日本ウェルネス高等学校(東京)【前編】
日本ウェルネスが強くなった背景とは?
今春、創部初の春季都大会ベスト16入りを果たし、初のシード権を獲得した日本ウェルネス高等学校。広域通信制高校の日本ウェルネスは、2011年から大会に参加した。
実は、秋と春の大会は、昨年の1年生(現在の2年生)が入るまで、野球部員が登録メンバーの人数まで、揃うことはなかった。いつもサッカー部から助っ人を借りて、何とか出場をしていたチームだった。そのため、ブロック予選敗退が続いていた。そんなチームがいかにして、シード権を獲得するまでのチームになったのか。さらなる上昇を目指す日本ウェルネスを追った。
美齊津 忠也監督(日本ウェルネス高等学校)
東京都清瀬市にある下宿第二運動公園グラウンド。ここで日本ウェルネスは平日の週4回練習をしている。
練習場での雰囲気は非常に活発だ。フリー打撃は三か所で行い、守っている選手が声を出し、グラウンドの横で素振りしている選手が大きな声を出し、そして一塁、三塁のファールゾーンで選手たちが黙々とティーバッティングを行っている。
どこの学校にでもあるような練習風景と思えるが、この練習風景になったのは昨年から。今までは、9人前後で紅白戦もできないチームだったのである。ここまでの道のりは相当な苦労があったに違いない。
現在の野球部の基礎を作り上げたのは、間違いなく美齊津 忠也監督だろう。
美齊津監督は土浦日大から日本大学に進み、大学4年生の時に学生コーチをしながら教職を履修しはじめた。そして教職免許を取得した後の、指導者としてのスタートは駒場学園のコーチだった。当時そのチームには、那須野 巧投手(元千葉ロッテマリーンズ)、伊藤 秀範投手(香川オリーブガイナーズ投手コーチ)がいた。
2001年には日大のコーチに戻り、村田 修一(現・読売ジャイアンツ<関連記事>)、館山 昌平(現・東京ヤクルトスワローズ<関連記事>)とともに大学選手権に出場し、指導者として準優勝を経験。2001年末から青森山田のコーチに就任、2013年末まで約12年間も青森山田の監督やコーチを務めた。
その間に、柳田 将利(元千葉ロッテ)、吉田 一将(オリックス・バファローズ<関連記事>)などのプロ選手、今年、ドラフト候補に挙がる京田 陽太選手(日本大学<関連記事>)、現在社会人でプレーする選手たちを指導している。青森山田での12年間は非常に大きなものだった。
[page_break:就任当時は人数が足りず、部員を借りて出場]「青森山田は全国制覇を目指すチーム。そこで学んだことは大きいです。何を学んだかといえば、練習のやり方です。守備力を高めるための方法、打撃力を高めるための方法、体を大きくする方法、大会を勝ち進む方法など、理論的な事を学びましたね。個人の技術は、個人練習で伸ばすもの。青森山田は猛練習すると思われがちですが、全体練習はそこまで長いチームではなかったんですよ」
こうして青森山田で培った理論を、日本ウェルネスでは段階に応じて伝えることになる。
就任当時は人数が足りず、部員を借りて出場内野を守る選手たち(日本ウェルネス高等学校)
2013年12月、日本ウェルネスの監督に就任した美齊津監督はグラウンドにいる人数を見て驚いた。何と7人しかいなかったのである。これでは春のブロック予選に出場できない。さらに冬が明けると部員が1人辞め、転校生も1人いたため、試合に出場できるのは5人だけになってしまった。
春の大会は、サッカー部の生徒を助っ人として借りてなんとか出場したものの、とても勝てるチーム状態ではなかった。都立南多摩・南多摩中等教育との一戦では、4対20で敗れてしまう。そして夏も初戦敗退したが、秋のブロック予選で都立拝島に4対1で美齊津監督が就任して公式戦初勝利を収める。次の代表決定戦では敗れたが、この勝利を機に選手たちは変わった。
2015年1月、美齊津監督が選手たちに目標を聞いたところ「最初は初戦突破が目標だった彼らが、甲子園に行きたいという気持ちに変わっていました。1勝したことで、選手たちに勝利したい欲が生まれたんです」
秋の公式戦1勝は選手たちを変えた。春のブロック予選は敗退したが、その後、今の新2年生が23人入部。「やっとここから野球部らしい練習ができるようになりましたね」。こうして日本ウェルネス野球部は軌道に乗り始めたのである。
まだ9人前後で紅白戦もできない状態だった頃。美齊津監督は打撃投手を務めたり、練習試合でも人が足りなければ美齊津監督が投げたこともあったという。現在は50人近くとなり、B戦も組めるほどになった。人数が揃い、腰を据えて強化できるようになった。
[page_break:野球の基本を覚えることで自分で考えられる]野球の基本を覚えることで自分で考えられる話を聞く選手たち(日本ウェルネス高等学校)
前述したように、清瀬市にあるグラウンド練習は平日4日、うち1日はグラウンドを使用できないため、学校での座学を行う。座学は、戦略的なこと、体作りのこと、精神面を美斉津監督が選手たちに伝えている。そこで話していることは、青森山田で培った理論や、青森山田の前に指導していた日本大学で村田、館山などプロ入りした選手のエピソード等だ。練習・座学を通じて、まずは「野球の基本」を教えている。
「彼らは野球について知らない生徒が多い。まずこちらから野球の基本の『キ』を教えている段階。基本を知らなければ、何も考えられません。まず野球を知ることができれば、自分からどうすれば良いのか、考えるようになりますから。練習では、普通のノックはまずやらないですね。守備練習はフォーメーションの練習、打撃練習では逆方向への徹底など応用も教えています」
選手たちには自分で考えて上達できるようになってもらいたいが、前提となる基礎・知識がなければ、何もできない。そこで美齊津監督は今までの経験をすべて伝えているのだ。
青森山田時代、主にバッテリーを指導していた美齊津監督。「ディフェンスの指導には自信がある」と語るように投手を中心とした守りの野球で、チーム作りを行っていた。その結果は着実に表れ、夏には正則に6対4で勝利しチームとして初の夏勝利を記録すると、3回戦では12対7で早稲田を破り、4回戦進出を決めた。秋は明大明治に敗れたが、9人ギリギリだったところから29人(今の2、3年生合わせて)にまで増え、練習の密度も濃くなった日本ウェルネス。初めてといっていいほど充実した冬を過ごしたナインは着実に力を付け、この春、快進撃を見せる。
ブロック予選ではまず都立芦花を接戦の末4対3で破り、迎えた代表決定戦では都立三鷹中等教育に10対3で勝利し、初の春季東京都大会出場を決めたのであった。
前編はここまで。後編では躍進を果たした春季東京大会の戦いぶりを振り返っていきます。お楽しみに!(後編に続く)
(取材・文/河嶋 宗一)
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