【日本人が知らないニッポン】加賀の至宝「山中漆器」に出会う
日本は「地域物産の国」と表現してもいいかもしれません。
亜寒帯から亜熱帯にかけてのびる島国、それが我が祖国日本です。
一個人では把握できないほど、各地域に様々な伝統文化や物産が存在します。しかし東京というコンクリートジャングルに住んでいれば、余計にそのことが実感しづらくなります。
だからこそ、たまには地方の物産店などの催事に足を運んで、乾いた心を潤してみてはいかがでしょうか。
・加賀の伝統工芸品
12月7日から13日にかけて、伊勢丹新宿本店において石川県在住の木地師・田中瑛子さんの作品展示会が催されました。
木地師とは、言い換えれば漆器作家。田中さんはこの世界では珍しい若手女性作家として、広く知られるようになりました。
田中さんの手がける山中漆器は、天正年間(西暦1573~1592年)に高度な木工技術を持った職人集団が今の石川県加賀市に定住したのが始まり。
この時代は戦国期の真っ只中で、織田信長や豊臣秀吉、徳川家康が戦場で荒れ狂っていました。
そんな中、様々な工芸品を作り出す職人はどの大名家からも重宝されていました。戦国時代は「いかに職人を囲い込むか」ということが求められ、彼らの働きがそのまま国力に直結したのです。
石川県は日本一の漆器の産地として知られていますが、その源流をたどると戦国時代に突き当たります。
・漆器と戦国
木地師は、森林伐採を許可する綸旨(朝廷から発給される文書)を持っていました。
彼らが材木資源に恵まれた土地で活動することができたのは、そうしたきっかけがあるから。ですがそれ以上に、その地域の支配者が彼らの力を欲していたということがあります。先述の通り、職人は大名に強大な力をもたらしていました。
この時代、食器は権力の象徴です。西洋から来た宣教師も、日本では茶碗や漆碗が何よりも大事に扱われると記録に残しています。それを持たない者は、諸大名から見下されていました。
豊臣秀吉は華美な碗を求め続け、その結果侘び寂びを追求する千利休と対立したという有名なエピソードがあります。秀吉自身も彼の上司だった織田信長も、より良い器のために巨万の富を投じたというのは不動の歴史的事実。そしてそれを生み出す職人たちは、激動の時代を切り開く鍵を常に握っていました。
・古きを訪ね新しきを知る
田中さんは天正年間以来の伝統技術を受け継ぎ、なおかつ女性特有の視点からそれを進化発展させています。
加賀の風土が培った漆器の表面は、まるで燃え盛る紅蓮の炎。掌に収まるサイズの中に、数百年分の歴史が凝縮されています。一方で曲線美を強調したデザインは現代のモダンアートを感じさせ、見る者の心を鷲掴みにしてしまいます。
日本には、このような素晴らしい工芸品がたくさん存在します。実際に現地に赴かずとも、それにまつわる品物を目にした瞬間から壮大な旅が始まるのです。
温故知新。それこそが「旅する者」の究極の目的ではないでしょうか。
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