11月14日、マクラーレン・ホンダのマシンがゆっくりとシルバーストン・サーキットを走った。2015年のF1復帰に向けて開発が進められているホンダのF1用パワーユニットが、初めてサーキットを走行した瞬間だった。

 もちろんこれはプロモーション撮影用の日程を利用したテストで、あくまでシステムの確認を行なうための走行であり、パワーユニットの性能やラップタイムを計測するようなものではない。ホンダの新井康久総責任者はこう語る。

「テストをするなんて言うと、みなさんものすごく期待するでしょう?(苦笑) でもテストというよりも基本的なシステムチェックをしたいというだけで、走って『ああ、エンジンがかかった、よかったね』というくらいのことなんです」

「MP4-29H/1X1」と命名されたそのテスト車両は、イギリス・ウォーキングにあるマクラーレン・テクノロジー・センターで開発が進められてきたものだ。

 外観は「MP4-29」とまったく同じで、リアカウルにホンダのロゴが加えられているだけ。しかしその内部にはホンダのパワーユニットが搭載され、現行型とはまったく異なるものになっている。本来は、メルセデスAMGのパワーユニットが搭載されていた今季型のモノコックにホンダのパワーユニットをマウントし、補器類やハーネス(配線類)をカウルの中に収まるようレイアウトしたもので、このシステムチェック走行のためだけに開発された。

「メルセデスAMGと我々のパワーユニットでは、補器類のレイアウトがまったく違いますから、結構大変です。設計というか、改造ですよね。別にキチッとしたクルマを作るわけではないですから」

 2週間前の時点で、新井が「パワーユニットをウォーキングに送ってもいいかどうか」と騙っていたことから考えると、MP4-29H/1X1の開発は急ピッチで進められたことが分かる。今週末のアブダビGP後の公式合同テストへの参加を目指して、日本GP直前にこの計画が始まり、約1カ月半で仕上げなければならなかったのだ。

 ホンダ側は、長らく事前実走テストの可能性を否定してきた。それでもこの実走テストに踏み切ったのには、マクラーレン側からの強い要望があったものと思われる。今季開幕前のテスト初日、マクラーレンはパワーユニットに火が入れられずに丸1日を棒に振ってしまった苦い経験があったからだ。

「実際にパワーユニットをクルマに積んでハーネスを這わせると、いろんなノイズを拾ってしまってきちんと作動しなかったりするわけです。今年の開幕前のヘレス合同テストがまさにそうでしたよね。そういうことが起きないことを確認したい。

 ベンチテストでは、レイアウトはそれほど細かく絞り込んだ状態ではありませんし、電源も外部からつないだ状態です。それが、クルマに載せた状態になると、ノイズの影響などでECU(電子制御装置)が起動しないなんていうこともあります。たとえば、MGU−H(※)のモーターが作動したらものすごくノイズが発生するわけですが、その影響もチェックできるし、モーターをコントロールするコントローラーがスイッチングを始めれば、余計なパルスが乗ってエンジンのコントローラーがダメになってしまうとか、そういうことをチェックしたいわけです。
※MGU-H =Motor Generator Unit - Heat/排気ガスから熱エネルギーを回生する装置

 それから、ソフトウェアが規定通りに動くかどうかということも、実際のテスト本番が始まる前にどこかで確認しておかないと、本番仕様のパワーユニットを2015年型マシンに搭載してテストを迎えたときに不具合が起きないとも限りませんからね」

 同じメルセデスAMG製パワーユニットを積むチームが4チームあったおかげで、十分なデータ収集と熟成が進められた今季と異なり、2015年に向けた開幕前テストではマクラーレン・ホンダは1チーム1台のみでテストを行なわなければならない。

 もし前述のようなトラブルがパワーユニットに出れば、たった12日間しかない貴重なテストの時間を失ってしまうことになる。パワーユニットだけでなく空力面やメカニカル面のテストも進めなければならないことを考えると、そのリスクを最小限に抑えるために、年内にシステムチェックを行なっておきたいというのがマクラーレン側の要望だったわけだ。 

 14日のシルバーストンのテストでは無事に火が入り、ホンダのパワーユニットは最初のハードルを越えたといっていいだろう。今季のルノーのように、初めで躓くようなことがなかったのはポジティブな兆候と受け取っていいだろう。

 実は、MP4-29H/1X1に搭載されているのは、来季型マシンMP4-30に搭載される本番仕様とはまったく異なるパワーユニットだ。これは別々に開発されてきた全コンポーネントをひとつに接続して9月から試験が開始された"バージョン3"のテストユニットであり、ここで問題点を洗い出し、来年2月1日に走り始めるMP4-30用の最終仕様パワーユニットを開発するための土台でしかない。そして、開幕前のテストが始まってからもなお、来年2月末までに追い込みが行なわれることになる。

「秋に火が入ったレベルのテストユニットですから、まだまだ中途半端です。本番用とはかなり違ってきます。レイアウトはそれ以降も変わりますし、テストではまだ皆さんにはお見せしないと思います(苦笑)」

 マクラーレンとホンダはシステムチェックを終えて走れることを確認し、アブダビGP後の公式合同テストに参加すべくMP4-29H/1X1をアブダビへと送り出した。テストへの参加には全チームの承認が必要であるため、チーム側もまだ「我々としては走らせたい意向である」との発表に留めているが、2日間にわたってマクラーレン・ホンダとしてさらに一歩進んだテストを行なおうとしていることは間違いない。

 そこから得られるデータがパワーユニットの開発にフィードバックされて、さらに複雑な開発が進められるだろう。実際にマシンとパワーユニットを走らせるドライバーからのフィードバックも、ホンダが喉から手が出るほど欲しがっている要素だ。

「我々は1年遅れで参戦するから楽だろうと言われていますが、シミュレーションではない実戦のデータがないのは本当につらい。ドライバーが『ここでこうしてほしい』という要求にどうマッチングさせるかというのは、実際に走ってみないと分からないんです。想像ばかりが膨らんでしまいますし、そこが間違っていると、とんでもないことになりかねないですから」

 これまでその実体がなかなか我々の目に見えてこなかったホンダのパワーユニットだが、マクラーレン・ホンダの船出に向けて事態はいよいよ動き出した。それも、ここからは急激なスピードで進んでいくことになるだろう。

「パワーユニット単体で『これでいいよね』というところに行くまでの確認項目も、まだまだたくさんあります。出力もまだまだという感じですし、まだいろんな問題が出て、今はそれを片付けることに苦しんでいます。ただ、それも含めて予定通りです。時間がかかると思いますけど、もう(来季開幕まで)残り時間も数えるほどですし、開発はこれから佳境に入っていきます」

 テスト車両MP4-29H/1X1の車名に刻まれた「H」はホンダのイニシャルであり、「1X1」はマクラーレンとホンダが手を取り合いともに進んでいくという意味にも、この出発点から頂点を目指して一歩ずつ進んでいくという意味にも感じられる。いずれにしても、マクラーレンとホンダの双方が、パートナーとして互いに一体となって前に進もうという意思が強く感じられる。

 まだその旅路は始まったばかり。まずは順調な滑り出しを見せた新時代のマクラーレン・ホンダがこれからどのような進歩を見せるのか、大きな期待を持って見守っていきたい。

米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki