フジテレビ系『ラヴソング』番組サイトより

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 フジテレビ月9『ラヴソング』も、クライマックスに差し掛かって第8話。視聴率は7.4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と、前回前々回の6.8%からちょびっとだけ改善したものの、相変わらず月9史上最低ペースの低空飛行です。フジテレビの亀山千広社長は先週の定例会見で「まだ反省しないでいいから、今まで見てた人を大事にね」的なことを言ってましたが、ホントそう思います。大事にしてほしい!

 というわけで、今回はさくら(藤原さくら)の喉に悪性の腫瘍が見つかります。幸い転移はしていないそうですが、声帯を摘出する可能性もあるそうです。切開してみないとわからないって。早く手術しないと、命にかかわるって。

 いや、もうね。ホントに、今まで見てた人を大事にしてほしいんですよ。

 このドラマは、吃音の少女が悩みながら生きていく話だったはずでしょう。少なくとも前回までは、そうだったんです。一人の少女の「生きづらさ」の話だったんです。吃音で悩んで、他人とうまくコミュニケーションを取れなくて、頼りにしてた親友も結婚することになっちゃって、好きになった大人の男にもフラれて、それでも「生きていかなくちゃいけない」から、さくらは悩んでいたんです。苦しんでいたんです。そこをどう描くかが、このドラマのストーリーラインだったわけです。

 藤原さくらは、新人だし役者でもないのに、よく応えていたと思います。キャスティングについていろいろ言われたけど、百戦錬磨の夏帆(役/真美)や、今もっとも勢いのある菅田将暉(役/空一)を向こうに回して、堂々と演じていたと思う。歌はもちろんすごくいいし、存在感もあるし、もともと翳っている表情をパッと明るく切り替える瞬発力なんか、実に女優然としてきました。

 そうして、このドラマは佐野さくらというキャラクターを作り上げてきたはずでした。脚本家や演出家の仕事というのは、自らが作り上げたキャラクターと同じ方を向いて、その人生を一緒に生きて見せることです。そうして視聴者に開かれたキャラクターの人生が何を伝え、見る側に何を残すかというのがドラマという媒体の勝負なんです。

 ところが今回『ラヴソング』は、ここまで2カ月かけて作ってきた佐野さくらという人物の喉元にガンを埋め込み、メスを突き立ててしまった。「どう生きていけばいい?」と問い続けてきた佐野さくらに、向き直って「いつでも殺せるぜ」と言い始めたんです。ドラマがキャラクターの生殺与奪を握ってしまった。あと何回あるか知りませんが、視聴者はこの残酷ショーを眺め続けるか、降りるかしかなくなりました。わたしは仕事だから見ますけど、普通もう見ないですよ。

 最初から「いつでも殺せるぜ」と言いながら始まった『セカチュー』とか『余命1カ月がどうたら』なら別にいいんです。彼らは最初から「死」と向き合うことを表現するために、わたしたちの前に現れたんです。佐野さくらは、そうじゃなかったよね? そういうことです。『ラヴソング』は、ここで試合を放棄したんです。

 そういうわけで、今回から別のドラマが始まることになりました。吃音で、歌が好きで、喉にガンがあって、1カ月後に手術が決まっていて、声を失うかもしれない少女が主人公の、まったく新しいドラマです。リニューアルです。

 そのリニューアルを象徴するシーンがあります。結婚が決まってさくらとの同居を解消することになった真美が、さくらに言います。

「(結婚式の)スピーチ、よろしくね」

 このセリフの意味が、まるで変わってしまったんです。

 これはもともと第1話で、吃音のさくらに設けられた無理難題でした。わたしは期待したんです。真美の結婚式で、さくらはどんなスピーチをするんだろう。それまでに吃音は治るのかな? 治らなくても、堂々とスピーチできるのかな? どんなふうに、その日までを過ごして、その日を迎えるのかな? どうか、逃げ出さないでほしいな、真美もさくらも、幸せになってほしいな……そこまでの、さくらの心の動きを描くための「スピーチをしてほしい」だったはずなんです。

 ところが、ガンという設定を追加したことで、スピーチの日まで声帯が残ってるかどうかの話になっちゃった。生きてるか死んでるかの話になっちゃった。

 吃音もコミュ障も失恋も、死ぬよりマシです。声を失うよりずっとマシです。さくらがガンになったことで、このドラマが深刻な悩みとして提示してきた数々の問題は、別に深刻じゃなくなったんです。

 だからさくらは今回、死ぬことと声を失うこと以外の悩みを、ポンポン解決していくことになります。単独ライブの開催を自ら決定し、いざこざのあった夏希(水野美紀)や、ろくに話したこともない同僚を誘いまくります。「死ぬかもしれない」「声を失うかもしれない」から、そういうことが怖くなくなったんです。

 海で偶然出会った吃音に悩む女児(あまりに偶然すぎるので、たぶん妖怪か何か)に対し、さくらはド正面からド正論をぶちかまします。

「お姉ちゃんも笑われたけど、歌に出会って世界が変わった」
「自分を好きになって、前よりも強くなれた」
「怖いものが減ったの」
「私、今幸せだよ」
「強くなれば幸せになれる、絶対に」
「だから強くなりな」

 それは本来、最終回にとっておくべき克己だったのでしょう。実に感動的で立派な「スピーチ」でした。

 佐野さくらという人物の「ガンにならなかった未来」が描かれることは、もう二度とありません。単独ライブが無事終了した後、空一が抱きしめてキッスしたさくらは、わたしたちの知っているさくらではないんです。だから空一の「やっぱお前のこと好きだわ」の「やっぱ」が意味をなさないんです。彼らが連続した時間を生きていないから。

 結局のところ、こういう迷走というのは演出家や脚本家の責任ではないのだろうなと推測するんです。そもそも藤原さくらをオーディションで大抜擢したはずの西谷弘監督はとっくにクレジットから外れていますし、ヤンシナ獲るような脚本家がこんな出鱈目な脚本書くわけないんです。フジテレビのどこかに「なんとかしろよ」と言っている人がいて、その人に誰かが「なんとか頑張ってます」と言うためだけに、こんな変な設定の追加が起こるんでしょう。悲しいことです。

 第1話で、さくらが「押し扉」と「引き扉」を間違うシーンが2度出てきました。あのとき、このドラマは、こんなふうに人物を細やかにキャラクター付けしていくんだろうなと思ったんです。その後、どんどん大味になっていったんですが、前回また、1度だけそのシーンがあったんですね。あれを入れたのって、現場の最後の意地だったんじゃないのかなぁ。悲しいなぁ。

 ちなみに、神代(福山雅治)はレコード会社からさくらをデビューさせるために変なアイドルの曲を作ることになって、いろいろ葛藤してるみたいですけど、生きるか死ぬか、声を失うかってときにレコードデビューがどうこうって、何言ってんのって感じですよ。はい。次回も頑張って見ます!
(文=どらまっ子AKIちゃん)