遥かなるツール・ド・フランス 〜片山右京とTeamUKYOの挑戦〜
【連載・第31回】

 F1、登山、そして自転車と、様々な挑戦を続けている中、そこで感じたスピリットを子どもたちに伝えたい――。そんな想いから片山右京は、トレッキングやラフティング、サマーキャンプなどのアウトドア体験を通じて学んでもらうプログラム「チャレンジスクール」をスタートさせた。その場所で、子どもたちにどんなことを学んでもらいたいのか、片山に詳しく聞いてみた。

 懸命に、ひたむきに、何かに向かって努力することは、けっして無駄にならない――。

 そう話す片山右京は、努力することの大切さを子どもたちに知ってもらいたい、そしてその努力した経験を自分たちの将来に活かしてほしい......という願いを込めて、『片山右京チャレンジスクール』という活動を2009年から行なっている。この「努力すること」の意義について、片山は自身の体験と重ね合わせながら、こんなふうに話す。

「やってきたことは、すべてに応用が効く。僕なんてF1で成功したわけじゃないし、登山で成功したわけでもないし、ましてや自転車で成功したわけでもない。言ってみれば、『ミスター中途半端』だけど、いつも頑張ってきたし、今も頑張ってやっている。だから、自分の会社を運営していける。レースをやるために苦しみながら学んだことや、山で泣きわめくようなショッキングなこともいくつもあったけれど、それが無駄じゃなかったから、現在があると思うんですよ」

 そう話す一方で、道は前だけではなく、右にも、左にも、あるいは後ろにもあるのではないか......ともいう。

「おそらくそれは、表現が違うだけ。後ろというのも撤退じゃなくて、(自動車競技の)ラリーのように新しい道を探していることに近いんだろう、と。『何が何でもネバーギブアップ』と、やたらともがくわけでもなく、かといって、『あっさりあきらめてしまう』というわけでもなく、『どうやって効率よくコントロールしていくか』ということなんだろうと思います。

 オリンピックに出られなくても、好きなことなら続けていればいいし、町のテニススクールの大会に出た姿を見た人が、勇気づけられることだってあるかもしれない。また、たとえ負け続けても、その姿を見てついてくる人がいるかもしれない。

 たとえば、自転車競技でいえば、結果を出すのはエースライダーひとりだけど、じゃあなぜアシストライダーがいるのかというと、『そういうポジションが必要だから』ですよね。彼らはそういうアシストのプロだから、ファンも集まってくるし、スポンサーはその人たちにお金を払う。つまり、全員が一番じゃなくてもいいわけで、そこでご飯を食べていくためには、ポジションがあればいい。

 でも、その一方では受け入れなければならないものも、また、たしかにある。たとえば、人間は自然には絶対にかなわない。風を止めることはできないし、死はいつか必ず100パーセント、その人のもとに訪れる......。だから、その時々で必要な判断を迫られることはあるけれど、だからといって、あきらめる必要はないんじゃないか。自分が強くなろうとすることに、年齢は関係ないですからね」

 そのためにも、チャレンジスクールを通じて知り合った子どもたちには、たくさんの経験を重ねてほしい、と話す。

「子どもたちのいろんなレベルに合わせて、バックアップや後方支援は必要だけど、そこでいろんな経験をさせてあげることが、回り回って将来の大きな自信につながる――。そういうことってあるじゃないですか。たとえば、ロープで確保されながらでも、300メートルの崖の上に自分の足だけで立った......という経験は、きっと将来の人生ですごく大きな自信になる。疲れたり、恐怖を感じたときに、人間って自分の知らない部分が出るでしょ。そんなときにこそ、こういう経験はきっと効いてくるし、その人の貴重な財産になると思うんですよ。

 僕自身も、いろんな経験をしてきたことで、今はそういう部分のブレがないし、ましてやお金で惑うようなこともない。たしかに一時期、少しだけ勘違いして、クルマは大きいほうがいいし、運転してくれる人がいたほうがラクでいい、と思ったこともあったけど、そうすると運動不足で身体もダメになってきて、かえって良くない(笑)。今は23万キロ走ったプリウス(トヨタのハイブリッドカー)のほうがむしろカッコ良く思えるくらいだし、そもそもお金がないなら野宿をすればいい。クルマの中や事務所で寝ることだって、いまだに全然平気だし、オートバイに乗ったり自転車をこいでいると、どんどん元気になる。

 でも、その反面でまだダメだなあ......と思うのは、本当の意味で、まだ周囲に優しくなれない自分の弱さ。選手たちに対しても、一緒に働いてくれる周りの人たちや、自分と関わってくれる様々な人々に対して、もっと感謝の気持ちを持たなければダメなんだよなあ、と」

照れたような笑みを浮かべる片山に、なんだか高僧の悟りみたいな話になってきましたね、と少しまぜっかえしてみた。すると片山は、照れを隠すように大きく破顔し、さらに勢い込んで語り続けた。

「でもさ、おれが偉いお坊さんと違うのは、別にいい人を目指しているわけでもなんでもないからね。むしろ自分がサバイバルするための、バイタリティとエネルギーの話だから。ちょっとの食糧をもらって人のために祈るとか、そういうことじゃなくて、いつか絶対にエベレストを冬期無酸素登頂してやるという気持ちはなくならないし、そのために好きなカップ麺を食って、バイクで走り回って、好きなことをやり続ける。

 命っていうのは残念ながらいつかなくなるし、人間は歳を取っていく。でも、F1で時速300キロでの走行中、眼球が振動してなかば朦朧(もうろう)とするような状態のときに生きていることを実感できたり、エベレストの頂上直下で風が止んだときに自分の体内の音が聞こえたり、そういう感覚を自分は知ってしまったから、『愉しいぞ〜!』って。これからも一所懸命、好きなことを続けていく。そういう大人たちがたくさんいることが、子どもたちに何よりいいメッセージにもなる。そう思うんですよ。

 理性や自制心とのバランスを持ちながら、チャレンジや冒険を続けていく――。それを支えるのは物理的な体力だし、チームワークだし、さらにオーバーに言えば、そういうものを受け入れられる社会づくりを目指していきたいんですよね」

(次回に続く)

西村章●構成・文 text by Nishimura Akira