【前園真聖コラム】第150回「鹿実の名将・松澤隆司監督への感謝」
11日、鹿児島実業高等学校サッカー部の松澤隆司総監督がお亡くなりになりました。心からご冥福をお祈りいたします。
僕は高校時代の3年間、松澤監督の家に下宿させていただきました。公私ともお世話になる中で、その後の僕の人生に必要なものをすべて教えていただいたと思います。
僕たちの育った時代は、ドリブルをしてパスを出さない選手は嫌がられていました。ですが監督は、僕の武器はドリブルなのだから突破しろ、と後押ししてくださったのです。僕のプレースタイルはそこで作られたと言っても過言ではないですし、あのアドバイスがなければアトランタ五輪に出ることもなかったかもしれません。
一方で人間として大切なこと、あいさつや基本的な態度も指導していただきました。当時は厳しいとか怖いとか思っていたのですが、卒業してプロになり、引退して、いかに監督に鍛えていただいたことが重要だったか、身に染みてわかりました。
監督は、「失敗を怖れてチャンレジしないことこそが失敗だ」とおっしゃっていました。やってみて、失敗したらももう一回やり直せ。そう教えていただきました。
僕が事件を起こしてしまったとき、すぐに松澤監督に謝罪の電話を入れました。すると監督は「やったことはしょうがない、また一から頑張ってやり直せ!」とおっしゃっいました。高校時代と同じ教えで、僕に再び立ち上がる勇気を与えていただいたと思います。その後、自粛から復帰して番組や鹿児島での仕事が増えてお会いしたときに、とても喜んでくださったのがうれしかったです。
去年の10月30日、松澤監督は僕が鹿児島でサッカースクールをするのを聞きつけ、1時間かけて会いに来てくださいました。僕には、そのときが元気なお姿を見た最後になってしまいました。ですが、これからも松澤監督の教えを決して忘れることなく、日々過ごしていきます。監督、本当にありがとうございました。
僕は高校時代の3年間、松澤監督の家に下宿させていただきました。公私ともお世話になる中で、その後の僕の人生に必要なものをすべて教えていただいたと思います。
僕たちの育った時代は、ドリブルをしてパスを出さない選手は嫌がられていました。ですが監督は、僕の武器はドリブルなのだから突破しろ、と後押ししてくださったのです。僕のプレースタイルはそこで作られたと言っても過言ではないですし、あのアドバイスがなければアトランタ五輪に出ることもなかったかもしれません。
監督は、「失敗を怖れてチャンレジしないことこそが失敗だ」とおっしゃっていました。やってみて、失敗したらももう一回やり直せ。そう教えていただきました。
僕が事件を起こしてしまったとき、すぐに松澤監督に謝罪の電話を入れました。すると監督は「やったことはしょうがない、また一から頑張ってやり直せ!」とおっしゃっいました。高校時代と同じ教えで、僕に再び立ち上がる勇気を与えていただいたと思います。その後、自粛から復帰して番組や鹿児島での仕事が増えてお会いしたときに、とても喜んでくださったのがうれしかったです。
去年の10月30日、松澤監督は僕が鹿児島でサッカースクールをするのを聞きつけ、1時間かけて会いに来てくださいました。僕には、そのときが元気なお姿を見た最後になってしまいました。ですが、これからも松澤監督の教えを決して忘れることなく、日々過ごしていきます。監督、本当にありがとうございました。
1973年生まれ。横浜フリューゲルス、ヴェルディの他、ブラジルなどでプレー。アトランタ五輪では、主将として28年ぶりに五輪出場を決めた。2005年引退後は解説の他、少年サッカー普及に従事。2009年、ビーチサッカー日本代表としてW杯に出場。ベスト8に貢献した。