「昭和元禄落語心中」第2期平成名物TVヨタローの時代だよ
「二ツ目になるまではうちで面倒見てやらァ。それまでにアタシのと助六の落語も叩き込む。全部覚えろ」
「そいからアタシはね。助六と約束して果たせなかった事がある。『二人で落語の生き延びる道を作ろう』ってね。どっちが一人欠けたってできねぇ事なんだ。だからこの穴埋めておくれ。それがふたぁつ」
「ら、らくご覚えんのはいいけどよぉ…そんなでけえ約束…できんのかな」
「できねぇ時? そん時ゃ諸共心中だよ」
「あとひとっつは?」
「絶対にアタシより先に死なねぇ事。いいね、約束だよ」
八代目有楽亭八雲に弟子入りした与太郎は、しくじりにより破門されかかるところを上記の3つの約束を守るという条件で許された。助六とは八雲が若かりしころ、共に落語興隆の夢を見た盟友だったが夭折し、後には忘れ形見の一人娘・小夏だけが残された。
与太郎は師と小夏、そして会ったことのない助六をも含めて絆で結ばれた家族になることを夢見、真打昇進に当たって助六を襲名することを八雲に懇願する。
雲田はるこ原作アニメ『昭和元禄落語心中』の第2部「助六再び編」は、2015年に放映された第1部から10数年後の物語だ。第1部では師である八雲と助六の青春期が中心に描かれた。時代は第二次世界大戦前夜から敗戦後、実際の演芸史においても落語が昭和の全盛期を迎えたあたりである。それから時が経った第2部は昭和は昭和でもバブル経済期と見ていいだろう。いや、背景に映画『ゴースト ニューヨークの幻』のポスターが貼られているのを確認したから1990年、昭和ではなくて平成に入ってからの物語である。原作では、5巻後半にあたる部分だ。
1990年ごろの現実の落語界はどうなっていたか。
それを理解するのにもっともいいのが深夜番組である。土曜日深夜に放送されていた「平成名物TVヨタロー」が始まったのがこの年なのだ。松尾貴史・早坂あきよがMCを務めたバラエティー番組で落語家が出演するが着物は着させない、落語家としても振る舞わせないという画期的な内容だった。
当時の出演者は落語協会(チーム名は落協エシャレッツ)から三遊亭窓里・五明楼玉の輔・橘家文蔵、落語芸術協会(芸協ルネッサンス)から春風亭昇太、春風亭柳橋・春風亭柳好、五代目円楽一門会(円楽ヤングバンブーズ)から三遊亭愛楽・三遊亭好太郎・三遊亭楽春、落語立川流(立川ボーイズ)から朝寝坊のらく(廃業。故人)・立川談春・立川志らくという顔ぶれである。大名跡を継いだ人がいたり、最もチケットが予約しにくいと言われている演者がいたり、「笑点」の現司会者がいたり、と賑やかだが、当時は全員駆け出しもいいところで、真打は1人もいなかった。
当時は落語家が落語家っぽく振る舞うことがテレビで嫌われた時代で、だからこその手垢のついていない若手を起用しての「ヨタロー」だったのである。
第1話では与太郎が真打昇進と同時に三代目有楽亭助六を襲名し、師と共にお練りで花道を飾る。お練りというのはパレードのことで、寄席の周辺をお客に祝福されながら歩くのである。実際の落語界では2005年に9代目林家正蔵が前名こぶ平からの襲名披露の際に行われたのが最近の例で、それまでは絶えてしばらく無かったはずだ。
では1990年当時の現実の東京落語界ではどんな演者が真打昇進していたのかといえば、以下のひとびとである。昇進の月ごとにまとめておく。
1990年3月
林家しん平(落語協会)※奇しくも、アニメ『昭和元禄落語心中』の落語監修者である。
林家錦平(落語協会)
橘家半蔵(落語協会)
古今亭菊丸(落語協会)
三遊亭五九楽(五代目円楽一門会)
同5月
瀧川鯉昇(落語芸術協会)
桂幸丸(落語芸術協会)
立川志の輔(落語立川流)
というわけで、現在は落語芸術協会の大ベテランで人気者(最も弟子数も多い)の鯉昇や、落語立川流きっての売れっ子である志の輔が真打昇進という意味では与太郎=三代目助六と同着ということになる。
冒頭で紹介したように「落語と心中」の本来の意は、有楽亭八雲が弟子である与太郎に、石にかじりついてでも落語と添い遂げろ、という意図で伝えたものだった。ところが今回の第1話における有楽は、
「落語なんかは汚れる前にきれいさっぱりなくなった方がいいと思ってるよ」
「落語と心中。それがアタシの定めさ」
と言うように、消えゆく芸能として落語をとらえ、それと共に滅びようという心境になっている。
『昭和元禄落語心中』が現実と異なる点は、東京に寄席が1つしか現存していない世界ということだ。実際にはこの時代にも民営・公営併せて5軒の寄席が存在していたし、古今亭志ん朝・立川談志(共に故人)といった、かつて才能を嘱望された演者が落語界を支える屋台骨として成長し、盛んではないにしろ滅亡を思われるほどの衰退ではなかった。
原作者の雲田はるこは、それを重々承知の上で寄席1軒という状況を作り出したのだろう。協会(これも作中では1つしかない)の最古参となり、会長として落語という芸能そのものを背負う立場になった八雲は、時代の重みに耐えかねて自らの終幕を思うようになる。それを許さず、新時代を見据えて前に進もうとする助六という構図である。つまり『昭和元禄落語心中』は、新旧世代の対立の物語でもあるのだ。第2話以降、それがどのように膨らんでいくか。落語ファンもそうではない方も注目していただきたい。
襲名の話が出たので紹介しておく。2017年3月より落語協会の真打昇進興行が予定されている。今回の昇進は以下の5演者だ。
林家ひろ木(木久翁門下)
春風亭朝也改メ三朝(一朝門下)
柳家ろべえ改メ柳家小八(小三治門下)
三遊亭時松改メ三遊亭ときん(金時門下)
鈴々舎馬るこ(馬風門下)
ろべえは2016年に亡くなった柳家喜多八の唯一の弟子で、死後は大師匠(師匠の師匠)である小三治門下となった。真打披露興行は普段の寄席とは違った楽しみがあるので、機会があればぜひ足を運んでみていただきたい。
予定は以下の通りである。
3月下席夜の部(21〜30)鈴本演芸場/4月上席夜の部(1〜10)新宿末廣亭/4月中席(11〜20)浅草演芸ホール/4月下席(21〜30)池袋演芸場/5月中席(11〜20)国立演芸場
さて、今回高座にかけられた噺は2つ。
弟子の真打披露及び襲名興行に師である八雲が掛けたのは「つるつる」。幇間の一八が芸者のお梅に岡惚れする。その態度があまりに真剣なのでついにお梅が根負けし、今晩二時にやってくれば夫婦となろう、と約束するのである。有頂天になる一八だが、常連客のヒィさんに供をするように言われる。12時になったら帰してやる、との言葉だが、悪戯でどんどん酒を飲まされ一八は泥酔していく、というのが筋書だ。幇間という、客につかなければやっていけない芸人の悲哀が最もよく出た噺として有名で、8代目桂文楽(先代。故人)の十八番であった。
原作で八雲は「(トリをとる助六の)ヒザ」と言っているが、ヒザというのはトリの落語家の前に出る芸人で、通常は紙切りなどの色物芸人が務めるからこれはありえない。アニメではそのセリフが「ヒザ前」に直されていた。ヒザ前は重要な立場で、客席がどんな状態であってもうまく空気を作り、ヒザとトリにバトンを渡せなければいけない。インタビュー本『桃月庵白酒と落語十三夜』でも、白酒が師である五街道雲助から「ヒザ前が務まれば大体寄席はどこ上がってもできるよ」と言われた話を紹介している。ヒザ前にしては「つるつる」は重い噺だとは思うが、それを感じさせないほどに八雲は軽く演じたのだろうか。
もう一つの噺は、改名後の助六が掛けた「浮世床」である。髪結床、すなわち昔の床屋に集った男たちが、退屈しのぎにさまざまな話をするという内容で、いくつものエピソードが数珠つなぎになっているオムニバス形式の噺だ。助六が語っていたのは、その中でも最後に近い「夢」のくだりだ。真打の高座だからおそらく、その前の「将棋」「軍記」もやって、たっぷり聴かせたのだろう。寄席にかけられることの多い噺なので、こまめに通っていればきっと耳にする機会もあると思う。私が好きだったのは十世桂文治(先代・故人)の「浮世床」で、その職人っぽい口調が雰囲気にぴったりだった。
恥ずかしながら筆者も、都内で落語会の企画運営をしております。機会があれば、ぜひ足をお運びください。次週のお薦めは1月18日(水)、落語立川流から落語芸術協会に移籍した立川談幸さんの会です。トリネタは冬の大ネタである「文七元結」と予告をいただいています。
(杉江松恋)
「そいからアタシはね。助六と約束して果たせなかった事がある。『二人で落語の生き延びる道を作ろう』ってね。どっちが一人欠けたってできねぇ事なんだ。だからこの穴埋めておくれ。それがふたぁつ」
「ら、らくご覚えんのはいいけどよぉ…そんなでけえ約束…できんのかな」
「できねぇ時? そん時ゃ諸共心中だよ」
「あとひとっつは?」
「絶対にアタシより先に死なねぇ事。いいね、約束だよ」
『昭和元禄落語心中』再開!
八代目有楽亭八雲に弟子入りした与太郎は、しくじりにより破門されかかるところを上記の3つの約束を守るという条件で許された。助六とは八雲が若かりしころ、共に落語興隆の夢を見た盟友だったが夭折し、後には忘れ形見の一人娘・小夏だけが残された。
与太郎は師と小夏、そして会ったことのない助六をも含めて絆で結ばれた家族になることを夢見、真打昇進に当たって助六を襲名することを八雲に懇願する。
雲田はるこ原作アニメ『昭和元禄落語心中』の第2部「助六再び編」は、2015年に放映された第1部から10数年後の物語だ。第1部では師である八雲と助六の青春期が中心に描かれた。時代は第二次世界大戦前夜から敗戦後、実際の演芸史においても落語が昭和の全盛期を迎えたあたりである。それから時が経った第2部は昭和は昭和でもバブル経済期と見ていいだろう。いや、背景に映画『ゴースト ニューヨークの幻』のポスターが貼られているのを確認したから1990年、昭和ではなくて平成に入ってからの物語である。原作では、5巻後半にあたる部分だ。
「笑点」司会者もまだ若手だった
1990年ごろの現実の落語界はどうなっていたか。
それを理解するのにもっともいいのが深夜番組である。土曜日深夜に放送されていた「平成名物TVヨタロー」が始まったのがこの年なのだ。松尾貴史・早坂あきよがMCを務めたバラエティー番組で落語家が出演するが着物は着させない、落語家としても振る舞わせないという画期的な内容だった。
当時の出演者は落語協会(チーム名は落協エシャレッツ)から三遊亭窓里・五明楼玉の輔・橘家文蔵、落語芸術協会(芸協ルネッサンス)から春風亭昇太、春風亭柳橋・春風亭柳好、五代目円楽一門会(円楽ヤングバンブーズ)から三遊亭愛楽・三遊亭好太郎・三遊亭楽春、落語立川流(立川ボーイズ)から朝寝坊のらく(廃業。故人)・立川談春・立川志らくという顔ぶれである。大名跡を継いだ人がいたり、最もチケットが予約しにくいと言われている演者がいたり、「笑点」の現司会者がいたり、と賑やかだが、当時は全員駆け出しもいいところで、真打は1人もいなかった。
当時は落語家が落語家っぽく振る舞うことがテレビで嫌われた時代で、だからこその手垢のついていない若手を起用しての「ヨタロー」だったのである。
助六といっしょに真打昇進したのは誰?
第1話では与太郎が真打昇進と同時に三代目有楽亭助六を襲名し、師と共にお練りで花道を飾る。お練りというのはパレードのことで、寄席の周辺をお客に祝福されながら歩くのである。実際の落語界では2005年に9代目林家正蔵が前名こぶ平からの襲名披露の際に行われたのが最近の例で、それまでは絶えてしばらく無かったはずだ。
では1990年当時の現実の東京落語界ではどんな演者が真打昇進していたのかといえば、以下のひとびとである。昇進の月ごとにまとめておく。
1990年3月
林家しん平(落語協会)※奇しくも、アニメ『昭和元禄落語心中』の落語監修者である。
林家錦平(落語協会)
橘家半蔵(落語協会)
古今亭菊丸(落語協会)
三遊亭五九楽(五代目円楽一門会)
同5月
瀧川鯉昇(落語芸術協会)
桂幸丸(落語芸術協会)
立川志の輔(落語立川流)
というわけで、現在は落語芸術協会の大ベテランで人気者(最も弟子数も多い)の鯉昇や、落語立川流きっての売れっ子である志の輔が真打昇進という意味では与太郎=三代目助六と同着ということになる。
「落語心中」の持つ意味とは
冒頭で紹介したように「落語と心中」の本来の意は、有楽亭八雲が弟子である与太郎に、石にかじりついてでも落語と添い遂げろ、という意図で伝えたものだった。ところが今回の第1話における有楽は、
「落語なんかは汚れる前にきれいさっぱりなくなった方がいいと思ってるよ」
「落語と心中。それがアタシの定めさ」
と言うように、消えゆく芸能として落語をとらえ、それと共に滅びようという心境になっている。
『昭和元禄落語心中』が現実と異なる点は、東京に寄席が1つしか現存していない世界ということだ。実際にはこの時代にも民営・公営併せて5軒の寄席が存在していたし、古今亭志ん朝・立川談志(共に故人)といった、かつて才能を嘱望された演者が落語界を支える屋台骨として成長し、盛んではないにしろ滅亡を思われるほどの衰退ではなかった。
原作者の雲田はるこは、それを重々承知の上で寄席1軒という状況を作り出したのだろう。協会(これも作中では1つしかない)の最古参となり、会長として落語という芸能そのものを背負う立場になった八雲は、時代の重みに耐えかねて自らの終幕を思うようになる。それを許さず、新時代を見据えて前に進もうとする助六という構図である。つまり『昭和元禄落語心中』は、新旧世代の対立の物語でもあるのだ。第2話以降、それがどのように膨らんでいくか。落語ファンもそうではない方も注目していただきたい。
襲名の話が出たので紹介しておく。2017年3月より落語協会の真打昇進興行が予定されている。今回の昇進は以下の5演者だ。
林家ひろ木(木久翁門下)
春風亭朝也改メ三朝(一朝門下)
柳家ろべえ改メ柳家小八(小三治門下)
三遊亭時松改メ三遊亭ときん(金時門下)
鈴々舎馬るこ(馬風門下)
ろべえは2016年に亡くなった柳家喜多八の唯一の弟子で、死後は大師匠(師匠の師匠)である小三治門下となった。真打披露興行は普段の寄席とは違った楽しみがあるので、機会があればぜひ足を運んでみていただきたい。
予定は以下の通りである。
3月下席夜の部(21〜30)鈴本演芸場/4月上席夜の部(1〜10)新宿末廣亭/4月中席(11〜20)浅草演芸ホール/4月下席(21〜30)池袋演芸場/5月中席(11〜20)国立演芸場
今回の噺
さて、今回高座にかけられた噺は2つ。
弟子の真打披露及び襲名興行に師である八雲が掛けたのは「つるつる」。幇間の一八が芸者のお梅に岡惚れする。その態度があまりに真剣なのでついにお梅が根負けし、今晩二時にやってくれば夫婦となろう、と約束するのである。有頂天になる一八だが、常連客のヒィさんに供をするように言われる。12時になったら帰してやる、との言葉だが、悪戯でどんどん酒を飲まされ一八は泥酔していく、というのが筋書だ。幇間という、客につかなければやっていけない芸人の悲哀が最もよく出た噺として有名で、8代目桂文楽(先代。故人)の十八番であった。
原作で八雲は「(トリをとる助六の)ヒザ」と言っているが、ヒザというのはトリの落語家の前に出る芸人で、通常は紙切りなどの色物芸人が務めるからこれはありえない。アニメではそのセリフが「ヒザ前」に直されていた。ヒザ前は重要な立場で、客席がどんな状態であってもうまく空気を作り、ヒザとトリにバトンを渡せなければいけない。インタビュー本『桃月庵白酒と落語十三夜』でも、白酒が師である五街道雲助から「ヒザ前が務まれば大体寄席はどこ上がってもできるよ」と言われた話を紹介している。ヒザ前にしては「つるつる」は重い噺だとは思うが、それを感じさせないほどに八雲は軽く演じたのだろうか。
もう一つの噺は、改名後の助六が掛けた「浮世床」である。髪結床、すなわち昔の床屋に集った男たちが、退屈しのぎにさまざまな話をするという内容で、いくつものエピソードが数珠つなぎになっているオムニバス形式の噺だ。助六が語っていたのは、その中でも最後に近い「夢」のくだりだ。真打の高座だからおそらく、その前の「将棋」「軍記」もやって、たっぷり聴かせたのだろう。寄席にかけられることの多い噺なので、こまめに通っていればきっと耳にする機会もあると思う。私が好きだったのは十世桂文治(先代・故人)の「浮世床」で、その職人っぽい口調が雰囲気にぴったりだった。
恥ずかしながら筆者も、都内で落語会の企画運営をしております。機会があれば、ぜひ足をお運びください。次週のお薦めは1月18日(水)、落語立川流から落語芸術協会に移籍した立川談幸さんの会です。トリネタは冬の大ネタである「文七元結」と予告をいただいています。
(杉江松恋)