遥かなるツール・ド・フランス 〜片山右京とTeamUKYOの挑戦〜
【連載・第19回】

 2014年夏、TeamUKYOは初めて欧州のレースに参戦した。すべては、チームが目標に掲げる「ツール・ド・フランス参戦」を成し遂げるため。チームを率いる片山右京は、自転車ロードレースの本場欧州で、何を得て帰ってきたのか?

 7月から8月にかけての欧州遠征で、TeamUKYOは多くの物事を吸収した。

 スペインで行なわれたワンデーレース「ビアフランカ・オルディシアコ」、その後ポルトガルに移って同国を1周する10日間のステージレース「ボルタ・ア・ポルトガル」、参戦したのはいずれもクラス1のカテゴリーだ。UCIワールドツアーにこそ組み込まれていないものの、サイクルロードレースの本場欧州のクラス1だけに、競技レベルの高さは相当なものだ。現地に帯同した片山右京が、そこで目の当たりにしたのは、プロツアーチームやプロコンチネンタルチームに混じって走る、各国・各地域で活躍しているコンチネンタルチームの想像を上回る実力の高さだった。

「選手層の厚さも、マネージメントも、すべての面が明らかに違う。まるで大人の集団についていけない子どものように、太刀打ちできなかった。そのレベルの差は、(欧州に)行く前からかなりの覚悟をしていたとはいえ、大きなショックを受けました」

 特に衝撃を受けたのは、グランツールや数々のクラシックレースなどでプロツアーチームのトップ選手たちが行なう完璧なレース戦略や駆け引きを、コンチネンタルチームのレベルでもキッチリとこなすことができている、という競技水準の高さだ。

「たとえば、第1ステージでは窪木(一茂/TeamUKYO)が4名の逃げ集団に入って、スタートから160キロあたりまでレースをリードし続けたんですが、メイン集団はプロトン(※)をキッチリとコントロールして10キロごとに1分ずつ詰めてきて、ゴール手前25キロで逃げ集団をあっさりと吸収してしまいました。そして、ラスト10キロになるとアタック合戦が始まり、ゴール手前の集団スプリントにもつれ込むんです。

※プロトン=自転車競技でレース中に形成される大規模集団

 しかも、そのプロトンをコントロールしている連中は、疲れた表情ひとつ見せない。まるで、指示されたタイミングで計算された出力や回転数を出し て、プログラムどおりに動くロボットの集団のよう。統制が取れていて、そのスピードがまた尋常じゃない。あれを見ていると、『怖いな......』とすら思いまし た。僕たちがテレビで観ているようなレース展開を普通にこなせるチームが、ヨーロッパではコンチネンタルのレベルでもゴロゴロしているわけです」

 いわば今回の欧州レース参戦は、TeamUKYOの掲げる理想と現実の差を容赦なく突きつけられる経験であった、というわけだ。

  しかし、そこで片山たちが目の当たりにしたのは、厳しい現実だけではない。TeamUKYOで戦う個々の選手のパフォーマンスやモチベーション、そして、 自分たちがチームとして欧州のレースに参戦していく意義など、有形無形の多くの成果を得ることができた、と片山右京は考えている。

「第2ス テージでは、住吉(宏太/TeamUKYO)が生まれて初めて逃げ集団に入って、最後はプロトンに吸収されてしまったけれども、『つい、カラダが反応し ちゃいました』と素晴らしいファイトを見せてくれた。でも、次の日に住吉は体力を使い果たして制限時間オーバーの足切りにあってしまったので、その翌日以 降はレースに参加できなくなりました。ただ、補給所までクルマで一緒に連れて行くと、『ここから先はトレーニングで走って行きます』と住吉は自転車で走っ て行きました。そんな住吉の後ろ姿を見たり、スプリンターの平井(栄一/TeamUKYO)がレースに耐えて最後まで完走した表情を見ていると、それぞれ 考えたり、感じたり、葛藤したりしながら多くのことを学んだのだろうな、あぁ良かったな、と思います。
 彼ら若手以外にも、ホセ(・ビセン テ・トリビオ)が逃げて捕まって、今度は土井(雪広)君がカウンターでアタックして、その次に新加入のサルバドール(・グアルディオラ)が逃げを試み て......。毎日のステージで誰かが何かしらの行動をしてくれて、苦しいレースの中でもTeamUKYOの存在感はしっかりと示すことができました」

 また、今回の欧州遠征では、人と人との輪が作る関係の重要さも身に沁みて感じたという。

「チー ムができてまだ3年目の日本のコンチネンタルチームが、どうしてヨーロッパで歴史も格式もあるボルタ・ア・ポルトガルのようなレースに出られたのかという と、やっぱり人とのつながりだと思うんです。ホセがスペインからTeamUKYOに来てくれて、その後もリカルド(・ガルシア)やサルバドールが来てくれ て、スペインで少しずつ輪が広がっていった。スペイン側からすれば、経済状態が悪くて失業率はふたケタで、ロードレースチームがバタバタと潰れているとき に、日本のチームが選手を雇ってくれている。向こうも人情として、『そんなチームが欧州にレースをしにやって来るのなら、声をかけてあげようよ』という輪 が広がっていって、参戦につながった」

 人の輪、そして多くのことを学び取る経験という両面で、今回、TeamUKYOにとって非常に象徴的だったのは、レースを仕切ったヘスス・ロドリゲス・マグローという人物だ。

  TeamUKYOはチーム代表である片山右京の下、ゼネラルマネージャーの桑原忠彦が指揮を執り、レースの現場ではキャプテンの狩野智也と司令塔の土井雪 広が選手たちを束ねている。そして今回の欧州遠征では、チームの現場監督的な位置づけとしてマグロー氏が帯同することになった。マグロー氏は1980年代 から1990年代前半に選手として活躍し、ツール・ド・フランスには7年連続で参戦してミゲル・インドゥライン(1991年〜1995年ツール個人総合5 連覇)のアシストとしても高いパフォーマンスを発揮した人物だ。引退後はスペイン・ナショナルチームのコーチを務めた経験を持ち、今でもコースサイドの観 客からはマグロー氏に対して声援が飛ぶほどの知名度を持つ。

 マグロー氏は片山と同じ監督カーに乗り、自らクルマのハンドルを握ったが、「あれを見ていると、俺のやっていることなんてもう、幼稚園児以下」と、片山は苦笑を浮かべる。

「ウチらの順位は総合15番手とか16番手だから、選手を追走する監督カーの順番も集団の後方にいなければいけないんだけど、そうなると何かあったとき、前方 へ上がるのに時間がかかってしまう。だから、うまい具合にチーフコミッセール(審判)に文句をつけるために上がって行って、そこからなかなか後方に戻らな いわけです。だから、いつも前から2番目か3番目にいる(笑)。そういう、ずる賢さも戦略のうちなんだなあ、と勉強になりました。

 ドリン クのボトルを取りに来た選手への対応も秀逸ですよ。渡した後に選手を送り出すとき、一瞬だけど、グッと(選手の)背中を押しながらクルマのアクセルを踏ん で、瞬時にうまく加速させてやる。欧州経験の豊富な土井君も、『彼(マグロー氏)はうまいですね。日本人にはああいう監督はいないですね』と、感心してい ました。

 また、レースが進んでプロトンがどんどん(縦に)伸びたりすると、例によって後ろにいるはずの監督カーがビューッて前に行って、 『ホセ、何やってるんだ。ちゃんと土井をひけ〜ッ!』って怒鳴ったり、さらには日本人選手の横にクルマをつけると、『おまえら、遠足しに来てるんじゃねえ んだぞ!』と喝(かつ)を入れたり......。そうしたら最後には、とうとうコミッセールから無線で、『TeamUKYOさん、いいかげんにしてください。お願 いですから後ろに下がってください』と怒られたりして(笑)。でも、監督として、コーチとして、しっかりやり遂げてくれて立派だなあと感心しました」

 片山自身が「多くのことを学べた」と語る今回の欧州遠征は、選手やスタッフ個々、人のレベルはもちろん、チームそのものの今後の活動を支える血となり、筋肉となっていくだろう。

(次回に続く)

西村章●構成・文 text by Nishimura Akira