自転車】片山右京「ひたむきな努力に無駄なものはない」
遥かなるツール・ド・フランス 〜片山右京とTeamUKYOの挑戦〜
【連載・第30回】
将来の自転車競技を考える上で、2020年の東京オリンピック、さらにその先の未来に視線を向けたとき、ハッキリと見えてきたもの――。それは、次の時代を担う、子どもたちの存在だ。青少年の育成にも熱心に取り組んでいる片山右京に、その想いを聞いた。
2020年の東京オリンピックを経て、日本の自転車界に好影響の余波が続くのは、おそらく5年間程度と、片山右京は見積もっている。その2025年ごろまでに、自分たちの活動をある程度安定したシステムに作り上げ、そこまでに構築した成果や課題をすべて次の世代へバトンタッチしてゆきたい――、というものが、現状での大まかなビジョンだ。
2025年といえば、今から11年後。そこで活躍するのは、現在の10歳や15歳の青少年たちだ。つまり、2025年という目標を立てることは、今の子どもや若者をどうやって育成していくかを考えることでもある、というわけだ。
「まさに、課題はそれに尽きるでしょうね」
と、片山は思慮深い表情でうなずく。
「でも、それに対する答えはひとつではないし、完璧なプログラムを作ることも難しいだろう、というのが本音です。10歳の子どもが中学に入ると、必ず反抗期や思春期を経験するから、子どものときに考えていた目標が大人になるまで一貫しているほうがむしろ少ないだろうし、だからといって何もせずに漠然と現状のままでいい、というわけでもない。
『モノより思い出』というテレビのCMじゃないけれども、子ども時代の貴重な経験は、絶対その人の財産になる。その人のモチベーションになるものは、個々の性格や育つ環境によってそれぞれ異なるけれど、だからこそ壁にぶつかったり悩んだりしたときには、それを突破するために大人が横にいて、自信をつけてあげたり力を貸してあげたり、あるいは逃げ込む場所を与えてあげることが必要だと思うんですよ」
この青少年育成という観点から、片山たちが立ち上げたプロジェクトが、『片山右京チャレンジスクール』というイベントだ。年に数回、子どもたちに野外活動を通じて挑戦する気持ち、あきらめない精神の大切さを学んでもらいたいという目的で、2009年にスタートした。今年はトレッキングやサマーキャンプ、ラフティング、フリークライミングなどを通じて、多くの子どもたちが自然環境の中で、自分たちなりに様々な挑戦を行ない、仲間とともに貴重な体験を積み重ねている。このチャレンジスクールを開催する時期には、片山自身も多忙なスケジュールを調整し、チャレンジスクールの「校長先生」として毎回、必ず参加する。
一切、手を抜くことなく、期間中は子どもたちと全力で関わり合う片山の姿勢は、スクールに参加する子どもたちの保護者に対しても、いい刺激になっているようだ。
「誤解を怖れずに言えば、僕たちの本業って、自転車でも、クルマでも、ましてや山登りでもないんですよ」
片山は、分かりますか、と問いかけるような笑顔を浮かべて、話を続ける。
「チャレンジスクールの場合でも、どうやったらもっと子どもたちによく伝わるのだろう......という課題は山のようにあります。でも、夢を持っている子どもたちや、頑張ろうと努力する人々に対して、障害があろうが、お父さんがいなかろうが、仮設住宅に住んでいようが、そんなものは一切関係なく、『頑張れば、見ていてくれる人がいるんだ』『強くなったら、応援してもらえるんだ』と彼らが信じて、怖れることなく挑戦できるようになってほしいんですよ。でも、その一方では、スポンサーや支援者を介在させて、彼らにも何らかの形でメリットを発生させるようにしなければ、とても回っていきませんよね。
だから、そういう環境を僕たちの世代がちゃんと作りあげて、『おれたちの国は大丈夫だぜ』『ちゃんと自分たちの努力を見ていてくれる大人たちがいるんだ』と、子どもたちが心配せずに物事に挑戦していけるシステムを形にしていくことが、言ってみれば僕たちの本業であり、本当に成(な)すべきことだと思います」
そのような志(こころざし)に対して、しかし近年では、挑戦に失敗した場合を考慮して何らかの対策をあらかじめ講じておくことも必要ではないか――、という議論もある。いわば、挫折した場合のセーフティネットだ。
「たしかに、そういう主張は世の中にあるし、その必要性も分からないではないけれども、まず全力で挑戦を開始すべきときには、そんなことは考えなくてもいいんじゃないかな。そんなことを考えていたら、絶対に成功するわけがない。
大人になってからのリクルーティングや、大事な局面で事故をした場合の保険、という意味では、セーフティネットやセカンドオプションという考え方も、時に応じて必要になることもあるだろうけど、子どもたちに、『努力をしたからって、誰でも夢が叶うわけじゃないんだよ』なんて言う必要は、まったくない。
これは結果論的で、月並みな言い方になってしまうけれども、努力をしたことは決して無駄にはならない。全力で努力して、地団駄を踏んで泣いた経験のないような人に限って、そういうことを言うのかもしれない。中途半端にしかやらなかったから、あきらめきれないし、辞められないし、相手のことを認めない。
ライバルをつぶしてやりたいと思うくらい努力をした人なら、むしろそんなことはいわないと思いますよ。強い相手に対しては、やがて相手の実力を素直に認めるようになるし、そこまで自分が精一杯できる限りの努力したのなら、あきらめることもできる。だから、頑張って自分は何かになるんだ――と、ひたむきに続ける努力に、無駄なものなど何もないんです。生きているというのは、結局そういうことだと思うんですよね」
(次回に続く)
西村章●構成・文 text by Nishimura Akira