ご家族と出席した公務で、昨年に比べ緊張されていなかった悠仁さま。おばあさまがかつて示された育児方針を、お母さまとお姉さまも継承されているからのようだ。

「佳子さまは会の終了後、関係者ひとりひとりに”ありがとうございます”とご挨拶を。悠仁さまは、沖縄戦のときに10歳だった女性の体験談を真剣な表情で聞き入っていらっしゃいました」

8月17日に都内のホテルで開かれた、「沖縄戦終結70年・鎮魂と平和への祈り『地上戦と子どもたち』追悼の集い」に出席された秋篠宮ご一家の様子について、そう語るのは宮内庁担当記者。

「沖縄地上戦と子どもたち」の式典で着席されるご一家。悠仁さま(右)はイスを指して、紀子さまに何かお尋ねになったようだった(8月17日)

今年は日本が戦争に敗れてから「70年」の節目ということもあり、英国に留学中の長女・眞子さま(23)を除き、ご一家で戦争関連の展示施設を訪問されている。

「7月17日には、秋篠宮ご夫妻と佳子さまで『はがきで綴る戦争の記憶―千の証言展』もご覧に。8月7日にはご一家で、戦中・戦後の国民生活の資料などが展示される国立施設『昭和館』も訪問されました」(同・記者)

第2次世界大戦中に、地上戦となり約20万人の犠牲者を出した沖縄県への思いも強く、

「昨年の8月には、戦争末期に米軍に撃沈され、子どもだけで800人近くが犠牲になった沖縄の学童疎開船『対馬丸』の追悼行事にも、ご一家で出席されました」(同)

今回、ご一家は式典の前に沖縄戦関連の展示もご覧になり現在、お茶の水女子大学附属小学校3年の悠仁さまへの”教育方針”の一端がうかがえる場面もあった─。

「年齢に応じて基本的に身につけるべきことや学ぶべきことなど多々ありますけれども、与えられた立場にふさわしく努力していけるように……」

悠仁さまの教育方針について、2013年11月の秋篠宮さまのお誕生日会見で、そう述べられた秋篠宮妃紀子さまだが、すでに”成果”が─。

悠仁さまは1年前の式典では、お姉さまたちと同じ動きをすることに精いっぱいの様子でしたが、今回は自信がついて行動されているようでした」

そう話してくれたのは、展示場で案内役を務めた教育絵本作家の佐藤八重子さん。

佐藤さんは「対馬丸」の悲劇を伝える絵本『悲しい対馬丸の話―命こそ大切―』の絵を担当している。

悠仁さまが、撃沈された『対馬丸』から子どもたちが海に飛び込んでいく絵本の原画と解説文を、熱心に読まれていたときのことが印象的でした。時間がきたので、”次に行きましょうか”と私が申しあげると、紀子さまが”悠仁が今、読んでいるのでもう少しお待ちください”とおっしゃって、悠仁さまに寄り添い集中させていたのです」

そして、そんな真剣な眼差しの悠仁さまを、佳子さまは笑みを浮かべ少し離れた場所から見守られていたという。興味を持つものについては、できるだけ集中させてあげる─そんな秋篠宮家の”帝王教育”の方針が浮かんでくる。

心臓の精密検査後も、お出ましを続ける美智子さま(福島青年管弦楽団の公演・8月20日)

未来の天皇への教育といえば、皇后美智子さまの「ナルちゃん憲法」が知られている。

「1960年、美智子さまが生後7か月の皇太子さま(当時・浩宮)を残して訪米する際に書かれた10を超える育児心得のノートで、皇太子さまのお名前の徳仁からとったものです」(皇室記者)

そのなかでは、「できるだけひとつのもので遊ばせるように」「”ながら病”はできるだけ避けること」といったような、集中力を養う方針も。弟の秋篠宮さま(当時・礼宮)も基本は同じだったはずで、それが紀子さまにも脈々と受け継がれ、悠仁さまの教育に生かされているのだろう。

紀子さま流の”距離感”で今後、悠仁さまがどう成長されるのか楽しみだ。