【F1】シート喪失。可夢偉は日本GPで走ることができるか?
8月20日(水)の昼過ぎ、ケータハムF1チームは小林可夢偉に代えてアンドレ・ロッテラーをベルギーGP(8月24日決勝)でスポット起用することを明らかにした。その直前、可夢偉はイギリスにあるチームのファクトリーでチーム代表のクリスチャン・アルバースからそのことを聞かされていた。
「水曜日の午前中、ファクトリーでシミュレーターに乗っているときにマネージメントから呼ばれて、アルバースから伝えられました。水曜日もスパのコースを(シミュレーターで)走っていました」
夏休みを終えた可夢偉はシーズン再開を前に渡英し、チームのファクトリーでエンジニアたちとともにベルギーGPに向けた準備作業を行なっていた。前日には「ベルギーGPに向けての準備バッチリ。あとはポイントを獲るだけです!」とツイッターで語っていた可夢偉にとって、まさに青天の霹靂(へきれき)だった。
ケータハムはこのベルギーGPに数多くのアップデートを投入し、ポイントを獲得するために本腰を入れてきていただけに、可夢偉としてもショックだっただろう。
「もちろん納得できない部分はありますが、チームの事情はよく理解しているのでチームのために今回は受け入れました。ただ、応援してくれるファンの皆さんには、今回レースが出来ず本当に申し訳ないです」
実は可夢偉がファクトリーにやってくる前日の月曜日にはロッテラーがファクトリーを訪れ、そのシミュレーターに乗り、シート合わせも行なっていた。
ケータハムの実質的なチーム運営者であるコリン・コレスは、3週間前の時点で旧知のロッテラーにベルギーGP出場のオファーをしていたのだ。ロッテラーは、自身が参戦している日本のスーパーフォーミュラのレースとベルギーGPの日程が重なっていたが、F1参戦を決断し、スーパーライセンス取得手続きを始めたという。
「スーパーライセンス取得の要件が揃っているのは分かっていたけど、申請には時間がかかるし、F1というのはいろんなことが決まるのに時間がかかることも分かっていた。参戦を決断したのが10日ほど前で、そこからいろんなことが動き出して、すべてがクリアになって正式に発表できたのが昨日(8月20日)だったというわけさ」(ロッテラー)
8カ月前の昨年末、可夢偉は初めてケータハムのファクトリーを訪れ、シミュレーターに乗り込んでシート争いのライバルだったヘイキ・コバライネン より1秒も速いタイムを記録。一気にチームスタッフの気持ちをつかんだ。しかし、今度は、可夢偉の知らないところでそのシミュレーターにロッテラーが乗っ てベルギーGP出場に向けた準備を行なっていたことは、なんとも皮肉だった。
可夢偉は当初の予定どおり水曜の午後にイギリスからパリに飛 んで陸路でスパに入り、金曜の午後まで待機していた。しかしロッテラーが無事にフリー走行を終えるとメディアの前に姿を見せることなくスパを後にし、友人 であるレーシングドライバーの吉本大樹がいるニュルブルクリンク(ドイツ)を表敬訪問して週末を過ごした。
「水曜日の夜にはコースから5分のスパのホテルに来ていました。なにがあるかわからないので金曜日のフリー走行が終わるまではスタンバイしていました。僕自身は常にレースをするつもりで、準備をしています」(可夢偉)
コレスは今回のドライバー交代劇について、持ち込み資金の問題ではないと断言した。ロッテラーが2歳の時からスパに近いベルギー国内で育ち、このサーキットを熟知しているからこその起用だと説明した。
「問 題はカネではない。チームには経営上の問題は何もないし、カネを必要としているわけではない。アンドレも資金を持ち込んでいるわけではないよ。そんな報道 もあるが、それは間違いだ。今回が非常に特殊な状況だったということだ。スパという特殊なサーキットで、ここは天候も特殊だ。彼はベルギーが地元でスパを 知り尽くしているスペシャリストだし、私は彼が世界でベスト5に入るドライバーのひとりだと確信しているからね。私は結果を残すためにベストな選択をした までのことだ」
しかし3週間前から、日本国内でレースをする外国人ドライバーの数人にも同様のオファーがあり、25万ユーロ(約3400 万円)程度の持ち込み資金が提示されていると一部で噂になっていた。さらには、ベルギーGP以降のケータハムのシートはすべて売りに出ているとの噂もあっ た。
ロッテラー加入と同時に『HYPE』というエナジードリンクがロッテラーの個人スポンサーとなり、ケータハムのモーターホームには大量の同社製品が持ち込まれた。『HYPE』には元F1ドライバーでロッテラーと親交のあるベルトラン・ガショーが関わっており、その関係で今回の提携になったという。そこからどれほどの資金が出ているのかは分からないが、アウディで活躍するロッテラーならばコレスが要求する額を支払うだけのサラリーも十分に得ているだろう。
そうなると気になるのが可夢偉の今後のレース復帰の可能性についてだ。
可夢偉自身は、ケータハムと話し合いをしているというが、次戦イタリアGPですぐにレースシートに復帰することは難しそうな雰囲気が漂っている。
「今後のことについては、引き続きチーム側と話をしています。現在お話しできることはありません」(可夢偉)
ロッテラーは当初から「F1出場は1戦限りのもの」としており、基本的にはアウディのワークスドライバーを務めるWEC(世界耐久選手権)のプログラムに重心を置く意向だ。その場合、残り7戦中2戦の開催日程がWECと重なるF1に本腰を入れることは難しそうだ。
「最優先はWECのアウディでの仕事だよ。今後については彼ら(ケータハム)が判断することだけど、僕はWECや日本のスーパーフォーミュラでの自分自身のキャリアについて、これ以上妥協したくない。僕がこの後F1に乗れるとしたら、日程的にはモンツァと鈴鹿だけじゃないかな」
しかし同時に、日本GPには出場したい気持ちもあると語っている。
「今回の参戦はワンオフ(1レースのみ)のものだし、1回きりのチャンスでも僕にとっては上出来だと思う。でも、またレースをするチャンスが与えられるなら、それを生かしたいね。鈴鹿はもう10年もレースをしているし、僕にとっては最良の場所になるだろう。走り込んでいて気持ち良く走ることができるサーキットだ。チームから依頼されれば断る理由はないし、 "NO"とは言わないよ」
コレスによれば、ケータハムは可夢偉ともロッテラーとも、今シーズン末までF1ドライブが可能な契約を結んでいるという。
「アンド レとはシーズン末までウチのチームで走るという契約を交わしているが、可夢偉もチームの一員であり続けるし、我々としても可夢偉の力になりたいと思ってい る。今回の決断はこのレース限りのものだが、今後のレースに起用するドライバーをどうするかはまだ何も考えていないよ。(マーカス・エリクソンを含めた) 現状の3人から選ばなければならないということもない」
次のイタリアGPに向けては、数名のドライバーの名前が候補として噂に上がっている。
ベルギーGPの週末にチームから招待されて帯同したロベルト・メルヒは、すでにファクトリーを訪れてシミュレーターも経験したという。今季はフォーミュ ラ・ルノー3.5でランキング2位に付けている若手だが、過去2年間の実績ではF1参戦に必要とされるスーパーライセンス取得の要件を満たしておらず、特 例に求められる300kmのテスト走行もこの1週間のうちに行なうことが不可能であることを考えれば、彼がイタリアGPに起用されることはない。
もうひとりの候補とされるのがカルロス・サインツJr.で、彼はF1のテスト経験もあるためスーパーライセンス取得は可能と思われる。彼はレッドブルの ジュニアドライバーであり、レッドブルが来季は現在16歳のマックス・フェルスタッペンを史上最年少でF1デビューさせることを決めたため、サインツ Jr.にもケータハムでのF1デビューのチャンスを与える可能性は十分に考えられる。
レッドブルとサインツJr.は、ケータハムの経営陣 変更が行なわれた直後のイギリスGPでも交渉の場を持っており、ケータハムはレッドブルからギアボックスの供給を受けている関係で同社のエンジニアがチー ムに帯同しているため、チームの内情にも詳しい。さらに言うならば、今レッドブルで活躍しているダニエル・リカルドはコレスが運営していたHRTでシーズ ン途中にF1デビューを果たして経験を積み、その後トロロッソで頭角を現わしたという経緯もある。コレスがケータハムで同じようなストーリーを描いていた としても不思議ではない。
そんな中で、可夢偉が今後ケータハムからレース出場を果たすためには、それなりの額のスポンサー支援が必要となるかしれない。しかし、今回ベル ギーGPで、マルシアのマックス・チルトンがシートを失いかけたように、出場のチャンスがあるのは何もケータハムだけではない。そして、将来性の乏しい ケータハムにしがみつくことなく、来年以降のシート確保を最優先に考える必要もある。そのことは可夢偉自身もよく分かっているはずだ。
10月5日に決勝が行なわれる日本GPでは、日本のファンが可夢偉の走る姿を心待ちにしている。そのことは可夢偉自身もよく分かっており、他のどのグランプリをおいても鈴鹿でレースシートを手にするために努力をすると明言した。
「鈴鹿での日本GPは、僕にとって特別なGPですので、走りたい気持ちはどのGPよりも強く、その準備をしています。もちろん、自分の気持ちだけで決まることではありませんが、日本のファンの皆さんの前で、レースが出来るよう最大限の努力をしています」
再びグランプリの場で輝く可夢偉の姿を目にすることができると信じて、今はその復帰の日を楽しみに待つしかない。
米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki