幻の″病院産ワイン″とは? フランスの病院とワインの不思議な関係

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パリの病院で造られるワインがある。日本の感覚からすれば、病院とお酒はもっとも遠いものと思われがちだが、フランスでは、病院とワインは歴史的に切っても切れない関係なのだ。

例えばブルゴーニュ・ワインの中心地、ボーヌに立つ病院「オテル・デュー」。ここでは、ワイナリーから寄付された畑により造られたワインが、「ホスピス・ド・ボーヌ」としてオークションにかけられ、売上げは病院の運営資金に当てられている。仏東部ストラスブールでの市立施療院では、院内に1472年のワイン樽が今も置いてあり、観光スポットの1つになっている。

ただ今回紹介するワインは、このような歴史的なものではまったくない。

パリ市内モンマルトル地区。キャバレー「ムーラン・ルージュ」のモチーフに風車が描かれているように、かつてこの一帯は丘であり、ブドウ畑が広がっていた。今もわずかながら畑は残り、毎年10月に行われるブドウの収穫祭は、パリの風物詩になっている。そのブドウ畑から少し歩いた先に、今回の市立ブルトノー病院はある。

ブルトノー病院は2001年に開業した新しい病院だ。約250人の患者と100人の施設入居者を抱える平均年齢85歳の高齢者専門の施設である。2005年、この病院の中庭に125本のブドウの苗木が植えられた。品種はマルベック。色が濃くタンニンが豊富な、赤ワインに使われる品種だ。それを仏南西部カオール近くの町、ヴィル・シュル・ロットの醸造家が手伝った。

病院内の畑は、規模が大きめの家庭菜園程度の広さしかない。しかし、その小さな畑は、同病院に入居する高齢者に大きな実りをもたらしている。

まずブドウの木々が、四季を施設内に呼び込んだ。春に芽吹き、夏は青々とそのツルを伸ばし、実をつけた。そして秋になると紅葉し、黄金色の美しさを見せた。院内の高齢者にとって、それは故郷の景色であり子供の頃の風景だった。病室の窓の外に感じる自然の移り変わりが、病院という狭い共同体で、高齢者たちの不和を和らげた。

2007年9月、植えられたブドウから初めての収穫が行われた。ワイン造りには患者、入居者、彼らの家族、病院職員、醸造家が携わり、すべての過程に院内の高齢者たちが参加した。さまざまなレクリエーション・イベントが催されるといっても、病院内での楽しみは限られる。ゆえにワイン造りは患者たちにとって、交流の大きな機会になった。ワイン造りは彼らに、若かりし日々の思い出と笑顔を運んだのだ。

翌年、収穫されたブドウから240本のワインができた。ボトルに貼られた「クロ・ブルトノー」(「クロ」は仏語で「畑」という意味)という名の下には、「ブルトノー病院」という文字と「パリ医療センター」のロゴも並ぶ。ワイン造りに携わった人々は再び病院に集まり、自分たちのワインを喜びと共に囲んだ。

クロ・ブルトノーは一般向けに販売されていない。病院が行うイベントなどで、入居者や来院者により消費される。同ワインの国による格付けは「テーブルワイン」という一番下のクラス。病院内の中庭という地理的条件的のためだ。しかしクロ・ブルトノーは高級ワインにならない代わり、ボトルは手作りの幸せと優しさで満たされる。ブルトノー病院のブドウは、お金では決して買えない高齢者たちの笑顔へ、毎年その姿を変えているのだ。
(加藤亨延)