黒田博樹×桑田真澄 対談(前編)

 メジャー7年間で79勝を挙げるなど、トッププレイヤーとして活躍していた黒田博樹。メジャーのある球団は黒田獲得のために20億円を超える資金を用意していたという。しかし、黒田はそれらのオファーを断り、古巣・広島への復帰を決めた。そして8年ぶりに過ごした日本のキャンプ。黒田は何を思い、何を感じたのだろうか。球界の先輩である桑田真澄氏に胸のうちを語った。

桑田:8年ぶりにカープへ戻ってきて、久しぶりの沖縄キャンプ......どうでしたか。

黒田:あまり変わってませんでしたね。自分の想像していた範囲内でした。ただ自分がいた頃は体も若かったので、練習メニューは以前の方が多かった気はします。

桑田:今、『男気がある』『お金よりもカープ愛だ』『戻ってきてくれてありがとう』と大変な歓迎ぶりですが、この状況をどう感じてますか。

黒田:僕自身、そんなことは考えもしなかったんですけど、周りからのそういう反応には、ちょっと戸惑っている部分もありますね。その分、それなりの結果を残さないといけないというプレッシャーもあります。

桑田:カープは2月1日から宮崎の日南でキャンプを始めましたが、黒田くんの合流は2月中旬の沖縄から。それまではアメリカで調整していたとのことですが、その狙いはどのあたりにあったのでしょう。

黒田:アメリカから日本に戻るということで、野球以外の手続きもあれこれとしなくちゃいけなかったので......あとはメジャーの7年間、スプリング・トレーニングは2月中旬に始まりましたから、毎年、開幕から逆算してきたルーティンを守りたかったということもありました。カープに戻ることを決めたのが去年の年末だったので、いろいろなことを準備するためにもう少し時間が必要かなと思ったんです。それで球団にお願いして、了承してもらいました。

桑田:今回、日本に帰ってくるにあたって、ここは変えなきゃいけないな、ここは変えなくてもいいかなというところは、それぞれどのあたりだと考えていますか。

黒田:僕の中では、けっこう変えないといけないなと思う部分がたくさんあります。

桑田:まずはボールが違いますよね。

黒田:そうですね。ボールはまったく違います。動き方に関しては、まだそこまで実感できていないんですけど、こればっかりはバッターと対戦して反応を見てみないとわからないこともあるので、今後、実戦で投げていく中で確かめていきたいと思っています。

桑田:ブルペンで投げている感覚では、自分の思った通りの曲がりですか。

黒田:アメリカの時とそんなに変わらずに投げられている感じはあるんですけど、ただ、しっかりボールが指にかかる分、曲がりが早くなったりするところには気をつけなきゃいけないと思ってます。

桑田:僕がここ何年か、黒田くんのピッチングを見ていて素晴らしいと感じるのは、ボールが大きく曲がるんじゃなくて、手元まで来たところで小さく、キュッと曲がるところでした。それがバッターを打ち取るのには最高の変化球なのに、どうしてもみんな大きく曲げようとしてしまうんですよね。でも黒田くんは日本に戻っても、曲がりを大きくしようとしないで、小さいままの変化球を大事にしているということですね。

黒田:はい。日本のボールはメジャーのボールに比べるとしっとりしていて、どうしても指へのかかりがよくなるので、大きく曲げたくなってしまうんです。そこをどれだけ我慢できるかというのは課題ですね。あとは桑田さんがおっしゃるように、ツーシーム系のボールをどれだけバッターの手元で小さく変化させられるかというのは、自分の勝負どころだと思っています。

桑田:アメリカへ行くときにストレートへのこだわりを捨てたという話を聞きましたが、今の時点ではフォーシーム......つまり、きれいな真っすぐへの意識はどうですか。

黒田:配球のバランスの中ではフォーシームを使っていかないといけないと思います。メジャーでは最初、意識的にフォーシームは減らしたんです。ツーシームが90パーセントだったシーズンもありました。そうすると、今度は相手チームがそういうデータを揃えてきますから、ヤンキースに移ってからは、またフォーシームを増やしたりしました。フォーシームを増やすとファウルを誘えますし、向こうではそうやって一年一年、ちょっとずつ配球のバランスを変えながらやってきましたね。

桑田:カーブについてはどうでしょう。

黒田:去年、桑田さんがヤンキースのスプリング・トレーニングの取材でタンパに来られた時、逆に僕がカーブについていろいろと教えていただいて......でも、なかなかうまくいきませんね(苦笑)。 カーブって一番難しいと思うんです。だから、そんな簡単に投げられるもんじゃないということが、改めて分かりました。あれ以来、桑田さんのアドバイスを参考にしながら練習はさせてもらっていましたけど、やっぱり僕はアメリカのボールよりも日本のボールのほうがしっかり指にかかる感じがするので、向こうではカーブは使い切れませんでした。ただ今年はなんとかしたいと思っているんですけど......指から抜くのと、指にかけるのとでは、同じカーブでも種類が違いますよね。

桑田:僕のカーブは指にかけるカーブじゃなくて、抜くカーブでした。中指と親指の二本でボールの外周を握って、人差指は添えるだけ。中指と親指の間からボールを抜くんですけど、その瞬間、親指でボールを掻いてスピンをかけるんです。抜くカーブは球種として持っているといいですよ。球種って、スピードで分けると速球、遅球、中間球とあるんですけど、中間球の球種を増やすより、緩い球をひとつ持っているほうがバッターのタイミングを外せますからね。フッと一回抜くことによって、簡単にワンストライクを取れたり、ファウルを打たせたりできる。緩い球を一球挟むと、次の速い球で詰まらせることもできる。だからカーブはストライクを投げられなくても、ボール球でもいいんです。

黒田:なるほど......残像を残すだけでもバッターの反応は変わってくるんですね。やっぱりカーブは今年もトライしていきたいなとは思います。

桑田:日本のストライクゾーンの感覚は思い出しましたか。

黒田:僕のイメージだと、右バッターで言えば、アメリカのほうがちょっと外にずれているかな。狭いとか広いというのではなく、同じ幅のゾーンがそのまま外角へ移動している感じですね。だからアメリカでは右バッターのインサイドはほとんどストライクを取ってもらえません。でも、日本ではインサイドは取ってくれる。逆にアウトコースはアメリカの方が広く取ってくれますよね。向こうの選手はみんな手が長いので、外角に関してはかなり外れていてもストライクになる感じです。

桑田:7年も向こうでやってたら、その感覚を取り戻すのも難しいでしょうね。

黒田:自分でもそこは難しいかなと思ってます。でも、右バッターにツーシーム系のインサイドを使えるのは大きいかなとも思います。

桑田:球場の広さも違いますよね。ピッチャーにとっては厳しいんじゃないですか。

黒田:でも、アメリカン・リーグの東地区の球場はヒッターズ・パーク(バッター有利の狭い球場)ばかりだったので、そういう部分ではメジャーの方が大変でしたし、もともと僕がいたカープは広島市民球場でしたから。あの狭い球場を経験しているので、そういう意味では、広島のマツダスタジアムができて広くなったというのは、自分にとっては大きいんじゃないかなと思っています。

桑田:キャンプの時の投げ込みも違うでしょう。カープでも以前は投げ込みをしろと言われたんじゃないですか。

黒田:昔はそうでしたね。

桑田:キャンプで何千球投げろとか。

黒田:ありました。でもそれは、メジャーに行ってからは一切ありませんでした。むしろ抑えろ、投げるなと言われましたね。とにかく一年を見て調整させられますから、春先だけじゃなく、8、9月の勝負どころでどれだけチームの力になれるかということを意識させられました。

桑田:トータルで考えているから、投げ込みはしないということ?

黒田:そうです。ヤンキースでは8、9月になったら登板間にもブルペンに入らないほうがいいとコーチに勧められました。日本では怖くて、そんな調整はなかなかできませんでしたけど、そういう考え方もあるんだと、これも勉強させてもらいました。

桑田:日本だと2月のキャンプでは投げ込め、走り込め、これが夏場に生きてくると教えられたのに......。

黒田:まったく違いますよね。投げ込みはないですし、走り込みもほとんどありません。向こうの選手たちは走り込みだと思っていたかもしれませんけど、あの程度じゃ、日本人の感覚ではとても走り込みとは言えないくらいのランニングです。

桑田:マウンドの硬さ、軟らかさとか、マウンドの高低も違うでしょう。

黒田:メジャーのマウンドは高いし、硬いんで、体重を目いっぱい、前に乗せられる感覚があったんです。でも、こっちはちょっと軟らかい感じですね。特に沖縄の土はやわらかいので、踏み出した左足がしっかり噛んでくれない。体重をめいっぱい乗せたとき、ちょっとブレてしまうんです。そこは修正しないといけないなと思っています。 

(後編に続く)

【プロフィール】
桑田真澄/1968年4月1日、大阪府生まれ。
PL学園高時代は5季連続甲子園に出場し、2度の全国制覇を達成。85年のドラフトで巨人から1位指名を受け入団。2年目の87年に15勝を挙げるなど、巨人の主力投手として活躍。06年に巨人を退団し、MLBのピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約。07年6月9日にメジャー昇格を果たし、10日にメジャー初登板。08年3月に現役を引退。現在は解説者など、多くの分野で活躍している。

黒田博樹/1975年2月10日、大阪府生まれ。
上宮高時代は控え投手だったが、専修大に進学後に頭角を現し、96年ドラフト2位(逆指名)で広島に入団。長きにわたり広島のエースとして活躍し、08年にFAでドジャースに移籍。12年から3年間はヤンキースでプレイした。昨年12月、8年ぶりに古巣・広島への復帰を発表した。

石田雄太●文 text by Ishida Yuta