福島洋一・芝技研会長

写真拡大

ガラスやシリコンなど硬いが割れやすい材料の加工で、世界一の技術をもつ中小企業が神奈川県横須賀市にある。創業者は現在76歳。脱サラ後、一度は倒産に見舞われ、自宅も差し押さえられた。だが現在は120人の従業員を率いて、世界一の「30m望遠鏡」のガラス鏡の製造にもかかわっている。転機はどこにあったのか――。

■少数精鋭で小さな巨人になる

日本の中小企業の加工技術には世界有数のものがいくつもある。このうち神奈川県横須賀市に本社を置く芝技研は、「硬脆性(こうぜいせい)材料」の加工で圧倒的な技術力を持っている。

硬脆性材料とは、ガラスやシリコンなど硬いが割れやすい材料のことだ。こうした材料の加工では、1000分の1mmレベルの欠けやひびも許されない。同社が現在、主力製品としているのは半導体製造に使用される消耗部品である。直径40cm、厚さ1cmの円盤状シリコン板に直径0.4mmという小径の穴を等間隔に1000〜3000個も開ける。

創業者で会長の福島洋一(76歳)は「技術を磨き、少数精鋭で小さな巨人になること」を社是としていばらの道を歩いてきた。

「泳ぎの下手な私が、一生懸命水をかき、ふと頭を上げたら、たまたまいいところにいた、というのが実感です。当社と同じレベルの会社はたくさんあるが、偶然、硬脆性材料を選んだことも、加工を始めたことも運が大きい」(福島会長)

確かに過去、福島には溺れる寸前の危機が何度もあった。だが、福島はやすきに流れることはなく、あえて難しい道を選んできた。だから、今日の芝技研があるのだろう。

たった1個でもいびつな穴を開けてしまったら、高額なシリコン板は使い物にならない。それを大量加工している会社は世界でも同社しかない。一般的に不良率は2〜5%といわれるが、同社の不良率は格段に低く 、高い加工精度を持っている。

特殊光ファイバーの製造で不可欠な深孔(ふかあな)加工も独壇場だ。例えば、合成石英などのガラス棒に直径3mmの穴を1mの長さで開けることができるのも現時点では同社だけだ。だから、国内はもちろん、東アジア、欧米など世界中から注文が入っている。

■累損が資本金の20倍以上で倒産の危機

この深孔加工技術を使って、現在、福島第1原子力発電所における燃料デブリ取り出し事業の委託研究を行っている。燃料デブリの多くはセラミックス系の硬い物質なので、芝技研の技術力を活かして穴を開け、デブリのサンプルを取り出すことができれば、廃炉に向けて大きな前進となる。そのための工具や加工条件・方法を国の研究機関と共同で研究している。

また、口径30mという次世代の超大型天体望遠鏡の開発にも参加している。これは「TMT(Thirty Meter Telescope=30m望遠鏡)」と呼ばれるプロジェクトで、アメリカ、カナダ、中国、インド、日本の5カ国共同で米ハワイ島マウナケア山頂での建設が進められている。総工費は1500億円。このうち芝技研は492枚のガラス鏡の形状加工を請け負っている。

このような世界最先端の技術を持っているのは、加工機械の70%を自社で開発・改良していることが大きい。独自の専用機で加工しているので、他社はまねすることができない。

そもそも、同社は加工装置そのものの開発販売を手がけてきた。もともとメーカーだったのだ。福島は品質にこだわり、設計段階から自社でテスト加工を繰り返し、顧客が納得するまで改良して納入していた。手間とコストはかかるが、顧客から信頼を得た。

ところが、顧客は芝技研に開発させた加工機の導入コストを下げるために、2号機以降は他のメーカーに安く同じものを作らせてしまう。顧客に怒っても仕方がない。開発費が回収できないまま次第に負債がかさみ、1995年には累損が資本金の20倍以上にもなって倒産寸前に陥った。

実は福島には過去、会社を倒産させた古傷がある。福島は「会社を2度倒産させるわけにはいかない。絶対あきらめない。命さえあればなんとかなると思っていました」と語る。

福島は1941年、兵庫県に生まれた。都立芝商業高校から中央大学商学部に進学。64年に卒業し、新卒で工作機械の輸入商社に就職した。いまは技術の会社を経営しているが、本人は技術畑の出身ではない。

福島は営業として全国を売り歩いたが、次第にもっと大きな舞台で自分の力を試してみたくなり、69年に先輩社員と一緒に独立し、「一正機工」という金属加工機械販売の会社を設立した。先輩を社長に据えて、共同経営の形を取った。

■最初の会社が倒産し、多額の借金

新会社で意気揚々と、福島は日々、営業に飛び回ったが、なかなか大口の顧客をつかめず、経営は自転車操業だった。社員は7人まで増えたものの利益が上がらず、79年にはついに倒産に追い込まれた。

葉山に敷地50坪の自宅を建てていたが、倒産によって手放さざるを得なくなった。その上、さらに家1軒分ほどの借金も背負った。

「男として家を失ったのが恥ずかしくて、葉山を出ようと思ったのですが、妻にこの地で生きぬくべきだと励まされ、葉山でアパートを借りて出直すことにしました」

翌80年には一正機工の社員と妻の3人で芝技研を創業。アパートの6畳間が事務所だった。社名は愛してやまない芝商業高校にあやかった。福島は当時の状況を「折々の決断」という手記にこう書いている。

「差別化する技術もなく七転八倒の連続。『人の行く裏に道あり花の山』、花まで見抜く慧眼は持ち合わせていなかったが、当時は硬脆性材料の加工機を扱う企業も少なく、特に精密加工機に取り組むところも皆無の状態であった。全く経験もなく、苦し紛れに硬脆性材加工機の開発に特化した。これが第一の大きな決断であった」

とはいえ、社長の福島をはじめ、技術の分かる人材はおらず、まともな製品も作れなかった。創業から3年ほどは1台も売れず、食うや食わずの生活が続いたが、83年に大手工作機メーカーで技師長を務めていた人が、定年退職後に顧問として芝技研に入社 。ようやく本格的な装置の開発ができるようになった。

ちょうどその頃、ノートパソコン用の2.5インチハードディスクの基板がアルミからガラスに移行しはじめてていた。同社は大手ガラスメーカーから大規模なガラスディスク加工装置を受注し、経営は軌道に乗った。

福島の人柄なのだろう。当時、子供が通っていた葉山の幼稚園の父母たちも協力してくれるなど、葉山にとどまったことが幸運を呼び込んだ。福島も必死で、新聞記事などで関係がありそうな会社を見つけると、すぐに訪ねていき、少しずつ顧客を広げた。

だが、その誠実さがあだとなり、会社の収益力が落ち、累損が資本金の20倍以上になったことはすでに述べた。四面楚歌となる中で、また福島の再挑戦が始まった。

■画期的な「反力検知システム」を開発

当時、芝技研では開発した装置でテスト加工を繰り返して顧客に納入していた。そのため、知らず知らずに加工技術が身についていた。そんなときに、大手素材メーカーから半導体製造用の消耗部品の加工ができないかと相談が寄せられた。それが、冒頭で述べた半導体製造に使用される消耗部品である。

当時、そうした加工技術は世の中になかったが、福島はこれをチャンスと見て取り組んだ。経営が苦しい中、銀行から融資を引き出し、新しい設備を導入した新工場を設立した。

挑んだのはダイヤモンド刃具(はぐ)のドリルで穴を開ける方式だ。だが、ダイヤモンドといえども何度も使うと途中で刃こぼれを起こし、加工不良が発生する。そうなれば、当時1枚30万円というシリコン板は使い物にならない。不良率を下げたいが、刃具の劣化は避けようがない。

「それならば劣化する前に交換してしまえばいい。その自動装置ができないか」

福島はそう考えて、新しい装置の開発に取り組んだ。常識を打ち破る発想に、当時70歳を超えるベテラン社員も、熱に浮かされたように開発に没頭したという。その結果、96年に「反力検知システム(DLT=Detect Load Table=負荷検知台)」が完成する。

DLTは加工時の材料に対する刃具の抵抗(反力)を常に検知し、一定の値以上になると、自動的に使用中の刃具を捨てて、新しいものに交換する仕組みだ。この発明によって不良率は大幅に下がり、24時間365日の連続稼働が可能になった。製造コストも劇的に下がり、同業他社を圧倒する競争力を得た。

最近になって、DLTの外販も始めた。ノウハウを外部に公開することになるが、福島は「生産速度を2〜3倍に上げているから大丈夫」と余裕だ。

現在、売り上げは絶好調で、さばききれないほどの加工受注があるという。これに外販するDLTの売り上げが加わる。事業承継もスムーズに進み、長男の健太郎が加工事業、次男の大二郎が加工機事業を受け持ち、2013年にそれぞれ社長、副社長に就任した。

苦難の道を歩き続けてきた福島もふたりにかじ取りを任せ、ほっと胸をなで下ろしているようだ。

(本文敬称略)

----------

株式会社芝技研
●代表者:福島健太郎
●創業:1980年
●業種:硬脆性材料の加工および特殊加工機械の開発製造販売など
●年商:25億円(2016年度)
●従業員:120名
●本社:神奈川県横須賀市
●ホームページ:http://www.shibagiken.co.jp/

----------

(ジャーナリスト 吉村 克己 写真提供=芝技研)