岡田 俊哉投手(智辯和歌山−中日ドラゴンズ)「高卒プロ入りを目指してから別人になった」
3月6日から開幕した第4回ワールドベースボールクラシック。世界一奪還を目指してスタートした侍ジャパン日本代表は一次ラウンド3勝0敗で、二次ラウンド進出を果たしている。今回は中日ドラゴンズの岡田 俊哉の高校時代(智辯和歌山)について、名将・高嶋 仁監督が振り返る!
高校入学してすぐベンチ入りを果たした岡田は、1年夏に甲子園出場を果たすと2年時も春、夏と連続で聖地のマウンドを踏む。3年春の出場は逃したものの最後の夏は和歌山では敵なしのピッチングを見せ、4度目の甲子園へ。その秋、奪三振能力に優れた細身の左腕は世代を代表する投手としてドラフトでは中日から1位指名を受ける。
プロ入り後、3年間は1軍登板がなかったが2013年に66試合に登板し頭角と現すと、徐々に首脳陣の信頼を勝ち取り勝ち試合を任されることが多くなった。侍ジャパンのメンバーに選ばれた際には「自分のような選手が日の丸を背負っていいのか」と謙虚な口ぶりを発した岡田だが、高校時代を知る高嶋監督によると当時は負けん気の強い性格だったという。岡田は高校3年間を通じてどのように成長していったのだろうか。
気の強さが仇となっていた2年夏の甲子園高嶋 仁監督(智辯和歌山)
私が岡田を最初に見たのは中学校の時(和歌山日高ボーイズ)です。当時の岡田は170センチ〜171センチぐらいで、小さかったんです。そしてガリガリでした。当時からコントロールと変化球の切れが良かったですが、その中でもスライダーが良かったですね。やはり私の評価基準では、コントロールが良い投手は使えます。
そして当時、伸びるかどうか分からなかったですけど、彼の兄貴もお父さんもでかいんですよ。だから身長は大きくなるのではないかという期待は持っていました。やっぱり高校で10センチ以上伸びたと思います。確かに光るものはありましたが、第一印象の時点でプロに行けるなんて思いは毛頭なかったです。高校に入学してから、試合で使えることがわかりましたので、すぐにベンチ入りしまして、1年夏から甲子園で投げさせました。起用した理由は、コントロールが良かったということが一番ですね。うちの場合は部員が少ないので、1年生だから出さないというのは言うとられんので、良かったらすぐ使わないといけませんからね。
岡田はとにかく負けん気の強い子で、それがあるからプロでも行けたのかなと思いますね。そして彼が成長した2年夏の甲子園。甲子園優勝を狙っていました。岡田も入学からだいぶ良くなっていましたし、3年生たちのバッティングが良かったので、最悪でも決勝までは行ける自信がありました。
敗れた常葉菊川(準々決勝)との試合ではいろいろ情報が入っていまして、常葉菊川打線には、変化球を多めに使えばそう打てんと。そういう打ち合わせをして始まったわけですよ。しかし岡田は真っすぐばっかり放りよるんですよ!そして1イニング6回裏に10点取られたんです。
変化球を放れば打たれることはないと思ったんですけど。それで私もベンチからサイン出しても首振るんですよ。それで抑えたらいいんですけど、打たれても打たれても、それでノックアウトされたんです。降板後、ベンチに戻った岡田に、こう話をしました。「これはお前、チームプレーと違うやないかと。みんな必死になって勝ちたいからやってきとんのに、お前だけ自分の満足するピッチングしかしてないやないか」と。それでも新チームはなかなか変わらない時期が続いていましたね。
プロに行きたい気持ちになってから取り組みが一気に変わった岡田 俊哉選手(中日ドラゴンズ)
新チームの実力を振り返ると、岡田がしっかりと投げないと、甲子園行けんなと思って岡田にそう話をしていました。そこで私は、高卒プロへ行きたい気持ちにさせるようにいろいろ仕向けていました。そうすると、一気に意識が変わりましたね。練習態度、練習、ピッチング練習、トレーニングと取り組む意識が本当に変わりました。プロに行く気持ちになったら強いなぁと感じますね。
私は継投策を重視していて、夏の大会でも普通5人ピッチャーがおりましたら5人で行くんですけど、あの代は岡田がほぼ1人で投げていました。 岡田はプロを意識し始めてから球速が10キロ近く速くなっていて、練習試合では146キロ、147キロは投げていたと岡田を追っかけていたスカウトから聞きました。
そしてすごかったのは、和歌山大会の準々決勝、準決勝、決勝の3試合です。岡田には、この3試合、すべてお前やでといいまして、普通はあんまり投げさせないですけど、ピッチャーがおらんからお前でいくでと言ったら岡田は「わかりました」と返事をしたんです。
岡田の時のチームは、あまり打てんかったんですよ。だから岡田には点取られたら負けるぞ、って言ったら「監督さん、2点取って下さい。1点はエラーで取られるかもしれませんけど2点は大丈夫です」と頼もしいことを言ってくれるんです。そうしたら和歌山大会の準々決勝以降は全部シャットアウトですよ、試合も全部2対0、3対0、2対0の勝ち方なんですよ。本当に3年生の時は安定してましたね。
でも投球は相変わらず真っすぐばっかりでしたけど(笑)。夏の大会の決勝で最後のバッターが相手の4番バッターやったんですよ。この選手にもストレートでいくだろうと思ったらインコースにズバーンいって、それで試合終了です。2年生と変わらず、直球中心の投球でも、やはりこの1年間、プロに行きたい気持ちで本気で練習に取り組んでいたので、ボールの精度も格段に進化していました。このときは2年生のような自己満足ではなく、抑えられる自信もありましたし、抑えられるストレートを投げていましたね。
WBCでは抑えるために選ばれているのだから、抑えてほしい岡田 俊哉選手(中日ドラゴンズ)
プロ入り後彼に送ったアドバイスは、体を作ることです。それはいつ会っても変わりません。今でもガリガリですし、まだプロの肉体ではないと思います。あの辺は体質なのでしょうか。そして、あの子はあんまり水も飲まないんですよ。だから夏もバテない。飲んでもコップに一口ぐらいですかね。
私の経験以上、夏に強い子はあまり水を飲まないことが多いのですが、コンディショニングの勉強もやってましたね。高校時代のベストピッチングですか?甲子園の場合ですと、2年生の時の木更津総合戦です。そのときの木更津総合は、春の関東大会で優勝して夏の甲子園に出てきていて、1つ勝って次は優勝やって新聞に出ていましたね。次はうちと当たるんわかっとるのに。私はミーティングで選手たちにこう言ったんです。
「おい、木更津総合が優勝って言ってるぞ。智辯和歌山無視されとるぞ。負けたら承知せんからな」って言って戦ったらやっぱりうちが勝ったわけです。岡田は2失点完投です。岡田も私の発言を聞いて、絶対勝ったろと思って投げたと思うんですよね。とにかく強気な岡田ですが、プロに入って控えめな発言するのはちょっとだけ大人になったと思いますよ。
去年の暮れにある選手の結婚式で一緒になりまして、その時に岡田の一学年下の西川 遥輝(関連記事)も来ていたので、岡田に「おい、遥輝が1億いったと。岡田も早く1億もらえよ、1億もろたら一人前やで」。そんな話をしました。
そしてWBCですよね。選ばれているのは、勝つために投げるわけですから、点を取られないようなピッチングをしてほしいですよね。左のワンポイントでも何でもいいから抑えてほしいですね。シーズンでは監督によってどう起用されるかはわからないですけど、どこであれやっぱり良い結果を出してほしいいですよね。それなりの成果を出せば1億円に届くと思いますよ。
WBC初戦のキューバ戦では追い上げを許した7回、二死一塁の場面で登板すると打者1人を三振に仕留め、初ホールドを記録した。1ボール2ストライクからの決め球は右打者の内角に鋭く切れ込むスライダー。高校時代よりも大人になったピッチングで流れを食い止め勝利に貢献した。今後も登板が予想されるのは走者を背負った厳しい終盤、対左のワンポイント、先発が崩れた場合のスクランブルなど期待される役割は多いが、体重65kgの最軽量侍が世界一を目指して腕を振る。
(取材=小中 翔太)
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