マリナーズ時代のイチロー【写真:田口有史】

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元同僚が明かした逸話、「彼はすごく立腹していた」!?

 メジャー16年目のシーズンを戦っているマーリンズのイチロー外野手。最年長野手は今季打率3割1分4厘と限られた出場機会で活躍し、メジャー史上30人目の通算3000安打まで54本と迫っている。現役引退後の有資格1年目でメジャー殿堂入りすることも確実と評されているレジェンドはこれまで数々の伝説を残してきた。

 2001年に阪神でプレーしたエドゥアルド・ペレス元内野手もイチローと縁のある人物の一人だ。メジャー殿堂入りを果たしたトニー・ペレス元内野手を父に持つ同氏は2006年シーズンにマリナーズに所属し、イチローとプレーした経験を持つ。現役引退後の2011年にはマーリンズの打撃コーチを務め、現在は地元テレビ局「フォックス・フロリダ」で解説者を務めている。

 そんなペレス氏がイチローとの衝撃のエピソードを披露している。

 1日(日本時間2日)に行われたブルワーズ-マーリンズの一戦。試合を中継した同局の解説を務めた同氏は「フォックス・フロリダ」の実況に「今はイチローのバットの物語を紹介するいいタイミングです」と促され、こう話し始めた。

マリナーズ時代の衝撃エピソードとは…

「シアトル時代に私は同僚でした。タンパベイに遠征で行きましたが、彼はバットをすごく大事にしていました。過保護と言ってもいいほどです。彼は除湿剤を入れて丁寧に保存していました。全てが最高の状態で、彼の貴重な収集物のようでした。

 私は当時不振でした。彼に“バットを試合で使っていいか?”と聞いたら、“ノー”と断られました。私は“頼むよ。バットを使わせてくれないか”と食い下がったのですが、ダメでしたね。私は日本でもプレーしていました。当時はチームメートや通訳に溶け込もうとしていたのですが、日本は文化的にノーと言うのが難しい文化でした。(日本人にノーと言われたことは)初めてでした」

 2割2分2厘、3本塁打と結果を残せなかった阪神の1年間で「ノーと言えない日本人」という文化的側面を感じていたというペレス氏。ただ、安打製造機のバットを借りて不振を脱出したいという切なる思いは、最後まで諦めきれなかったようだ。同氏は続ける。

「私はイチローが即座にノーと言ったことがショックでした。彼は他の方向を見やるようにしていました。それでも、私はあまりに不振だったので、彼のバットを使うことにしました。私はそれほど必死だったのです。私は彼のバットを掴み、打席に入りました。打席で“イチ”と呼びかけると、彼はすごく立腹していました」

“魔法の杖”は威力発揮も…「彼はかなりガッカリしていた」

 デビルレイズ戦(現レイズ)で強硬手段に打って出たペレス氏に4歳年下のイチローはさすがにムッとした様子だったというが、安打を量産していたスーパースターの“魔法の杖”は効果を発揮したようだ。

「小さなバットでしたが、先にあたり、ヒットを打ちました。一塁で私はあまりに嬉しくて、イチローを見ると“そのバットはあげるよ”という感じでした。彼は私にかなりガッカリしていたようですが、私は嬉しすぎて、お構いなしに愛情とハグを彼に注ぎました。バットにサインしてもらいましたね」

 日本ではあまり考えられない話だが、どうしてもヒットが打ちたくて“強行突破”でバットを無断使用した同僚に、背番号51は記念のサインまでプレゼントしたという。ペレス氏はこの年、途中加入したマリナーズで43試合に出場、打率1割9分5厘、1本塁打、11打点と苦しみ、これがメジャー最後のシーズンとなった。

 あまりに衝撃のエピソードに、実況は「そのバットはまた使ったの?」と質問したが、ペレス氏は答えなかった。イチローに伝説あり。かつてのメジャーリーガーですらスーパースターとの逸話を胸に温めている。