ドイツGPが開催される週の7月17日、木曜午前9時、小林可夢偉はケータハムのスタッフたちとともにホッケンハイムリンクのコースへと歩き出していった。太陽はすでに高く昇り、とてつもなく強く照りつけてくる。

 グランプリ週末を前に木曜日の朝にコースを歩くのが、このチームの習わしになっている。

「おお、みんな生き残ってたな!」

 自分のクルマを走らせてくれる担当スタッフたちの顔を見て、可夢偉は冗談めかして言った。

 ドイツGPを前に、ケータハムの新経営陣は40人規模の人員削減を断行した。従業員数300数十人のチームにとって、この数は決して小さなものではない。事実、このコースウォークに参加していた面々の中にも姿が見えなくなった者もいる。

「現場のエンジニアは3、4人いなくなりましたね。メカニックは変わってないと思います。いなくなった人もいるし、コスト削減のために現場に来てない人もいるし、突然の変化やったんで、みんなまだこれをどう言葉に表していいのか分からないっていう感じですね」

 チーム売却、リストラ断行と続くと、世間にはどうしてもネガティブな受け取り方をされる。

 だが、これはチームを「浄化」するプロセスなのだ。これまで5年間参戦を続けて結果が出せなかったのには、それなりの理由がある。新経営陣は、そこにメスを入れ始めたのだ。

「簡単に言えば、まずは人を切ってクルマの開発に回す予算を増やそうということですよね。これまではチーム規模に対して人数が多すぎたかなという部分もあったし、経営者としては当たり前のことをやったと言うべきでしょう」

 今回のリストラを可夢偉はそう説明する。

 元F1ドライバーのクリスチャン・アルバースがチーム代表に就任するとともに、技術陣も含めて首脳陣はほぼ入れ替わる形となり、高給取りから順にクビにしたのではと問うと可夢偉は「お金をもらってない僕がまだ生き残っているっていうことは、その可能性が高いですね」と笑って答えた。

 いったんは自身のシート喪失も噂にのぼったが、それはあくまで憶測報道に過ぎなかった。

 数え切れないほどの若手ドライバーたちがケータハム新経営陣のもとに売り込みに訪れているのは事実だが、チームの内実としては、ドライバーの持ち込み資金で稼ぐよりもクルマの性能を向上させ、結果を出すことでチームの価値を上げることを優先している。だからこそのリストラ断行であり、マシン開発への注力なのだ。

「僕を切ったところで何も変わらないですからね。それをやるんやったら、(性能向上を狙う必要もなくて)アップデートもしなくていいじゃん、っていうことでしょ? F1をスポーツとしてやるんじゃなくて、ビジネスとしてやってるということになる。それで僕がいられなくなるんやったら、チームとしてそこまでやったっていうことやし、僕としては何の未練もないですよ」

 事実、チームは育成ドライバーのラインナップを入れ替えはしたが、フリー走行の枠も含めてレギュラードライバーの陣容に変化は一切ない。

 一方、2週間前に新たな経営陣がチームの指揮を採るようになってからリーフィールドのファクトリーでは新パーツ開発が再開され、3週間の夏休みを挟んでシーズン後半戦にはその新パーツを間に合わせるべく全力で開発にあたっている。そして2015年型マシンの開発もスタートした。

 新経営陣は目の前のレースを生き抜くことだけでなく、未来も考えているのだ。

「(経営が変わって)ポジティブな方向に行くと思います。これまでは開発を止められていたような状態で、何にもできなかったわけやからね。新パーツのリストを見ると結構いろんなものがあったんで、データを現物にするのにも時間はかかるでしょう。でも、さすがに鈴鹿(日本GP)以降じゃ遅すぎるから、夏休み明けから日本GPまでの間に入ってくるんじゃないですかね」

 それまでは手持ちのマシンで耐えるしかない。シーズン前半戦の締めくくりとなるドイツGPとハンガリーGPの連戦は、ケータハムにとってはある意味消化レースのようなものでしかなかった。
 可夢偉はドイツGPが前半戦のベストレースだったという。

 戦略面でやれるだけのことはやり切り、持てる力は出し切った。それでもマルシアには敵わず、予選20位、決勝16位完走。それがベストだというところに、ここ数戦の可夢偉がいかに苦しい戦いを強いられてきたかが表れていた。

「予選のパフォーマンスどおりのレースでした。もっとタイヤがガーンとタレてくれれば面白い展開になったかもしれないけど、ソフトでも20周以上保ってましたからね。なんにも面白くないし、ジャーナリストの人だって書くこともないでしょ?(苦笑)」

 ハンガリーGP(7月27日決勝)でも硬すぎるタイヤに苦労させられた。

 ミディアムタイヤが使い物にならず、ソフトタイヤよりも1周で2秒も3秒も遅い。

「このタイヤもう捨てといて!(笑)」

 可夢偉は冗談交じりにピレリのエンジニアにそう言ったくらいだ。

「彼も硬すぎるのは分かってるらしいんですけど、現場スタッフと持ち込むスペックを決める人の思惑が違うんでしょうね。『事件は現場で起きてるんだ!』ってやつ。ピレリ本社の人間に『踊る大捜査線』を見せてやってくださいよ(笑)。この状況はほんまに"事件"ですよ」

 決勝はスタート直前の豪雨でウエットコンディション。

 無謀なリスクは冒さずにスタートし、セーフティカーの恩恵も受けながらマルシア勢を抑えていたが、25周目に燃料ポンプが壊れてエンジンがストップし、クルマを止めなければならなかった。

「完走できていても入賞のチャンスはなかったでしょうね。セーフティカーが5回くらい出たらチャンスもあったかもしれへんけどね(苦笑)」

 こうして2014年シーズン前半戦は終わり、F1は3週間の夏休みに入った。ファクトリーも紳士協定により2週間に渡って完全にシャットダウンされる。

 1年ぶりにF1に戻ってきた可夢偉は、激動の前半戦だったと感慨深げに語る。

「まだライバルと戦う以前の段階で何もできてないんですけど、なんかもうこの10戦で2年分くらいの経験をした気分です。ひとまず休ませてください(苦笑)」

 とは言いながらも、すでに日本GP(10月5日決勝)で日本へ戻る2週間分の予定はギッシリと詰まっており、「残りもこれからどんどん予定が入っていくでしょうね」と可夢偉は苦笑いする。

 唯一の日本人F1ドライバーとして、自分が背負っている責任の重さも、自分が果たしている役割も理解している。それと同時に、どれだけ目の前の現実が厳しくとも、切望してようやく舞い戻ったF1の世界を楽しんでいる。

「楽しんでますよ。何があっても笑いながら。うん、F1に戻ってきて良かったと思ってますよ。ただ、こんな戦いを10年もやりたくないですけどね(苦笑)」

 最下位を争っている現状は、決して楽ではない。1月にこのチームに加わってからというもの、レースだけでなく予算との戦いもあれば、チーム組織改革との戦いもあった。そしてケータハムは新経営陣へと移行した。

 そんな中で可夢偉は常に全力で戦ってきた。

「もしチームが他のドライバーに代えて結果が出ると思うんやったら、僕は喜んでシートを譲りますよ。思い残すことはない」

 可夢偉はそう言い切った。それは、自分が最大限の走りと貢献をしているという自負があるからこそ言えることだ。

 ここから真の戦いが始まる。後半戦も、可夢偉は胸を張って全身全霊で戦いに挑んでいくだろう。

米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki