昨夜、NHKで「3月11日のマーラー」というドキュメントをやっていた。
震災の日の東京で、100人に満たない観客を前に新日本フィルハーモニーが気鋭のイギリス人指揮者、ダニエル・ハーディングによる大曲マーラーの「交響曲第5番」を演奏したという話だ。
誰もが異常な興奮と不安に苛まれたあの日に、少なくとも外見上は何事もなかったかのように演奏会を行った音楽家たちと、帰宅できないかもしれない懸念を抱きつつ集まった観客。音楽家の中には東北に親戚がいる人もいた。彼らは「音楽どころではない」という後ろめたさに苛まれつつも演奏を始める。英人ハーディングは、地震に臆することなくタクトを取る。観客も戸惑いながら席に着き、音楽を聴きはじめる。

緊張の中で曲ははじまるが、演奏者たちは次第に音楽に没頭していく。いつしかこの時間が「かけがえのない時間だ」と感じられるようになって、異様なまでに純度の高い音が響きはじめる。客席も惹きつけられて集中する。観客も演奏者も深い感動に包まれた。奇跡のような2時間が生まれたのだ。帰宅できなくなった観客の多くは、演奏者とともにホールで一夜を過ごす。

観客の一人は、その日の感動を人に話すことがはばかられて、今回の取材まで誰にも話さなかったという。日本人のつつましさ、美しさの結晶のような話だ。

「特別の時間」を共有したという思いが、その日の記憶をより感動的なものにしたということもあるだろう。しかし、抗うことのできない自然の脅威の前に立った芸術家たちが、命がけで演奏をし、一人一人が限界点を超えた能力を発揮したのかもしれない。震災という未曽有の災害が、「一期一会」の場を現出させたのではないか。「芸術の力」を実感できた稀有な番組だった。

前置きが非常に長くなった。昨夜のドキュメントと、その前に終わったNPB選抜対台湾プロ野球の「東日本大震災復興支援ベースボールマッチ」と対比せずにはおれなかった。

試合は確かに意義あるものだったと思う。多くの義捐金が寄せられるだろうし、錚々たる選手が東北に向けて送るメッセージは被災地を力づけるだろう。

しかし、私にはこのイベントは多分に焦点がぼけていたように思えてならない。震災当日の演奏家と比較してはいけないだろうが、一つ一つのプレーが人々の感動を呼ぶレベルだったとは思えない。

まず対戦相手が台湾だったこと。かつては日本を脅かす実力を持っていた時期もあるが、八百長事件以来(解説の衣笠は「ある事情で」でぼかしていた)、実力は低迷している。2009年のWBCアジアラウンドでは日本はおろか、中国にさえ勝てなかった。真剣勝負をするには、あまりに役不足だった。

そして選手は、若手中心にいい顔ぶれが集まってはいたが、オープン戦序盤でもあり本当の実力を出せる状態になかった。送り出す球団にしてみれば、「怪我をせずに帰ってきてほしい」が本音だったと思われる。
台湾は立ち上がりに球が走っていない田中将大から2番潘武雄が左翼へ本塁打するなど、予想外に健闘したが、終わってみれば9対2。投球でも守備でも打撃でも、相手にはならなかった。典型的な「花相撲」で終わってしまった。




民放キー局の放送に多くは望まないが、相変わらずのアナウンサー主導。「侍ジャパン」の復活を声高に叫んではいたが、中身の薄いものだった。点差が開いてからは特に空しく感じられた。オープン戦が終わってから連れてこられたDeNAの中畑監督は解説席で目が線のように細くなって舟を漕ぎそうになっていた。気の毒だった。9回2死で中継を打ち切ったのは、醜態以外の何物でもない。

もちろん、それでも被災地救援に役立つのであれば、有意義だったというべきなのだろうが、本来的には選手が「真剣勝負」をささげることが、望ましかったように思う。

3月11日近辺に真剣勝負の野球をするのは時期的に難しい。震災イベントは野球ではなく、チャリティの催しなどにするべきではなかったか。

本気の勝負で被災地、日本を感動させるのであれば、3月30日に始まる開幕戦の6試合すべてを「震災復興支援マッチ」にすべきではなかったか。その日の収益に相当する額を12球団が義捐金にするとか、球場で大々的な募金活動やチャリティイベントをするとか、いろいろできたと思う。

NPBのペナントレースで最も晴れがましい、最も気合の入る開幕戦こそが「震災復興」の名にふさわしかったのではないかと思う。