)に苦しみ花巻東戦同様に2点の先行を許すも、藤浪の甲子園初本塁打などで逆転勝ち。先発を澤田 圭佑(立教大〜オリックス・バファローズ)に託し、6回から藤浪がマウンドに立った準々決勝・浦和学院(埼玉)戦も、同点の7回裏に無死満塁のピンチから三者連続三振。8回裏に1点を勝ち越された後も粘ったことが、9回の逆転につながった。「今、振り返れば7回裏無死満塁からの三者連続三振は、彼の中に眠っていたものが目覚めたといえる投球でした」
肌感覚を現実とするために、指揮官はチームに勢いをつける金言を考えた。「起動破壊」を掲げる健大高崎(群馬)との準決勝を前にしたミーティング。選手たちの前に立った西谷監督は自らの分析結果を披露する。
「藤浪のクイックと森 友哉(埼玉西武ライオンズ<関連記事>)の送球がしっかりとはまれば、理論上アウトにできるぞ」はたして藤浪と森のバッテリーは2回表に相手走者の二塁盗塁を阻止。これが大阪桐蔭と藤浪にさらなる力を与え3対1。藤浪も9奪三振完投。「生き残る」戦いを続けた先にあったのは最高の舞台「決勝戦進出」である。
決勝戦の相手は田村 龍弘(千葉ロッテマリーンズ<関連記事>)、北條 史也(阪神タイガース<関連記事>)を中心とした強力打線がウリの光星学院(現:八戸学院光星・青森)。藤浪の心中は「いくら打たれても勝てばいい」で固まっていた。12安打されながらも3失点で粘ったエースを、打線は7得点で援護。大阪桐蔭は見事、同校初のセンバツ優勝を勝ち取った。
このセンバツでは5試合・計40回を投げて41奪三振・11四死球・失点10・自責点7で防御率1.58。加えて、すべての登板で150キロ以上をマークする最速153キロでエースの存在感を示した藤浪。が、彼は自らに厳しい目を向けていた。「このままじゃ夏は勝てない」「大阪(大会)も勝てない」と書き連ねたチームメイトと同様、彼は優勝当日、野球ノートにこのような感想を記す。
「今回の選抜では野手の方が打ってくれたおかげで優勝できた」
「あのチームが素晴らしかったのは優勝したからと言って驕りが出たり、気が緩んだりする様子はなかったこと。ノートにも伸びしろがあるなと感じました。もちろん、藤浪もまだまだだと思っていたのでしょう。そこで私が藤浪に話をしたのは『夏は藤浪の力で勝てたといえるぐらい圧倒的な力をつけていこう』ということです」(西谷監督)
1つの戦いの終わりは、新たな挑戦「春夏甲子園連覇」へのはじまり。大阪桐蔭と藤浪 晋太郎はさらに階段を昇っていく。
夏の甲子園で本物へセンバツ後、藤浪は1か月登板をせず、夏へ向けてしっかりと体づくりとフォーム修正に取り組む。それができたのも最強の「背番号10」澤田 圭佑がいたから。結果、春よりさらに層を厚くした大阪桐蔭は大阪大会を勝ち上がり、決勝戦は藤浪→澤田のリレーで履正社との激戦を制する。「夏へ向けて準備していましたけど、大阪大会はまだまだだった」(西谷監督)藤浪は甲子園に入ると一気にギアをフルスロットルへ入れる。
2回戦の木更津総合(千葉)戦、自己最速タイの153キロを出しての14奪三振2失点完投。済々黌(熊本)との3回戦は澤田が完投し、2年秋、近畿大会で敗れた天理(奈良)との準々決勝では満を持して1失点13奪三振完投。準決勝の明徳義塾(高知)戦でも、わずか2安打8奪三振で甲子園初完封勝利。そして、光星学院(青森)とのセンバツ決勝戦再現でも藤浪の右腕はうなりをあげた。
常時150キロ前半のストレート、鋭い曲がりを見せるスライダー。抜群の制球力。北條 史也、田村 龍弘からも2三振ずつを奪い、127球・被安打2・四死球2・2試合連続完封勝利。準決勝・決勝戦の連続完封は後に中日やロッテオリオンズで活躍した銚子商(千葉)・土屋 正勝氏以来、20年ぶりの快挙。史上7校目となる大阪桐蔭春夏甲子園連覇は、間違いなく藤浪 晋太郎の力で勝ち取ったものとなった。
西谷監督は言う。「この世代は向上心の強さを持った選手が多い世代でしたが、その象徴が藤浪でした。よく人の成長をたとえるときに、ウサギと亀といいますが、彼は亀。身長が高いので大きな亀ですけど(笑)。努力をして、甲子園優勝を勝ち取ったんです」
「ぎふ清流国体」も仙台育英(宮城)との2校優勝(準決勝打ち切り)で「高校野球三冠」を達成した大阪桐蔭。そして藤浪 晋太郎には最高の栄誉が待っていた。「ドラフト1位・4球団競合」。そして阪神タイガース入りが決定。「甲子園という舞台は選手を大きく成長させる」。西谷監督が選手たちに繰り返し伝えてきた成長ロードに辿った197センチ右腕は、春の甲子園で課題を見出し、夏の甲子園で本物となって、プロへと羽ばたいていった。
羽ばたく22歳、3度目の世界大会で頂点へ藤浪 晋太郎投手(阪神タイガース)
藤浪 晋太郎その後の活躍は読者の皆さんの方がご存じかもしれない。阪神タイガースで高卒1年目から先発ローテーションに入り8月月間MVPも獲得しての10勝6敗。さらに3年目まで3年連続二けた勝利をあげ、2015年には最多奪三振を獲得。侍ジャパントップチームにも常時リストアップされ、超一流投手としての道を歩んでいる。そんな藤浪を見守る大阪桐蔭・西谷 浩一監督。最後に送ったエールは、22歳という立場を慮った賞賛と激励であった。
「高卒1年目から活躍していていることは立派だと思います。彼は結果を残していく中で、エースという立場に変わっていきました。ただ、そうなると周りの見る目も変わってくる。彼の同学年は田中 正義君(創価<東京>〜創価大〜福岡ソフトバンクホークス<関連記事>)や佐々木 千隼君(都立日野〜桜美林大〜千葉ロッテマリーンズ<関連記事>)など大卒新人投手になりますが、彼らと置かれている立場は当然違う。昨年7勝に終わったということもあり、藤浪も今年は負けていられないでしょう」
2017年、藤浪 晋太郎の戦う舞台は日本を飛び越え3度目の世界大会から始まる。目指すはもちろん、大阪泉北ボーイズ時代に7位に終わったAA世界野球選手権(現:WBSC U-15ワールドカップ)、大阪桐蔭時代に個人としてはベストナイン先発投手部門に選ばれたが、チームとしては6位に終わった第25回IBAF 18U世界野球選手権(現::WBSC U-18ワールドカップ)からジャンプアップする世界一。藤浪 晋太郎は大阪桐蔭で積み上げた成長の過程を大事に、ドジャースタジアムで優勝カップを掲げるため右腕を振る。
(取材=河嶋 宗一)
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