遥かなるツール・ド・フランス 〜片山右京とTeamUKYOの挑戦〜
【連載・第22回】

 自転車3大ステージレースのひとつ、ブエルタ・ア・エスパーニャが閉幕した。ジロ・デ・イタリア、ツール・ド・フランスと並ぶ欧州を代表するビッグイベントだが、レース結果を当たり前のようにチェックしている日本人は少数だろう。ただ、「ツール・ド・フランス」という名称だけは、あまり自転車に興味を持たない人々にも、「世界的に有名なレース」として知られている。ツール・ド・フランスの魅力とは何なのか、自転車レースを長年取材しているジャーナリストの山口和幸氏に話を聞いた。

 スペインを舞台に激闘が続いた今年のブエルタ・ア・エスパーニャは、最終日9月14日(日本時間9月15日)の個人タイムトライアルで21日間に及ぶドラマの幕を閉じた。今年のブエルタは、ツール・ド・フランスで優勝候補に挙げられながら、ともに負傷で途中リタイアを余儀なくされたアルベルト・コンタドール(スペイン/ティンコフ・サクソ)とクリス・フルーム(イギリス/チーム・スカイ)が参戦し、大きな注目を集めた。

 コンタドールは10日目で総合トップに立ち、リーダージャージの「ヘルセイ・ロホ(jersey rojo/スペイン語でレッドジャージの意味)」を着用。これを総合2番手のフルームが1分19秒差で追う緊迫した状態で、最後の山岳ステージとなる20日目を迎えた。この日は185.7キロのコース終盤で一級山岳を越え、さらに最後は超級山岳の山頂ゴールが控えるという高難易度。その舞台で、両雄は真っ向から激突した。

 残り5キロとなった急勾配の途上で、フルームはコンタドールを振り切るべく何度も揺さぶりをかけるが、コンタドールはそれをことごとくチェック。その後、急峻(きゅうしゅん)な登り坂のラスト1キロで、今度はコンタドールがスパートした。そして、力尽きたフルームを振りきってゴール。トータル1分37秒の差を築いたコンタドールは、最終日の個人タイムトライアルでもそのマージンを守りきり、2008年と2012年に続き3度目となるブエルタ総合優勝を達成した。

ともあれ、これで2014年の3大グランツールはすべて終了した。今年のブエルタは、目の肥えたファンを充分に満足させる濃い内容だったが、自転車ロードレースが人気スポーツではない日本で、果たしてどれほどの人がこのレースを観戦しただろうか。しかし、そのような環境にある社会でも、人々の間に「ツール・ド・フランス」という名称だけはなぜか広く浸透している。善し悪しを別にして、ツール・ド・フランスはそれほどのブランド力を持っている、ということだろう。

 そして、このツール・ド・フランスへの参戦を自分たちの目指すべき大目標に掲げた片山右京の戦略に感心した、と語るのが、4半世紀に渡ってツールを取材してきた山口和幸氏だ。1988年から自転車雑誌でツール特集を担当してきた山口氏は、1997年以降、フリーランスのジャーナリストとして毎年、ツールの全ステージを取材している。

「テレビのレース中継でツール・ド・フランスを放映しているのはコンペティション(競技・競争)の部分だけなので、大袈裟に言えば10分の1程度なんですよ。実は、ツール・ド・フランスにはそれ以外の、10分の9もの広い世界があるんです」

 と、山口氏は言う。つまり、その10分の9の部分が、ツール・ド・フランスの100年に及ぶ歴史であり、この競技を支える欧州のスポーツ文化、ということなのだろう。

「ヨーロッパの文化、といっても、じゃあその文化っていったい何なんだ、ということになるじゃないですか。彼らにとってツール・ド・フランスとは、サーカスのようなものが自分たちの町やその近くを通る年に1回の興行で、ちょうどバカンスの時期だから、親戚や友だちを集めてバーベキューで旧交を温めあったり、村おこしのために地域の広場に大勢集まって地元経済界のお偉方も呼んで......というふうに、このイベントでフランスの7月の経済が動いている側面があるんです。これほど大規模なイベントは、日本でたとえようとしても、ちょっと思いつくものがないですね」

 山口氏によると、あえて似ているものを探すとすれば、大相撲がそれに相当するかもしれないという。たしかに、大相撲はスポーツや興行の枠組みを超え、日本の精神的な風土とも強く結びつき、世代を超えたまさに国民的な根強い人気に支えられている。ただし、現在の大相撲は、年に6回行なわれる本場所がその時期の地方経済を大きく動かしているほどではない。そこがツール・ド・フランスとの大きな違いだ、とも山口氏は話す。

「大相撲の場合は、タニマチや熱狂的なファンの方々もたしかにいるんですけど、大半の人たちはいい取組を見たいと思って集まってくる。それで自分も楽しければいいよね、というところは、非常に似ているところだと思います。

 ツール・ド・フランスが行なわれているコースの沿道で、誰それが勝たなきゃいけないと思って拳を握りしめて応援している人は、ごくわずかなんです。沿道にいるのは、長いバカンスの1日、朝からその場所にポジションを取り、自分たちの休暇を優雅に遊んでいる人たちで、2時間前に関係車両が走ってくるとワクワクして、やがてテレビ中継のヘリコプターの音が遠くのほうから聞こえてくるとそのワクワクが最高潮に達して、そこに先頭集団がやってきて駆け抜けて行く。その強烈な盛り上がりが楽しい、と思って過ごしているんですよ。

 その盛り上がりが、政治や経済、さらに地域交流や家族といったいろんな構成で、ツール・ド・フランスを介して全国を巡っていくので、大きな意味で『文化が動いている』としかいいようがないんじゃないかと思います。今年の場合だと、フランソワ・オランド大統領が来るし、ベルギー国王も来るし、イギリスでのスタートにはウィリアム王子夫妻もやってきた。そういう要人がひとつのイベントにやって来ることが、ツール・ド・フランスのすごいところだと思います」

巨大なスポーツイベントを文化として支える、この10分の9の部分について、「右京さんはおそらく、F1時代の欧州経験から、非常によく理解をしているのではないか」と山口氏は推測する。

「たとえば、灼熱の苛酷な3週間を戦うレース期間中でも、各チームの移動オフィスには観葉植物とカーペットが敷いてあって、それだけ心のゆとりがあるんです。自転車競技出身者とは違う目線でレースの文化や雰囲気を見てきたであろう右京さんが、TeamUKYOを立ち上げた直後にそのことに言及して、『観葉植物とカーペットはマストだよ』と言っていたのは、さすがだなぁと感心しました」

 では、ツール・ド・フランスを長年に渡って現場で見てきた山口氏の目には、片山右京の掲げる無謀とも思える挑戦は、いったいどれほどの実現性と可能性があるものとして映っているのだろうか。

(次回に続く)

西村章●構成・文 text by Nishimura Akira