遥かなるツール・ド・フランス 〜片山右京とTeamUKYOの挑戦〜
【連載・第29回】

「ジャパンカップ」「ツール・ド・フランスさいたまクリテリウム」と、本場欧州のトップライダーが集結した10月の日本自転車ロードレース界。TeamUKYOは現在の実力を測るべく、両レースに参戦した。その経験を経て、片山右京が見つけた新たな課題とは?

 10月は日本のサイクルロードレース界にとって、重要な1ヶ月だった。大きな国際的レースが立て続けに開催され、世界トップクラスの選手やチームが続々と来日。選手たちは、本場欧州のグランツールさながらの真剣な駆け引きや真っ向勝負を日本の路上で繰り広げて、沿道に集まった大勢の観客をおおいに魅了した。

 10月中旬は、「ジャパンカップウィーク」と題して、栃木県宇都宮市で11日のシクロクロス(オフロード競技)を皮切りに、様々な自転車関連イベントが催(もよお)された。18日は今年で5回目となるジャパンカップクリテリウムが、そして翌19日にはアジアで唯一のUCI超級ワンデーレース、「ジャパンカップロードレース」が開催。このジャパンカップに合わせて、来日した欧州のプロツアーチームは以下のとおりだ。

 ガーミン・シャープ(アメリカ)、ティンコフ・サクソ(デンマーク)、ランプレ・メリダ(イタリア)、チーム・スカイ(イギリス)、キャノンデール・プロサイクリング(イタリア)、チーム・ユーロップカー(フランス)、トレック・ファクトリー・レーシング(アメリカ)。

 ガーミン・シャープからは、エースのダニエル・マーティン(アイルランド)や、2011年のジャパンカップ覇者ネイサン・ハース(オーストラリア)が参戦。ランプレ・メリダは、過去にジャパンカップを2度制し、日本でも人気の高いダミアーノ・クネゴ(イタリア)を日本に送り込んだ。また、チーム・ユーロップカーからは新城幸也が、トレック・ファクトリー・レーシングからは別府史之が、それぞれ今回のレースのエース格として凱旋帰国を果たした。一方、国内からは、ヴィーニ・ファンティーニ・NIPPO、愛三工業レーシングチーム、シマノレーシングチーム、ブリヂストン・アンカー、そしてTeamUKYOが参戦した。

 土曜日のクリテリウムは、宇都宮駅前のメインストリートを封鎖して1.55キロの周回コースを設営し、午後3時50分にスタート。柵で仕切られたコースサイドを、4万1000人の老若男女が埋め尽くした。眼前を猛スピードで駆け抜けてゆくレーサーたちに対し、年齢や性別を問わず大勢の観客が惜しみなく声援をおくる姿は、日本でまだマイナースポーツに過ぎないサイクルロードレースが、ここ宇都宮では確実に、マラソンや駅伝と肩を並べる観戦競技として定着していることを感じさせた。

 この日のメインレースに先立ち、「レジェンドクリテリウム」なるイベントも開催された。地元栃木県出身の競輪選手・神山雄一郎や、インターマックス代表の今中大介氏らとともに、片山右京も自身のチームユニフォームに身をつつんで出走。わずか2周のレースだったが、優勝した神山に続いて片山は3位でゴール。沿道のファンたちから大きな喝采を浴びた。

 その後、本番のクリテリウムレースには、TeamUKYOから土井雪広、リカルド・ガルシア、窪木一茂、住吉宏太、山本隼の5名が参戦。全20周の集団ハイスピードバトルは、チーム・スカイのクリス・サットン(オーストラリア)が制した。

 翌日は、舞台を宇都宮市郊外の森林公園に移し、ジャパンカップウィークのメインイベントとなるロードレースが開催された。森林公園とその周辺道路14.1キロを周回し、計151.3キロで争われるコースは、本場欧州に劣らない急峻な登り坂などの見どころが多く、公式発表で観客数は8万人に達した。

 この日、TeamUKYOは窪木と住吉に代えて、ホセ・ビセンテとサルバドール・グアルディオラが参戦。レースは、序盤からホセを含む4選手が飛び出して、逃げ集団を構成した。ホセたちは着々と後続のメイン集団との差を広げ、一時はその差を6分以上にまで広げた。やがて、メイン集団のプロツアーチーム勢がプロトンを完璧にコントロールして、この大きな差を少しずつ、しかし着々と詰めていった。

 ホセはレース終盤までトップを走行し、おおいに存在感を発揮したものの、残り2周でメイン集団との差は1分を切り、ほどなく吸収されるに至った。その後、レースはプロツアーチームが完全に支配。最後は9名の激烈なスプリントバトルがゴールラインまで続き、ガーミン・シャープのネイサン・ハースが2011年以来2度目の優勝を達成した。一方、レースを途中まで牽引したホセは、山岳賞を獲得した。

 TeamUKYO監督の片山右京は、この日の戦いを終え、ひとまずは満足といった表情でレースを振り返った。

「正直なことをいえば、我々はまだ、このレースで優勝を狙えるような実力ではありません。今の自分たちにできる仕事は、できるかぎり序盤からトップを走行して存在感をアピールし、山岳賞を獲ること。その意味では、狙いどおりの展開になりました。選手たちはとてもよく戦ってくれたと思います。しかし、今回の結果は、あくまでも通過点のひとつに過ぎません。

 次の目標は、このようなレースで勝つためにどのようなチーム作りをしていけばいいか、ということ。欧州の一流チームに勝つための体制・組織作りの準備を進めなければならない。来年の今ごろはプロコンチネンタルの書類申請をできるように、少しずつ着実に前進していきたいと思います」

 このレースの翌週10月25日には、「ツール・ド・フランスさいたまクリテリウム」が、さいたま新都心で開催された。ツール・ド・フランスを興行するA.S.O.が共催者として全面的に協力するこのイベントは、昨年に第1回を実施。その年度のツール優勝選手や山岳賞、ポイント賞獲得選手も参加し、本場のツールにも劣らない華やかな顔ぶれが集まる。今年は総合優勝のヴィンチェンツォ・ニーバリ(イタリア/アスタナ・プロチーム)、山岳賞のラファウ・マイカ(ポーランド/ティンコフ・サクソ)、ポイント賞のペーター・サガン(スロバキア/キャノンデール・プロサイクリング)らが来日し、20周の特設コースで本番さながらの激しい戦いを繰り広げた。

 国内勢では、ジャパンカップにも参戦したチームを含む全8チームが参戦。TeamUKYOからはキャプテンの狩野智也、窪木、山本、湊諒(みなと・りょう)の4名が参戦した。レースは、終盤に別府史之と新城幸也が集団から飛び出す展開に。沿道を埋め尽くした大勢のファンから大きな声援が飛んだが、最後はチーム・ジャイアント・シマノのマルセル・キッテル(ドイツ)が優勝を飾った。

 今年で2回目となったこのイベントは、本場フランスの雰囲気をまるごと移植してきたレースとして、多くの日本ファンを魅了した。しかし、TeamUKYOの目標は、さいたまでこの雰囲気を愉しむことではない。むしろその逆で、自分たちがフランスの本家に乗りこんでいかなくてはならないのだ。そのためにまず必要なことは、プロコンチネンタルチームとしてUCI(国際自転車競技連合)に登録されることだ。ジャパンカップ終了直後に片山が語ったように、はたして来年の今ごろ、彼らはその足がかりを掴んでいるだろうか。

(次回に続く)

西村章●構成・文 text by Nishimura Akira