久保建英の異才/六川亨の日本サッカーの歩み

写真拡大

先のJ1リーグ、FC東京vs磐田は、久保建英の今シーズンJ1初ゴールでFC東京が1−0の勝利を収め、開幕からの無敗記録を11に伸ばした。右CKからのこぼれ球を久保は鮮やかな左足ボレーで決め、過去4試合ノーゴールに封じこまれていたGKカミンスキーの牙城を破った。

久保のスーパーゴールはその後の報道でも紹介されていたのでここまでにして、彼が凄かったのはゴールだけでなく、そのパスセンスだ。

前半15分にディエゴ・オリヴェイラへ、密集地帯にもかかわらず針の穴を通すようなピンポイントのパスでシュートを演出した。後半28分には中央でボールをキープしつつ、右サイドのスペースにスルーパスで室屋成の攻撃参加を引き出すパス。あまりの意外性にスタンドはどよめいた。残念ながら球足が強く室屋は追いつけなかったが、このパスを見て思い出したのが中田英寿だった。

若かりし頃の中田――98年フランスW杯当時は、味方が間に合わないような強めのパスを出し、それに追いつけないと味方選手を非難した。たぶん“世界基準”では、緩いパスでは相手にカットされるので、パススピードの重要性を早くから認識していたのだろう。足下から足下への緩いパスではJリーグでは通用しても、世界を相手にしては通用しない。そんな思いが中田にはあったのではないだろうか。

似たような思いは80年代にもあった。選手はピッチで戦っているため“1次元”の世界である。しかし記者席で取材していると、上から俯瞰して見られるため“3次元”の視点になる。そこでは、「この状況では、ここにパスを出した方が守備も手薄なため効果的」なのに、違う選択をする選手もいた。

現役を引退したばかりの柱谷幸一氏は、かつての国立競技場の記者席で毎日新聞のコラムニストとして取材した時に、「上から見るとこんなにも(試合の状況が)わかるのですね」と驚いていた。

1次元と3次元の視点の違いである。ところが、3次元の視点で見ていても、「えっ、そんな選択肢があるの?」とか「そこにパスを出すの?」と記者席から見ていて驚かされた選手に初めて遭遇した。それが木村和司だった。

口べたなため、自身のプレーの解説はあまり得意ではない。まさに本能のままにプレーした稀代の名プレーメーカーだろう。

彼の系譜は、その後の日本代表ではラモス瑠偉、名波浩、小野伸二、中村俊輔と引き継がれ、フィジカルを重視される現代サッカーでは本田圭佑が継承者となった。

その次は誰かというと、柴崎岳なのか判断が難しいところに久保という異才が登場した。過去のゲームメーカーとはポジションが違うものの、間違いなく日本サッカーの将来を担う逸材でなないだろうか。

彼のプレーを見られる幸せを、できるだけ長く楽しみたいものでもある。【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。