若者がクルマに速さや楽しさを求めているかというと、話はそう単純ではない(写真:Fast&Slow / PIXTA)

「若者のクルマ離れ」と言われて久しい。日本自動車工業会が今月発表した2017年度の乗用車市場動向調査によると、クルマを保有していない10〜20代のうち、「車を買いたくない」「あまり買いたくない」という回答が全体の54%に達した。若者の半数超が車を買いたくないという心境にあることになる。

定かではないが、「若者のクルマ離れ」という言葉は2000年ごろから使われだしたようだ。

本当に若者のクルマ離れが起きているのか

そもそも、若者のクルマ離れという根拠をどこに見るのか? いつを基準にそれ以降の若い世代がクルマ離れをしているというのか? まことに根拠が定かでない物言いでもある。


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警察庁の運転免許証に関する統計を見ると、2017年まで、運転免許証の保有者数はほぼずっと増加傾向だ。1969年を基準にすると、当時に比べ昨年は3.3倍に増加している。

ただし、年齢別運転免許証保有者数で最も多いのは40〜49歳で、20〜29歳はその6割ほどであるから、この比較では運転免許証の保有者数が若年層ほど減っている。だが、1955年生まれの私と同年代の保有者数は7割5分強であり、子どもの頃クルマにあこがれた世代も、現代の20歳代とそれほど大きく数が離れてはいないこともわかる。

ちなみに、団塊の世代といわれ人口構成比の多い70歳前後は、いまだに運転免許証保有人数が多く、それは彼らの子ども世代といえる40〜49歳の数に近い。ここから、本当に若者のクルマ離れが起きているのか、あるいは単に人口構成比率が原因なのかは見えにくくなる。

今年63歳になった私が、小学校から大学に掛けて過ごした日々は、周りの多くの人がクルマに感心がなかった。クラスでクルマの話で花を咲かせることができるのは数人だった。

大学時代からレースをやったが、そのとき集まった同じクラスの人間はたった2人である。ほかに、車高を下げて、太いタイヤを履かせ、3連ホーンを取り付けた好き者もいたが、せいぜいそれくらいであった。レースをしたい、レースをやっていると言えば、暴走族と同列に見られた。そういう肩身の狭い思いもした。それでもクルマやレースへの情熱が冷めることはなく、卒業後、定職に就かずアルバイトで日銭を稼ぎながら4年間レースに打ち込んだ。

いまから四十数年前は、そんな時代であった。

より多くの人にクルマへの関心が高まったのは、スーパーカーがもてはやされた1970年代後半であろう。さらに、80年代後半のバブル期にF1ブームが起き、ホンダのエンジンを搭載するマクラーレンに乗ったアイルトン・セナが人気を博した。その時代に子どもから青年期を過ごした世代は、クルマやモータースポーツに感心がないという若い世代に驚きを隠せないのだろう。そこから、若者のクルマ離れの言葉が生まれたかもしれない。

とはいえ、私と同世代の親を持つ子どもの中に、クルマが好きな青年を何人も知っている。彼らは、学校でクルマの話をするとオタク扱いされると言うが、それでも本人が好きなら関係ないと平気な顔で、クルマ関係の企業に就職している。そういう彼らに、かつて暴走族扱いされた自分が重なり、親しみを覚えもする。

人気車種が現れる背景

クルマが好きになるとは、どういうことなのだろう。

もちろん、速さという醍醐味はあるだろう。そこに私もかつて惹かれた。だが、速いことだけが好きになった要因ではない。格好いいデザインも不可欠だ。クルマが格好いいとはどういうことかといえば、速さを目に伝えることのほかに、自分の未来を重ね合わせられる夢が必要なのではないか。

かつて、1960年代から1970年に掛けてのクルマは、デザインに夢があった。それは、カーデザイナーたちが夢を描こうとしたからではなく、速さを見せるため、人間より速く駈けたり飛んだりする生き物などから創造力を膨らませ流線形を描き、なおかつ速さを生み出す技術にも知見をもって描いていたからではないだろうか。カギは、人の創造力にある。

一方、今日は、空気の流れもコンピュータシミュレーションにより画面上で見ることができる。どういう形が速さを生み出す要件なのかが一目瞭然だ。そこを外せば、空気抵抗が増え、燃費が悪化し、新車の性能競争で負けてしまう。

あるいは衝突安全基準が厳しくなり、外板の内側の構造がこうでなければ衝撃を吸収しきれないとか、歩行者保護できないという骨格が決まるため、それを覆う形はおのずと制約を受ける。

同時に、生産過程ではプレス機械が対応できる鋼板の曲げを超えることができないため、曲面の作りかたが同じようになる。かつて、プレスできなければ人が鉄板を叩いて曲面を作り出したが、大量生産と原価低減に厳しい現代ではまず無理だ。

クルマは、時代とともに走行性能や生産方法、あるいは安全性能が成熟したが、一方で、人間の創造力を活かしたデザインをしにくくなっているのも事実だろう。

それでも、人気車種というのはある。

人気車種が現れる背景には、その自動車メーカーの哲学や、あるべき姿という存在価値の検証が行われている。表層的に、ただ格好よければいいとか、速そうに見えればいいというだけでない、人間の心に迫る本質への追求が新車という形になって表れたとき、たとえ空力や安全基準の制約があっても新しい発見を持ち込み、魅力ある新車が生みだされる。

筋の通った新車開発ができる自動車メーカーは、年間生産台数200万台前後の規模であると私はみている。たとえば、メルセデス・ベンツ、BMW、アウディなどがそうであるし、日本車ではマツダ、スバルがその規模で、スウェーデンのボルボはわずか60万台にすぎない。トヨタに組み込まれるレクサスも、67万台規模(2016年)である。

グループで1000万台を競い合う自動車メーカーは、なかなか上記のような筋の通った志で一台一台の新車を開発することは難しい。トヨタブランドとしては680万台のトヨタ、フォルクスワーゲンブランドとしては620万台強のVWがそうであるし、日産自動車もルノーや三菱自動車工業とのアライアンスで1000万台規模を実現したが、日産ブランドでは600万台規模だ。ホンダは2017年に単独で500万台超えを果たしている。

マツダやスバルの社員と会うと、「うちは小さな会社だから」と謙遜の言葉を耳にするが、何を基準に小さいと言っているのだろうと思う。実は欧州のプレミアムブランドと近い規模であり、日本の自動車メーカーでも注目を集めるクルマづくりができている。

ボタンの掛け違い

若者のクルマ離れについては、経済的側面もあるだろう。クルマを購入し、分割払いやリース料を毎月支払い、そのうえ駐車場の支払いを加えれば、「タクシーに乗ったほうがいい」との価値観が出てくるのも当然だ。しかしそういう人も、クルマが嫌いだとは言っていないのではないか。クルマは便利だと感じているからタクシーを使うのだ。

カーシェアリングやレンタカーも必要に応じて利用している。

パーク24のアンケート調査(2017年)によれば、カーシェアリングやレンタカーでデートするのが好きだと答えたのは、20歳代が83%で最も多かった(全体平均は73%、30代75%、40代73%など)。

なおかつ、デートで運転したいクルマはSUVやコンパクトカーというのが20〜30歳代でアンケートの半数近く、スポーツカーは15%でしかない。

クルマに乗ることを格好よく見せようとして、テレビコマーシャルでクルマをドリフト(横滑り)させたり、スポーツカーを作る自動車メーカーはすばらしいと称えてみたりする様を見かけるが、いずれも、多くのクルマ利用者の気持ちを引かせているのではないかと懸念する。

ことほど左様に、クルマへの期待、あるいは関心の内容は異なっており、それほど多様な魅力を持つクルマであるのに、速さや楽しさだけを強調しても、それは商品性の一面でしかない。私の同級生は、クルマの運転を楽しいと思ったことは一度もないが、便利だから使っているし、クルマ選びの基準の1つは安全だと言う。そういう顧客に、ドリフトしてみせることがどれほど効果を発揮するのだろう。

若者のクルマ離れを食い止めようとする思いはわかるが、ボタンの掛け違いが起きているような気がする。

クルマで通勤したいが、帰りに1杯呑みに行きたいからクルマは買わずタクシーで済ませる」と話した若い男性もいる。ならば、自動運転のクルマであれば両立できる。

1980年のアメリカのテレビドラマに、「ナイトライダー」という番組があった。そこに登場するキットと愛称が与えられたクルマは、普段は主人公が運転し、何か危機が迫ったときにはクルマが助ける役回りだった。そのドラマを観たことのある50歳代の男性は、自動運転に懐疑的であったが、キットの話になると「ああいう自動運転なら自分も欲しい」と言いだした。

自動運転の目指すところは事故ゼロかもしれない。だが、商品性としてはキットのような魅力を顧客に伝えてこそ、消費者の関心を呼ぶことができるのではないか。なおかつ、クルマが自分で駐車場を探してくれるなら、タクシーを道端で待つより快適だろう。

クルマを利用することが不便になる側面も

実は、ドイツでもクルマ離れが起きていると、35年以上ドイツに住んだ友人に聞いた。ドイツには速度無制限区間のあるアウトバーンがあり、高性能なクルマであれば200kmの距離を1時間で移動できる。しかし、ずいぶん前から渋滞が多くなってきている。ドイツでも、クルマで移動することが苦痛になりつつある。

またクルマの性能も成熟期に入り、スポーツカーでなくSUVでも時速200km超で走れる車種があって、商品の独自性が薄れている。

国連の推計によれば、2030年に世界人口の6割が都市部に住むようになるという。その人口自体も、年々増加の一途だ。渋滞と縁遠かった各地で、クルマの移動の不便さを実感するようになった。テスラのイーロン・マスクCEOは、そこからロサンゼルスの地下にトンネルを掘って、トレーに乗せたクルマを移動させる案を考え出した。

世界人口増と大都市化によって、クルマそのものというよりクルマを利用することが不便になる側面も出てきている。「若者のクルマ離れ」が言われるようになったのは、既存の価値にとらわれない挑戦する姿を求めていると解釈できるだろう。時代の本質に迫る商品が求められ、そうした商品力やブランド力が問われるのは、所有するにも使うにも同じである。