実に年間300日が晴天に恵まれるというソチには、初めてのF1ロシアGP開催を迎えた週末も真っ青な快晴の空が広がっていた。しかし、ソチにやって来た小林可夢偉の心は晴れてはいなかった。

「なんでソチに来たんやろ? ここに来てからずっと考えてるんです、今でもね」

 冬季オリンピックが開催されたメイン会場をサーキットとして利用し、オリンピックスタジアムやフィギュアスケートリンクなどさまざまな施設の間を駆け抜ける。初開催のロシアGPは、ドライバーたちからの評価も上々だった。

「まぁ、新しいサーキットやから、(今後のために)サーキットを見に来たくらいの気持ちで、と思ったのはありますよ。でも、ここに来てから『なんで来たんやろな?』ってずっと考えてます」

 可夢偉がそう言うのには、理由があった。

 土曜午前のFP-3(フリー走行)を前に、可夢偉がドライブするマシンのリアサスペンションに異変が起きていた。左側のアッパーアームだけが不格好に太く補強されている。金曜の走行でクラック(亀裂)が入ってしまったためだった。

 今のケータハムには交換するスペアパーツもなく、手持ちのパーツで走り続けるしかない。しかし、F1マシンのパーツというのは極限まで軽くするように設計されているため寿命が短く、特に安全面に直結する脚回りのパーツは「マイレージ制限」があり、走行距離が厳しく管理されているものだ。

「『もうちょっと走らせて』っていう感じやったけど、マイレージ制限があるからね。新しいサーキットで7周走っただけでオプションタイヤを履いてアタックっていうのはさすがに厳しいでしょ?(苦笑) そのアタックも2周しか走らせてくれないし。『ああ、こうやって走るんや!』って分かっていく途中で終わったから、お腹3分目でゴハンを取り上げられたみたいな気分ですね」

 予選までに可夢偉に許されたのは、金曜の27周、そして土曜午前の12周のみ。ちなみにメルセデスAMGのニコ・ロズベルグは予選までに84周を走破している。

 スペアパーツが底をついているため、クラッシュでもしてパーツを失えばもうそれ以上の走行ができなくなる可能性すらあった。コンクリートウォールに囲まれたソチの半公道サーキットではそのリスクも高く、無理はできない。

「いつも以上にぶつけないように意識して走らないと。クラッシュした瞬間に、僕は荷物まとめて帰りますよ(苦笑)」

 実は日本GPの時点ですでに、車体右側のパーツは底をついていた。可夢偉はFP-2でクラッシュを喫したが、あれが右側から当たっていればマシン修復は不可能で、レースには出場できていなかったという。状況は、レースを追うごとに悪化している。

「ぶつけたらお終いどころじゃなくて、いつ壊れるか分からないような、もっとひどい状態。それくらいマイレージ寿命がギリギリのパーツを使ってますから」

 シンガポールGPから続くフライアウェイ戦の間、ファクトリーからのスペアパーツ補充はない。日本GP前にはケータハムのファクトリーが差し押さえられたと報じられたが、チームはこれを否定している。

「リーフィールドのファクトリーに差し押さえ執行官が入ったのは事実だが、ほとんど何も押収されていないし、サーバーのスイッチも切られてはいない。マシンのパーツも工作機械も押収はされていない。差し押さえられたのは過去のF1マシンに関するアイテムだけで、現在のF1活動に関するものは一切持ち去られていない。弁護士が書類上の事務手続きを済ませ、押収されたものも返ってくる。問題はすべて解決されている。さまざまな噂が広がっているが、どれもこれも正しくない」(マンフレディ・ラベット代表)
 
 しかし、チームが財政的に苦しい状況にあることは間違いないようだ。日本GPに投入された新型フロントウイングひとつを除いてスペアパーツの製造が進んでいないことや、シンガポールGPでタイヤの供給が遅れたことからもそれは明らかで、ブレーキディスクの購入もできない状態という。

「私は3週間前からファクトリーにいたが、以前と何も変わっていない。ノンストップで稼働しているよ。毎日稼働しているし、何も問題はない」(チーム運営補佐役のイアン・フィリップス)

 だが、ロシアGPの週末にも新型フロントウイングはおろかベルギーGPスペックのリアカウルも届けられず、可夢偉は日本GPと同様、チームメイトのマーカス・エリクソンに対して0.7秒遅いマシンで走ることを余儀なくされた。さらにFP-1のシートをロベルト・メリに譲り、ハンディだらけで予選に臨んだ。それでもエリクソンと0.5秒差のタイムを刻んだのは上出来と言えた。加えて言えば、ギアボックスのクイックシフトが機能せずに0.3秒を失ってもいたことを考えれば、いかに可夢偉がその腕でタイムを稼いでいたかが分かる。

 チーム運営資金をエリクソンの持ち込み資金に頼っている以上、彼に最新スペックのマシンが与えられることは受け入れざるを得ない。しかし、同じものが可夢偉に与えられていれば、おそらくザウバーやロータスに迫る走りを見せていたことだろう。

「走行時間がほとんどなかったことを考えると、悪くない結果だとは思います。まだコースを理解し切れてないから、攻め切れてないんですよね。どの走り方が速いのかっていうのをまだ試行錯誤しているんです。クルマがチームメイトとあまりに違うんで、データの比較ができないっていうのもありますしね」

 苦しい中でも、可夢偉は戦った。周りと違うミディアムタイヤを履いてスタートし、1ストップ作戦でなんとか互角の戦いを演じようとしていた。

「可夢偉、(レース戦略は)プランBにしよう。(エイドリアン・)スーティル(ザウバー)と戦えているぞ」

 レースエンジニアのティム・ライトが無線でそう伝えていた矢先、可夢偉のレースは突然終わりを迎えた。

 21周目に通常のタイヤ交換だと思ってピットに飛び込むと、ガレージの前にはタイヤは用意されていなかった。エンジンを切るように指示され、マシンはガレージに押し戻された。

「普通のピットストップやと思って入ったらエンジンを止めろって言われて、そのまま終わりということで。首脳陣からアクシデントを避けるためにクルマを止めろと言われたみたいです。でも、トラブルの予兆はまったくなかったし、単純にパーツのマイレージをセーブするために止めたということみたいです」

 クルマを降りた直後、可夢偉はそう語った。

「レース自体は順調でペースが良かったし、全然悪くなかったと思います。マーカス(・エリクソン)はオプションタイヤで僕がプライムやから、あのタイム差ならむしろ僕の方が実質的には速かったんですよ。今回はロングランでは僕の方が全然速かったんです」

 その後、チームはブレーキの過熱により安全を考慮してレースを取りやめたと発表した。これ以上走行を続ければサスペンションが破断する恐れがあったからなのか、それとも今後の数戦に向けてパーツの寿命を残しておきたいということだったのか、はたまた他のパーツを節約するためだったのか、事の真相は定かではない。チームの上級エンジニアからの提言を受け、最終的にはチーム代表のラベットが決断を下した。

 そのラベットに、スペアパーツ製造は進んでいるのかと問うと、彼はこう答えた。

「その質問は、このチームのパフォーマンスとコミットメントに対して不適切なものだと言わなければならないだろう。我々にはパーツ不足の事実はないし、鈴鹿で可夢偉が大きなクラッシュをした際にもマシンの修復ができたことを忘れないでほしい。パーツの製造はチームの技術部門と製造部門によって決められたもので、まったく問題はないよ」

 彼は、鈴鹿のクラッシュ後に最新パーツで修復ができなかったことには触れなかった。また、ロシアGPでマイレージ節約のためにレースをストップしたことを認めれば、パーツ不足を認めることになり、ひいてはチームの財政難を認めることになる。つまり、嘘を隠すために、また嘘で塗り固めなければならない状況に陥っているのだ。

 初めからレースを完走できないことが分かっていたのなら、どうしてスタートさせたのか。可夢偉にとってそれは、どんな状況でも全力で戦うドライバーの尊厳を無視した受け入れがたい行為だった。

「うん、納得いってないよね。なぜこんなことになったのか、僕にはちょっと理解できないです。だったらそもそもスタートさせるなよっていう話ですからね。(チームスタッフの)僕らはみんな普通にレースをしてたからね」

 可夢偉はまっすぐにこちらの目を見てそう言った。そこには強い意思が感じられた。

 これまで可夢偉は、チームに対して思うところはあっても、それを明確に言葉に表してはこなかった。しかし、ロシアGPを終えて、可夢偉ははっきりと言った。それはレースを途中で打ち切るという行為そのものよりも、そうなることが分かっていてレースをさせたチームの行為が、ドライバーやスタッフに対する裏切りに他ならなかったからだ。

 これが茶番や八百長だとは言わない。マイレージ寿命がギリギリでいつ壊れるか知れないパーツで走る危険は犯せないというチームの判断は間違いではない。しかし、それはレースをスタートする前に分かっていたことだったのではないか――。

 チームメイトに比べて性能が大きく劣るマシンしか与えられないことを、可夢偉は分かっていた。走行距離が厳しく制約されることも分かっていた。それでもなお、なぜロシアに来たのか。

 ソチに着いてからずっと続けてきた可夢偉の自問自答の答えは出ていた。

「いやぁ......アホやな、って。(ロシアに来たのは)失敗したなっていうのが心からの気持ちですね。マトモに走らせてくれへんし、マトモなクルマでもないし、FP-1も(メリに)取られて、なんのこっちゃ分からんグダグダのまま終わった1週間やからね」

 そして可夢偉は言った。

「次のレースは、(エリクソンと)同じスペックじゃないと(次のアメリカGPには)行かないですね。それとスペアパーツも何個か作ってくれないと」

 チームに対する最後通牒だった。

 可夢偉は撤収作業に追われるピットガレージへと向かい、ともに戦ったスタッフたちに感謝の言葉を告げ握手をしてからサーキットを後にした。

 小林可夢偉が、次のオースティン(アメリカGP)で最新型スペックのマシンを駆ってザウバーやロータスを喰う走りを見せてくれるのか、それとも、可夢偉はケータハムを見限ることになるのか。すべてはチームに委ねられた。

米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki