2014年のワールドカップ制覇にも貢献したクローゼ。アメリカや中国などからも熱心なオファーを受けたが、引退を決意した。 (C) Getty Images

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「ドイツ代表でこれ以上ない成功を収められた。素晴らしい時間だった」
 
 11月1日、DFB(ドイツサッカー連盟)のホームページを通じて、元ドイツ代表FWのミロスラフ・クローゼが現役引退を発表した。1999-00シーズンのカイザースラウテルンでプロデビューした稀代のストライカーは、5年間を過ごしたラツィオを昨シーズン限りで退団。所属クラブのないフリーの大物として、身の振り方がおおいに注目されていた。
 
 ラツィオ退団後に浮上した古巣ブレーメンへの復帰説はすぐに消滅した。同クラブのスポーツディレクターで、現役時代にクローゼとチームメイトだった経験もあるフランク・バウマンが10シーズンぶりとなる復帰を否定したからだ。
 
 ブレーメン・ファンの中には「ヤツはユダだ」と、いまだに07年夏のバイエルン移籍を根に持っている者も少なくなく、巷からも復帰を後押しするような声は聞こえてこなかった。
 
 むしろ根強く残っていたのはMLS(アメリカ)や中国リーグなど欧州外への移籍の噂。本人はラツィオ退団間際に「代理人に届いているオファーを吟味したい」と口にしていた。
 
 昨シーズンの時点で新天地候補に挙がったクラブを整理すれば、スティーブン・ジェラード擁するLAギャラクシー、飲料メーカー『レッドブル』がオーナーのNYレッドブルズ、元ドイツ代表のDFアーネ・フリードリヒを獲得した経験を持つシカゴ・ファイアーなどだ。
 
 そのMLS行きの噂をかき消すかのようなビッグニュースが発信されたのは今年6月だった。中国メディアが「中国のクラブが年俸1800万ユーロ(約21億円)の2年契約を準備」と報じたのだ。その6月に38歳になったFWへのオファーとしては破格であり、ドイツでもイタリアでもクローゼがアジアでプレーする可能性が取り沙汰された。
 
 しかし、4度のワールドカップ出場で計16ゴールと、大会通算得点記録を塗り替えたレジェンドは結局、履歴書に新たなクラブ名を書き込まなかった。
 
 セリエAより明らかにレベルが劣るうえ、母国ドイツから遠く離れた異国リーグでの“年金生活”に前向きになれなかったのだろう。カネに心を動かされることは決してなかった。
 プロになってから間もない03年に同じポーランド生まれのシルビアさんと結婚し、二人の子宝に恵まれたクローゼは、良き父親でもあり、派手な私生活とは無縁だった。
 
 ただ、ひたすらにボールとゴールだけを追い続け、日々の節制を怠らず、世界中のファンから尊敬の念を集めるフットボーラーになった。その偉大なるストライカーの引退には、やはり一抹の寂しさを覚えずにはいられない。
 
 例えば、プロキャリアを始めたカイザースラウテルンで最後を締め括るシナリオを夢見たファンも少なくないだろう。実際、その可能性はなくはなかった。同クラブのトーマス・グリースCEOが今夏に出演したテレビ番組で「ミロ・クローゼの獲得はジャックポットを出すようなものだが」と語り、受け皿になる意思を示していたからだ。
 
 自身の獲得を望むクラブが数多く存在しながら、クローゼはなぜ、現役生活に終止符を打ったのか。それは新たな挑戦への思いが強くなかったからに他ならない。引退発表時に「この数か月、指導者という新たな立場からピッチに立ちたいと思っていた。試合の流れを読み、緻密に準備し、戦術や戦力を発展させる。それは現役時代から考えていたよ」と明かしたとおり、今後は指導者の世界に身を投じることになる。
 当面の目標は指導者ライセンスの取得だ。実地研修の場として選んだのは自身が歴代最多得点記録(71)の金字塔を打ち立てたドイツ代表で、ヨアヒム・レーブ監督をはじめとするスタッフからノウハウを学ぶと同時に、ワールドカップ2連覇を目指すチームに自身が培った貴重な経験を還元していく。恩師のレーブは言う。