【自転車】片山右京「最初の一歩は何だって小さいもの」
遥かなるツール・ド・フランス 〜片山右京とTeamUKYOの挑戦〜
【連載・第20回】
7月下旬から8月上旬にかけて、初めて欧州のレースに参戦したTeamUKYO。自転車ロードレースの本場を体感したことで、片山右京は「多くのことを学んだ」という。ツール・ド・フランスへの参戦を目標に掲げる片山は、欧州でのレースから何を学んだのか?
今夏の欧州遠征は、TeamUKYOが自分たちの現状を踏まえ、今後の活動を見据えてゆくための貴重な機会になった。チームを設立した2012年から、片山右京は「2017年のツール・ド・フランス参戦実現を目指したい」と公言してきた。しかし、今回の参戦で目の当たりにしたのは、選手層の厚さから、広く深い競技文化に至るまで、あらゆる面での日本と欧州の大きな格差だった。
片山が掲げる遠大な目標は、この現実を見たことによって、何らかの軌道修正を迫られたのだろうか。あるいは、まだ実力は低くとも、自らの信じる手法を推し進めていけば大丈夫、という意を強くしたのか。
この問いを投げかけると、片山は少し考える素振りを見せた。
「うーん......。その両方であるような気もするし、どっちでもないような気もする。想像していたよりショックを受けたのは事実だし、でも逆に、ヒステリックにならずに、『よし、やってやろう』と地に足をつけて考える機会にもなった。いずれにせよ、今のままでは足りないな、ということは実感しました」
たとえばそのひとつが、チームの運営体制の拡充だ。所属選手の層を厚くし、高い実力を持つ選手を獲得し、若い選手を高いレベルへ育成していくことはもちろん必要だが、その選手たちをマネージメントし、運営していくためのチーム体制づくりも同様に重要だという。
「たとえば、サッカーの日本代表チームが経験豊富な指導者を外国から招聘するように、自転車の世界でも、それくらいの水準の指導者に来てもらってもいいんじゃないか。今後は監督にしても、チームマネージャーにしても、UCI(国際自転車競技連合)で働いていた経験のある人や、A.S.O.(ツール・ド・フランスの主催者)の関係者を取り込んで、日本人が不得意なロビー活動を積極的に展開していけば、少しは目標への近道ができるんじゃないかなと思います」
しかし、それだけ実力のある指導者や関係者を自陣営へ取り込んでいくためには、自らのチーム体制をその水準に引き上げ、確固とした運営体制を築き上げていく必要がある。これはある意味で、『鶏と卵』のジレンマにも似た問題だ。
「でも、必要なことを箇条書きにしたって、100個や200個もあるわけじゃないだろうから、シンプルにプライオリティ(優先順位)をつけて10個、15個と順番にやっていけばいい。たとえば、合理的で科学的な考え方が日本のスポーツ界の中でだいぶ浸透してきたとはいっても、『体育的』な体質はいまだに根強い部分が残っている。そことプロフェッショナルスポーツの間には、まだ大きな壁があって、野球やサッカーなどの成功している競技からシステムを学ぶべきことはいっぱいあるな、とも感じます。でも、日本が恵まれているのは、グローバルな企業がたくさんあるところ。企業の経済活動とプロスポーツのプロモーションが相反することなく、ヨーロッパ市場にうまくアピールしながらプロスポーツの側もうまく回るということは、決してできなくない話だとも確信しました」
そのために、現在は新しいTeamUKYOの活動体系を計画している段階なのだ、とも片山は言う。
「市場のシェアを争って、負けたほうが倒産するという厳しい戦いをいくつも経験してきた企業のトップたちが、もしもこのスポーツ(自転車ロードレース競技)ーーあるいはこのTeamUKYOを成功させる手法について戦略を立てるとすれば、もっと短時間で効率的にお金を使って、いいパフォーマンスで結果を出すと思うんですよ。でも、それを人に頼っていてはいつまでも実現できないから、自分たちが体力をつけていくために、目標までの道筋をしっかりと視野に入れて、新たな活動をスタートしたい。今はまだアイディア段階なので、事業計画として具体的に話をできるまでには、もう少し時間が必要ですけどね」
今はまだ頭のなかで描いている段階という、このTeamUKYOの新たな活動体系は、年内にも具体化させて、来年に向けて動き始めたい、と片山は考えている。
「レース活動はもちろん、ボランティアやチャリティ、子どもたちを対象にしたチャレンジスクールのような活動ーー、また、パリダカ(パリ・ダカールラリー)や登山などの冒険レベルに至るまで、自分たちがこれまでやってきた様々な活動が、点から線になってつながり、『TeamUKYOとは?』という存在意義を捉えなおしたうえで、自分たちが世の中に対してできること、自分たちの感謝をどういう形で社会に還元していくか、ということを明確にしていきたい。企業がCSR(企業の社会的責任)を果たすのと同じように、TeamUKYOはそういう当たり前のことを形にしていきたいと考えています。
ジョン・レノンの歌詞じゃないけど、理想論ばかり言っている夢想家だと思われるかもしれない。けれども、僕の長年の経験では、ある程度のところまで来たから大丈夫だと思う。経済界のお歴々も、話をすればちゃんと聞いてくれる。いわゆる、日本の国力を高めることと、このスポーツに対して必要なことは同じものだから、サポートしてくれる人もいそうだという手応えはつかんでいます」
現在はまだアイディアレベルーーというそのプランだが、「最高、現実、最悪......くらいの3段階で可能性を考えている」と、片山は笑いながら話す。
「理想をいえば、アジアを練習場としてヨーロッパにベースを置き、名のあるレースにどんどん出て、勝てないまでもチームの存在をどんどんアピールしていかなきゃいけない。そして、強い選手やスタッフを引き抜ける形になっていくのがベストですよね。ツール・ド・フランスを目指すなら、ヨーロッパで戦える体制にしなければいけないけど、選手ひとりを獲得するにしても、日本の無名チームにはそう簡単に来てくれない。
郷に入っては郷に従えだから、自転車以外でもフレンドリーな文化交流ができるレベルになって、初めて向こうで認められるようになるし、選手やスタッフも来てくれると思うんですよ。札束でほっぺたを叩くだけでは、人は集まらないから。そうやって、コミュニティのなかで存在感を確立してゆくことを考えると、『こりゃ大変だ』と。僕の仕事は監督カーを運転することではないし、現場に行って選手たちを応援することでもないのだろうな......ということを、特にこの1〜2ヶ月はつくづく感じますね」
今、彼らがいる場所から、「理想をいえば」と片山が話すところまでの距離は、果てしなく遠いようにも見える。それは、片山自身も重々承知のうえだ。
「大きいところだけを見ると、つい怖じ気づいちゃうんだけど、でも、最初の一歩は何だって小さいんだよ」と、片山は笑う。
「どんな偉人だって成功を収める前はたくさん失敗をしてきたんだし、どんな大企業だって最初は個人商店みたいな規模から始まってるんだから」
過去を振り返れば、2012年のチーム設立からたった3年で、現在のTeamUKYOはヨーロッパのクラス1のレースに参戦するところまでやってきた。ここから先の3年(2017年)で、彼らがさらにどれほど遠く、高いところまで到達するのかーー。今からその可能性に関心を持ち、期待を抱いておくのも悪い賭けではないだろう。
(次回に続く)
西村章●構成・文 text by Nishimura Akira