12日放送、テレビ朝日「しくじり先生 俺みたいになるな!!」には、元K-1ファイターで2003年、2004年と2度のK-1GPファイナリストとなった武蔵が出演。現役時代の“逃げ腰のファイトスタイル”を振り返りながらも、自分を貫くことの大切さを訴えた。

自らのファイトスタイルを「逃げてばっかでダッセェな!」と表現した武蔵は「(ブーイングは)めちゃめちゃされてた。(銭湯やサウナに行くと)知らないおじさんとかに“もっと行ってくれよ。なんであそこで行かないんだよ”ってめっちゃ言われました」と苦笑い。

それでも武蔵はK-1全盛期にアーネスト・ホーストやミルコ・クロコップ、ジェロム・レ・バンナ、レイ・セフォーといった錚々たる強豪外国人選手らと来る日も来る日も戦い続けており、「正直、逃げないと危ない」とキッパリ。「なぜ手を出さなかったのか? めっちゃ怖かった」と自虐的に語ったが、「大きな外国人選手と戦えばガードしててもガードの上から効かされちゃう。手を出したら出し返されますから最初から手を出さずに判定勝ちを狙っていこう」と説明した。

また当時はテレビ放映もあり、武蔵以外に強豪外国人選手らと勝負できる日本人ヘビー級選手が極めて少なかったため、主な日本人K-1選手が1年で約2試合というところを最高で年11試合も課せられたという武蔵。ある試合後、血を流して休んでいた控え室に番組プロデューサーが来て、「来月(相手は)ボブ・サップだから」と軽い感じで告げられたエピソードを明かすと、「(無理だとは)言えないですね。まず日本人選手がそもそもいない。試合数が増えただけでも悲劇なんですが、対戦相手が全員バケモノ」と話した。

過酷過ぎる状況には他の出演者達も同情するしかなかったが、それでも「当時の追い詰められた僕の状況が、超逃げ腰の戦い方、武蔵流を完成させた」と言葉を続けた武蔵。「やってた頃は“そんな戦い方あかん”って言われた時代もありましたけど自分は自分で貫こうと思ってやってきた結果、僕は世界一のディフェンスとまで言われたこともある。周りが評価してくれた。やっててよかったなと思いました」とそのキャリアを総括した。